記憶の職人」 

 

東日本大震災を風化させてはならない─ 

 

千葉県・作家 / 会社役員

原田 邦雄(はらだ くにお)



震災復興はスピードアップ出来る:500円 税込み(電子書籍)
震災復興はスピードアップ出来る:500円 税込み(電子書籍)

東日本大震災――未曾有の被害をもたらし、まさに世界に激震を走らせた 3.11。

 

 奇しくもヒロシマ、ナガサキに次ぐ形で、フクシマという言葉を世界中に広めたあの記憶からは、自然というものに対する様々な想いが錯綜することによって、あたかも自然災害としての自然のみに集約された負の記憶しか残っていない人も多くいるはずである。それはある意味で、自然という存在の意味が問われたのだと考えることができる。

 

 今もって東日本大震災の爪痕は各地に残っており、避難者の苦悩や怒りは消えない。したがって震災復興という行動が重要性を帯びてくる。これは私たち人間の使命であり、あの恐怖の出来事を記憶の底に埋没させてはならないという想いがそうさせているのだ。

 

 忘れてはならない記憶――それは率直に言えば東日本大震災直後の人間の動揺や、どうしていいか分からないという迷いといった、心の動きであろう。この「心の動き」を素直に感じ入るというそのことこそが、“今”を生きる私たちのこころにとっても、素晴らしいビタミンとなることは間違いない。

 

 だからこそ、と言っていいかも知れない。本書において登場する様々な立場の人たち――まさに人間の描写から生み出される数々の人間模様が、深く、鋭く、これを読むものの心に訴えてくる。特に石原という登場人物の「大自然は人間に厳しい試練を与えるが、同時に人と人との絆の大切さと大きな幸せも与えてくれる」という想いが、大震災ドキュメントという形で表現されていて、胸を打つ。復興にかかる時間、自然と人間との関係、“日本”という国の精神、人間の“命の尊厳”といった奥深いテーマが原田氏の的確な文章によって生きてくる。

 

 そうだ、私たちは震災の現実、恐ろしさをほとんど何も知らないのだ。あの凄まじき光景を本書によって知る意義は、まさに今、ここで生きている人間の必要不可欠なテーマかもしれないと思い、震えた。

 

 

文/菊地 道夫

 


Q & A


原田 邦雄(はらだ くにお)

 

1942 年 広島県府中市上下町に生まれる

1965 年 私立修道高等学校卒業

1965 年 広島大学工学部土木工学科卒業

1965 年 不動建設株式会社入社

1994 年 取締役就任

1999 年 常務取締役就任

2005 年 同社退社

2005 年 NPO 法人観光立県支援フォーラム設立、専務理事就任

千葉大学及び千葉商工会議所と連携して、

・千葉観光文化検定試験実施

・千葉観光人材育成講座・サービス産業人材育成講座等を開設・実施、

・千葉ブランド銘菓「千葉集・葉重」を開発し、

老舗菓子店米屋等4社で販売

など、千葉県の観光産業発展に貢献

2011 年 同法人退社

2013 年 株式会社 日本マナー総合研究所設立 代表取締役就任

  

 

○ プロフィールについて

 

―生年月日を教えてください。

 

原田:1942年7月17日です。

 

―幼少期はどんな少年でしたか。

 

原田:父が戦死して田舎の事でもあり、貧乏でした。祖父が明治のおまわりさんでしたので曲がった事には厳しかったですが、同級生と学校の行き帰りに、山の木で剣道まがいの遊びをしたことが楽しかったのを覚えています。

 

―ご家族との思い出の中で、印象深いものを教えてください。

 

原田:一人娘がいますが、とても頑張り屋で、小6から東京に引っ越して、雙葉学園そして東京大学と進みました。私だけ、東大入試結果をこわくて見に行けませんでした。親馬鹿とはこんなのを言うのでしょうかね。

 

―学生時代の得意な科目、苦手な科目を教えてください。

 

原田:私は、高校から広島市内の進学校へ途中入学しました。数学の遅れには苦労し数学ばかりやりました。結果として土木工学科に進みましたが、本当は文系でしたね。

 

―学生時代は何を学ばれていましたか。また、現在の活動に生かされていますか。

 

原田:土木工学卒で現役時代(不動建設、現フドウ・テトラ株)は常務までやりましたが、62歳で辞めてからは土木とは無縁です。

 

―どんなお仕事をされてきたのか教えてください。

 

原田:不動建設(現フドウ・テトラ株)で、若い頃は地盤改良の設計、研究開発でした。技術士(土填・および基礎)の資格を持っています。出世してからは営業と経営でした。

 

―執筆活動以外にされている活動があれば教えてください。

 

原田:接遇(マナー)の重要性を想い、株式会社日本マナー総合研究所を創り、経営しています。官庁、病院、介護施設、バス会社の運転士等の接遇研修です。

 


 

○ 作品について

 

―今まで何冊の本を出版していますか。

 

原田:一冊です。

 

―「震災復興はスピードアップできる」を書き始めたきっかけを教えてください。

 

原田:実際に自分の家の復旧工事を仲間と一緒にやる時、習志野市のモデル事業にしてもらいました。新聞、テレビでも報道されました。朝日新聞と毎日新聞の記者さんから勧められたのがきっかけです。

 

―どういう方々に読んでいただきたいですか。

 

原田:特にはありませんが、天災にあっても役所は個人の財産には手助けしてくれないので、自ら同じ被災者に協力してやるしかないことを知ってほしいです。読んだ仲間からはひやかしに、フィクションのラブロマンスの続きを読みたいと言われます(笑)。

 

―震災復興のために一番大切なことは何でしょうか。

 

原田:被害が大きくならない様に、事前に手当をしておくことです。もしも被害にあったら不幸とあきらめて仲間と協力して考え、行動すること。業者もそんなに知恵を持っていないので、一緒になって知恵を出し合うことが重要です。

 

―ご自身の作品のこだわりと、ポリシーを教えてください。

 

原田:ドキュメントだけでは面白くないので、うまく理屈をつけて「読みもの」にしたかったです。楽しみながら他人の苦労を参考にしていただけたならば嬉しいです。

 

―次回作のご予定があれば教えてください。

 

原田:「運転士道」など。バスの運転士の優しさ、技、乗客に感動を与える運転。さながら武士道の運転士版かな?

 

 


 

○ 20代、30代にフォーカスした人生論

 

 ―人生のターニングポイントを教えてください。

 

原田:努力している者は必ずどこかで幸運のチャンスが回ってくきます。それを上手に掴め!

 

―若者がターニングポイントを見逃さないようにするためのアドヴァイスをお願いします。

 

原田:多分、自分のやりたい事(目標)を決めて、いつも想い続けること、かな?

 

―人生の教訓を教えてください。

 

原田:第一に、目標を持つ(造る)こと。第二に責任を持つこと。第三に感謝の心を持つことです。

 

―若者に教えておきたいこと、大切なことを教えてください。

 

原田:人生にはいつも「ある道幅」を決めて持つことです。その道幅から「はみ出さない」ことで、その「道幅の中」であれば自由に!

 

―人生で最も影響を受けた人物や尊敬している人物を教えてください。

 

原田:広島大学時代に一度社会へ出た後、大学へ帰った教授です。「難しい部分」がご本人の体験として分かっているので、教える時、そのポイントが分かった上で教えるので、分かり易かったのです。

  


 

○ 最後に人生の先輩として大志を抱く方へ、メッセージをお願いします。

 

原田:前に「人生の教訓」のご質問でお話ししたようなことです。そして努力する時にはわき目も振らず、眠る時間も惜しんで。多分、冬山に登る気分かな? やりとげた時、まぶしい朝日を見られるように!