真珠湾攻撃から75年特別企画

 

「真珠湾史実研究会が一般の方の質問に答えました」

 

 真実は得てして隠されてしまうことが多いのも事実 

 

質問者 :一般の方

回答者 :白松 繁(真珠湾史実研究会

真珠湾史実研究会 代表・白松 繁(しらまつ しげる)とは

 

1943年

・静岡県生まれ。1961年県立静岡工高卒。

1961年

・矢崎電線工業(株)入社後、矢崎グループ各社に勤務。研究開発、生産、購買、海外プロジェクトに従事。

2005年

・本社管理部門品質管理室副室長(参与)退任、嘱託。

2008年

・真珠湾史実の調査を開始。

2008 ~ 2013年

・米国国立公文書館5回訪問。

2012年

・「真珠湾の真実」の著者Robert Stinnett氏と5日間の面談。

2013年

・「そのとき空母はいなかった...検証パールハーバー」を文藝春秋社より出版。

2014年

・吉田一彦著「闇のファイル」の書評を”週刊読書人”に寄稿。

・静岡新聞社主催自費出版大賞コンクール 特別賞。(御殿場市長と対談)

2015年

・元真珠湾攻撃隊ゼロ戦パイロット原田要氏と対談。

・「そのとき空母はいなかった...検証パールハーバー」の電子書籍を22世紀アートより出版。

2016年

・同英文版「NO AIRCRAFT CARRIERS AT PEARL HARBOR: A VICTORY IN WAR INTELLIGENCE」の電子書籍を22世紀アートより出版。

・真珠湾史実研究会設立(国内)。

「真珠湾史実研究会」と「Pearl Harbor Attack and Admiral Yamamoto」のオフィシャルFacebookページを立ち上げる。

「別冊宝島‐真珠湾特集」に”米国内の真珠湾論争”のテーマで寄稿。

WAC社「歴史通」で、暗号専門家原勝洋氏と暗号解読のテーマにて対談記事掲載。

 

 

著書

そのとき、空母はいなかった: 検証パールハーバー (22世紀アート) Kindle版

白松繁 (著)

 

このたび22世紀アート社より拙著「そのとき空母はいなかった・・検証パールハーバー」の電子書籍版発行にあたり、一言ご挨拶申し上げます。 

本書は2013年5月、文藝春秋社より自費出版した書籍に、その後得た情報をベースに加筆訂正を行い内容をより充実させ改訂版として発行したものです。 

日本では真珠湾攻撃というと日本海軍の圧倒的勝利として喧伝され、アメリカに於いては日本の騙し討ち説が定着しています。(現在のアメリカの高校の教科書でも騙し討ちであったと書かれている)。然しそれが必ずしも事実でないとしたら、日米戦争の見方は大幅に変わります。一方日本側に於いても真珠湾攻撃が果たして唯一正しい選択であったかどうか、その面からの検証も必要です。何故なら日本の真珠湾先制攻撃が無ければアメリカは絶対に参戦することは出来なかった。

言い換えると、当時アメリカ世論の大多数が戦争反対のため、自ら日本に先制攻撃を仕掛けることは不可能な状況にあったのです。 

私は真珠湾攻撃は明治維新より始まった富国強兵策の終着点であり、同時にその後の民主平和国家を歩む出発点となった言わば日本近現代史の分水嶺だったと考えています。太平洋戦争でアメリカの30倍、300万もの犠牲者を出しながら、仕方がなかったという日本人特有の諦観もあり、戦後70年に至るも日本人自身によるその責任の総括は不徹底なままです。日本人の曖昧さや諦観は事を荒立てないとする先人の知恵でもありますが、それでは歴史を正面から捉えている国とは言えませんし、誤解を生む源になっていることは明らかです。私はまず真珠湾の真実に向き合い、次のステップとして、先の戦争責任を検証しなければと思っています。それは騙し討ちと言い続けるアメリカ人にも、実は騙し討ちではなくそれがアメリカの戦争戦略であったことを事実を以って知らしめる必要があります(近々本書英文版発行予定)。どちらが正しかったとか悪かったというのではなく、それが日米のこれからの70年を是は是、非は非と言い合える真のイコールパートナーとしての同盟関係構築の根幹になるからです。これは私如き一個人で達成出来るものではありません。読者の皆様方のご理解を力に目標達成に邁進する所存です。 

 

平成27年12月8日  真珠湾史実研究家 白松 繁 

 

そのとき、空母はいなかった: 検証パールハーバー (文藝春秋企画出版) 

白松繁 (著)

 

在野の歴史家として、何度も渡米し自らの足で集めた真珠湾攻撃にまつわる膨大な日米の史料を徹底検証。真珠湾攻撃を敢行した日本が、はめられた、騙されたなどの被害者観をベースとしたルーズベルト陰謀論を中心とした真珠湾論争から脱却し、ルーズベルトの戦争戦略を教訓として新しい歴史観を構築するための新見解を提示する。

 

 

 

 

 

 

寄稿

別冊宝島2522 日本史再検証 真珠湾攻撃

「世紀の奇襲」成功の功罪を徹底考察!

著者:秦 郁彦 責任編集

 

 索敵を十分にやっていれば、空母エンタープライズを沈められた!!

 

秦 郁彦/半藤一利/横山恵一

森 史朗/白松 繁/原 勝洋

戸髙一成/北澤法隆

戦史家8名が紐解く

電撃作戦の「謎」と「真実」

 

真珠湾攻撃から75年。本誌では、軍事史家・秦郁彦氏責任編集のもと、日本の運命を変えた衝撃的軍事作戦「真珠湾攻撃」とは何だったのかを検証。半藤一利氏をはじめとする方々の原稿のほか、真珠湾攻撃に出撃した兵員たちの貴重な手記も掲載します。

 

歴史通 2017年1月号

 

 

総力特集 ❶

開戦75年目の真珠湾 「最後の真実」

 

渾身の書下し100枚

真珠湾「奇襲」ルーズベルトに操られた日本 序説

■長谷川煕

やはり「海軍暗号」は解読されていた!?激突対談

■原 勝洋/白松 繁

 

 

 

写真 / テキスト:向田 翔一

 

 ※ これらは、真珠湾史実研究会のFacebookページにて、白松氏が下記コメントを掲載した際に、届いた質問内容が白松氏にとっても、興味深く、勉強になりましたとのこと。そこで、より多くの方々に、これらについて周知してもらいたいという真珠湾史実研究会 代表 白松 繁氏の依頼により作成したものです。尚、一般の方とは特定の一人ではなく、それぞれ別々の人だということをご了承ください。

 

真珠湾史実研究家 オフィシャルFACEBOOK

 

株式会社22世紀アート編集部

 


真珠湾史実研究家 オフィシャルFACEBOOK 9月5日書き込みより

 

日本では真珠湾攻撃というと日本海軍の圧倒的勝利として喧伝され、アメリカに於いては日本の騙し討ち説が定着しています。(現在のアメリカの高校の教科書でも騙し討ちであったと書かれている)。

 

然しそれが必ずしも事実でないとしたら、日米戦争の見方は大幅に変わります。一方日本側に於いても真珠湾攻撃が果たして唯一正しい選択であったかどうか、その面からの検証も必要です。何故なら日本の真珠湾先制攻撃が無ければアメリカは絶対に参戦することは出来なかった。言い換えると、当時アメリカ世論の大多数が戦争反対のため、自ら日本に先制攻撃を仕掛けることは不可能な状況にあったのです。

 

私は真珠湾攻撃は明治維新より始まった富国強兵策の終着点であり、同時にその後の民主平和国家を歩む出発点となった言わば日本近現代史の分水嶺だったと考えています。太平洋戦争でアメリカの30倍、300万もの犠牲者を出しながら、仕方がなかったという日本人特有の諦観もあり、戦後70年に至るも日本人自身によるその責任の総括は不徹底なままです。日本人の曖昧さや諦観は事を荒立てないとする先人の知恵でもありますが、それでは歴史を正面から捉えている国とは言えませんし、誤解を生む源になっていることは明らかです。私はまず真珠湾の真実に向き合い、次のステップとして、先の戦争責任を検証しなければと思っています。それは騙し討ちと言い続けるアメリカ人にも、実は騙し討ちではなくそれがアメリカの戦争戦略であったことを事実を以って知らしめる必要があります(2016年6月 英文版発行)。

 

どちらが正しかったとか悪かったというのではなく、それが日米のこれからの70年を是は是、非は非と言い合える真のイコールパートナーとしての同盟関係構築の根幹になるからです。これは私如き一個人で達成出来るものではありません。読者の皆様方、はじめてこちらをご覧になった皆様方のご理解を力に目標達成に邁進する所存でございます。

 

真珠湾史実研究家 白松 繁


質問者:一般の方

回答者:白松 繁(真珠湾史実研究会 代表)


 

一般の方 今日本では日清、日露戦争はあまりとりあげない何故?

 

白松:日米戦争の元は日露、日中戦争にあり、その点を大いにスタデイする必要があるのですが、やはり直近の第二次大戦に目が向いてしまうのは止む得ないのかと思います。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一般の方 これはゲディスバーグ新聞記事です。この記事内容については、公に否定済 なのでしょうか。

この新聞中央の写真上に "Japan's Reply to U.S.Is Delivered 12 Minutes Before Bombing of Honolulu."

となってますね。つまり、日本は「攻撃12分前に、通牒している」事になります。当新聞(米国)は「それを認めている」事になります。だまし討ちではない、が真相のように思いますがいかがですか?

 

一般の方 24時間前に通知義務と思いました。日本は天皇制です。アラスカの基地に伝えてる筈です。

 

白松 繁(以下 : 白松)日本の最終覚書第14部(平和交渉の断絶通告)のハルあての手交は真珠湾攻撃50分後のワシントン時間午後2時20分です。これはアメリカ側、日本側の政府が共に正式に認めているので、この新聞記事の12分前の通知は仮に何か通知らしきものがあったとしても、効力という点では無いと思います。

 


 

一般の方 いろいろな見方がありますね。しかし、軍艦、軍事施設を目標とした真珠湾攻撃と一般民衆の大量殺戮を目的とした広島と長崎の原爆とは同列には語れないと思います。

 

白松全くその通りです。然し日本はポツダム宣言を無視した結果、広島に一発目が落ちた。それでも戦争をやめるとは言いませんでした。水面下でソ連仲介による和平交渉をしていたが、陸軍は飽くまで本土決戦だったのです。2発目が長崎に落ちて天皇より早期終戦を求められた結果、ポツダム宣言受諾が決定され終戦となった。原爆使用の正当性を主張する口実をアメリカにあたえてしまった。 

 


 

一般の方 ハワイ大学留学時に学びましたが、資料室には多くの攻撃時の写真があります、休日の奇襲攻撃によって無防備な多くの死者を出した事は国内戦争反対世論を動かしてしまいました。悲惨なのは隣接してた学校でハワイの子供達が200名(宿舎)も犠牲になってしまいました。空母は外洋に居たので被害なく、米国国内では兵器関係工場がフルに、、反撃開始!!

 

 広島や長崎は原子爆弾で被害に、、その実施前に複数回降伏を促したが、日本軍部は国民総参戦を通告、日本内戦に。ヨーロッパ戦線で多くの犠牲者が出てる状態、これ以上日本でも一般人を100万単位で命を奪えない、議論を重ね、開発中だった原子爆弾によって一部の都市が犠牲になれば終戦だろうと考え、他の都市なども候補になったが、山々に囲まれた広島が標的になってしまいました、日本軍は広島が破壊されても総玉砕を崩さず、第二の候補地長崎が犠牲に、日本は内閣と軍部が対立、、最期には軍部が内閣に妥協、、無条件降伏になった。

 

 今でもアメリカ国内では多くの人々が原子爆弾投下は戦争犠牲者を最小限に抑えたと考えてます。

 

 最悪だったのは、留学時に日本からの観光客(農協系)が戦死者墓地見学でションベンを10人位がしてた写真が新聞に掲載された事です。綺麗な公園に感じた様子。。同じ日本人として最悪な雰囲気でした。

 

白松ハワイ大学留学した由、まさに日米戦争発端の場所で勉学されたのですね。真珠湾攻撃当時日系人特に2世はバカなことをしてくれたと日本を恨んだそうです。アメリカ人の大部分は原爆使用正当論者です。もし真珠湾攻撃が騙し討ちでないとしたら、アメリカの仕掛けであったとしたら、その論理は崩れます。

 

一般の方 わたくしの手元の資料では米軍損害において、戦死 2,345人・民間人 68人となっております。

貴殿のコメントに「悲惨なのは隣接してた学校でハワイの子供達が200名(宿舎)も犠牲になってしまいました。」とありますが、資料の出どこは、どちらですか?

 

白松ハワイの子供達200名の犠牲者は少なくても日本の攻撃機によるものではないですね。日本の搭乗員は軍事目標のみの攻撃でした。アメリカ側がパニックとなり誤射、誤爆で相当数の市民に被害がでたことも確かです。

 

一般の方 日本軍には、一般市民を意図的に殺傷する意図はありませんでした。よって、その死傷者は米国の砲火による犠牲者と見るべきですね。確かに、一件だけハイウェイを走行中の乗用車が銃撃されて死者が出ていますが、当時の日本には大型の乗用車など無かったので「軍用車両」と誤認したものと思われます。(´人`)

 

白松この銃撃車両を見ると映画〈俺たちに明日は無い〉のボニーアンドクライドの最後の場面を思い出す。日本機が市内の民間車両をこのように銃撃したのだろうか、信じたくない気持ちになりますね。

 


 

一般の方 マッカーサーも、先の戦争はアメリカが悪かったのだと認めているところから、誘い込まれた戦いだったかもしれません。結果オーライと言う言葉もあるけど、歴史をうやむやにして先に進むことは良い事ではありませんね。正しい検証と、大いなる反省が必要だと思います。

 

白松アメリカ政府、アメリカ人全般がアメリカが悪かったとは思っていません。この厚い壁を破るのはこれからと思います。

 


  

一般の方 戦勝国が自分達に都合よく歴史を作っただけ。日本が誤ったのは敗戦した事のみ。ルーズベルトはチャーチルに書簡で「米国は日本に対して予告無く攻撃を行う、そうしなければ議会を通るのに2ヶ月もかかるから」と真珠湾攻撃よりも先に攻撃を仕掛けております。

作戦名・バトルオーダーNo.1

 

白松バトルオーダーNo.1 は11月28日エンタープライズよりハルゼー部隊が発した命令です。但し真珠湾前に戦闘はしていません。

 


 

一般の方 騙し討ち?とな?だいたい攻撃有るかも⁉空母いない時点で、だいたい把握していたのでは⁉ないのかなドキュメントドラマがあったが開戦前、大使館、職員、暗号解読に手間がかかり、時間に間にあわなかったと…😅

ドキュメントドラマ❗何処まで本当なのかな⁉…😅 

私には、わかりませんが

 

白松日米の緊張が最高潮に達していたとき、大使館員のタイプ遅れで日本の最終覚書の手交が真珠湾攻撃50分後となったなど、すんなり信じることは出来ませんね。

 


 

一般の方 俺は当然当時の事はわかりませんが、事前に予告を知っていたのは上層部だけで末端には知らされてなかっただけなのでは?だから突然攻撃されたって証言する人と事前に知らさらていたって人の温度差があるように思います。今の会社もそうですが末端にはなかなか情報が下りてきませんし組織特有のものなのかな?って思ったのですが…全然違ってたらすみません。個人的な感想です。

 

白松ハワイの現場の兵士には寝耳に水でしたが、ワシントンは知っていました。現地にそれが伝わらなかったのは組織の問題だけではないと思います。

 


 

一般の方 アメリカ馬鹿どもの奴隷になるか、例え負けると解っていても戦うのか、自分は家族を守るためにも、戦う事を選択する。

 

白松日本はアメリカとの戦争準備を何年も前から行ってきたので簡単に負けると思っていなかった。然し必ず勝つという自信もなかった。

 

一般の方 ある意味正解!戦争は負けると認識はしてたと思いますよ。

 

白松然し、12月1日の御前会議で開戦を決定し、翌2日、ニイタカヤマノボレ1208 を発信した。勝つチャンスはあると判断したのだと思います。

 


 

一般の方  いつかのテレビで真珠湾奇襲はアメリカは知っていたそうですよ。だから空母など居るわけないのです。

 

白松その通りです。然し空母はいなかったのは偶然だったということになっています。大いに議論が必要ですね

 

一般の方 暗号も解読していたようです。全てアメリカの思惑通り!

 

白松外交暗号はほぼ100%、海軍暗号も10%から30%解読されていた。拙著参照。但し海軍暗号についてはアメリカは認めていません。

 

一般の方 よく空母不在をもって米国陰謀論を唱える方がいますが、当時の米海軍の主力は戦艦であり、空母の有用性を訴えていたのは極一部で、空母の役割は索敵・漸減でした。(どこの国の軍でもありがちな保守性=効果が解らない空母より、現実に役立っている戦艦の方が確実という心理、航空魚雷の開発失敗等が原因)もし本当に米国が日本による真珠湾攻撃を確信をもっていたのなら、間違いなく戦艦こそ避難させておき、逆に真珠湾攻撃直後に南雲機動部隊を「発見」して殲滅していたでしょう。

 

 ちなみに、「情報」というのは厄介なもので、それの正誤は実際にその時にならないと解らないものです。仮に米国が真珠湾攻撃の情報を事前に掌握していたとしても、それを「正しい」と認識していない限りは待ち受けなど不可能です。

 

白松アメリカは1932年ごろから、空母を使った演習(日本が黒軍、アメリカが青軍)を何回も実施していた。真珠湾直前の11月23日もキンメル太平洋艦隊司令長官指揮下同様演習を実施していた。彼等は日本の攻撃は空母で行われると想定していた。戦艦だけ或いは潜水艦だけで来るとは想定していなかった。戦艦だけでは航空機による反撃を防ぐことは出来ませんし、潜水艦だけでは攻撃後、スクリュー音の大きい日本の潜水艦はすぐに駆逐艦の餌食となってしまうからです。アメリカは広大な太平洋の戦いは空母主体となることを想定していたのです。

 

一般の方 「演習=敵の攻撃を予期していた」ではありませんよ。その論なら、自衛隊は北転(協同転地)や鎮西を毎年実施していますが、別にどこかの国が我が国への侵攻準備をしているからやっている訳ではありませんし、そもそも、大規模な演習をしたら軍と言うものは補給整備が必要となり、演習➡即実戦は極めて困難です。ましてや、真珠湾はアメリカの太平洋戦略上の要衝とは言え絶海の孤島であり、作戦行動、それも直接攻撃されると予期されていたのなら拠点防衛に必要な物資を、近日中に予期される戦争ではなく演習に使うとか、はっきりいってあり得ません。

 

 また、アメリカが空母主体となると考えているのなら、何故開戦時の米空母は7隻しかなく、それもうち4隻は大西洋に置いていたのですか?空母主体となると言う確証が得られていたのなら、何故戦艦の建造計画を中止して空母建造に回さなかったのでしょうか?解っていてやらなかったのなら、軍の怠慢ですよね。軍がわざとそんな怠慢を行う意味はなんなんでしょうか?

 

 ちなみにアメリカが戦前にオレンジ計画で想定していた戦場は、あくまで中部太平洋~フィリピンなのは有名な話だと思いますが。

 

白松戦前、アメリカは空母建造計画(ヴィンソン・トランメル法)を策定、開戦後続々と空母が投入された。ぜひ拙著(電子本)「そのとき、空母はいなかった」をご参照ください。

  

一般の方 ヴィンソン・トランメル法で建造が承認されたのは CV×1、CL×2、DD×14、SS×6 で、これを「空母建造計画」と言うのはかなり無理があるのでは?

 

 その後の建艦計画をみても、大戦勃発後修正されたとはいえBBとCVの計画数とその目的を見る限り、「米海軍は大戦前から空母を海軍の主力とすべく動いていた」と言うには根拠薄弱です。そもそも、それらの計画にしたところで建造されたものは全て太平洋艦隊に集約するものではなく大西洋艦隊の増強分も含まれてますしね。

 

白松確かに第一次ヴィンソン・トランメル法では CVx1 だけでしたが、その後、第二次,四次で続々と空母の建造計画が進み、開戦後、終戦までの間、2万7千トンエッセクス級 CV9~CV20、12隻、一万トン級、CVI 22~30,9隻、3万トン級、CV31,一隻、一万トン級護衛空母 CVE2~CVE106、106隻、総計126隻が投入されている。(ミリタリーワールド世界の空母より)

 

 

一般の方 開戦前の太平洋艦隊は BB×9、CV×3 であり、両用艦隊法で建造が開始されたCV群が戦闘加入したのはミッドウェー海戦後になってからです。これで「米海軍は開戦前から空母主体の戦いを想定していた」とするのは流石に時系列的に無理があるかと。

 

白松CV群が戦闘に投入されたのはミッドウェー以降ですが、空母の建造には2〜4年が必要です。真珠湾前に空母の大建造計画が策定されていました。因みに日本は開戦後に建造した空母は小型の雲龍、天城、葛城のみ、あとは商船改造の航空機運搬用の空母だけです。

 

一般の方 米海軍では空母を中心とした機動部隊という編成を海軍打撃力の中枢に置くという概念は確かに開戦前にも存在していましたが、実際にそうした運用を行うのは真珠湾以降、戦艦部隊が戦闘力を喪失していた際に半ば窮余の策として採用し始めてからです。それまでの空母はあくまで海軍戦力の中では戦艦の戦闘を支援する補助的な戦力として偵察及び敵戦力の漸減を任務としており、主力戦力として扱われてはいませんでした。(これには満足いく性能の航空魚雷の開発に失敗し、攻撃手段が小型の爆弾のみで攻撃力に問題があったこと等も影響していると思われます。)

 

 また、前述したとおり米国は対日戦の主戦場を中部太平洋~フィリピンと想定しており、島嶼の攻略が重要視されていた関係で空母の運用として、地上部隊に対する近接航空支援や奪取した島嶼への地上航空機の輸送等も考慮されていました。

 

 そうした背景と地理的制約から両洋に部隊を分散配置せねばならず故に空母を数多く必要としたのであり、数の多さを持って空母を主体とした戦闘を想定していたとは言い難いと思われます。

 

白松確かにアメリカの魚雷の性能が低く戦争初期は問題が多かったがその後改善された。珊瑚海、ミッドウェー、ソロモン、マリアナ、レイテなどすべて航空機主体の戦いとなった。日本海軍が想定していた艦隊決戦は起きませんでした。

 

一般の方 魚雷の改善は戦中の話ですし、珊瑚海、ミッドウェーは戦力的に準備できたのが空母だけであって、航空機主体となったのは結果論でしかありません。その後についてはそれまでの戦訓や新造空母の就役等もあり空母中心になったのは確かですが。

 

白松アメリカはあの広大な太平洋で艦速が遅い戦艦が主体となるとは考えていなかった。真珠湾前の11月28日エンタープラズを率いて出航したハルゼー中将は戦艦は不要と言って随伴させなかったこともその一端を物語っています。

 

一般の方 ハルゼーは米海軍内の空母派閥で有名な人間ですよ?そんな人間の意見を米海軍全体の意見とするのは流石に無理矢理過ぎます。

 

 米国、あるいは米海軍が開戦前から「戦艦ではなく空母を海軍の主力とした」とするには、海軍ドクトリンがそのように変わったと言えるものが必要だと思います。少なくとも私が知る限りそのようなものを見たことがありませんし、むしろ、開戦前の演習及び研究結果や空母における航空隊の編成等を見る限り、「空母が戦艦に取って代わった」のではなく、「艦隊防空から近接地上支援までこなせる万能の支援役」と見ていたと見る方が適切に思えます。

 

白松ハルゼーは開戦前合衆国艦隊の全空母の指揮権をもった中将で、開戦後の主要な戦闘(含ドーリットル東京空襲)を直接指揮,時には部下のフレッチャー少将、スプル-アンス少将等を使って珊瑚海、ミッドウェー、ソロモン、マリアナ、レイテを指揮した。42年11月海軍大将に任命、45年11月海軍元帥に任命された。太平洋の戦いでは航空畑のハルゼーが主役でした。日本では山本五十六がこれからの戦いは航空機主体となるとして早くから日本航空艦隊を育成した。

 


 

一般の方 確か・・・ですが、アメリカ側は暗号の解読、さらに日本艦隊の移動を見た(知った?)漁民からの通報などによりアメリカ本国は真珠湾攻撃を予め知っていた。一方、日本側としては真珠湾攻撃の一番の目的は敵空母を叩くこと。その理由としては空母の造艦は年単位(確か2~3年?)かかるので、初戦で空母を全滅させておけば新造艦が出来上がるまでの2~3年間は有利に戦えるから。

 

 ところが奇襲があることを予め知っていた米軍は本国の指示で前日に空母を移動していたので無事だった。さらに日本の『奇襲攻撃=リメンバー・パールハーバー』を非難する事によって厭戦気分だったアメリカ国民を開戦に向かわせ、結果的にアメリカのシナリオ通りに事が運んだ・・・と、私はこんな認識でおります。ちなみに全く同じ手口を使ったのが『9.11同時多発テロ』だった・・・と、これは話が逸れてしまいますね。

 

一般の方 よく空母不在をもって米国陰謀論を唱える方がいますが、当時の米海軍の主力は戦艦であり、空母の有用性を訴えていたのは極一部で、空母の役割は索敵・漸減でした。(どこの国の軍でもありがちな保守性=効果が解らない空母より、現実に役立っている戦艦の方が確実という心理、航空魚雷の開発失敗等が原因)

 

 もし本当に米国が日本による真珠湾攻撃を確信をもっていたのなら、間違いなく戦艦こそ避難させておき、逆に真珠湾攻撃直後に南雲機動部隊を「発見」して殲滅していたでしょうし、そもそも、すべてを知った上で「日本は卑怯な騙し討ちをした」と言うだけならば「攻撃された事実」があれば十分なはずなのに、敢えて主力壊滅、当分の間戦略守勢に回らざるを得なくなるほどの損害を受ける意義はありません。

 

 ちなみに、「情報」というのは厄介なもので、それの正誤は実際にその時にならないと解らないものです。仮に米国が真珠湾攻撃の情報を事前に掌握していたとしても、それを「正しい」と認識していない限りは待ち受けなど不可能です。9.11も同じです。「今」だからこそ「情報は正しかった」と言えますが、9.11が未来の話であった時点では、そんな確証はどこにもないわけです。

 

白松日本艦隊の来襲を漁民の通報で知ったということではありません。日本の暗号を解読していたので事前に知っていた。アメリカは真珠湾前に日本の空母による攻撃を想定して何年も前から何回も青軍(アメリカ)黒軍(日本)に分かれて空母を使用して想定訓練をしていました。キンメルのときも真珠湾直前の11月23, 24日にまさにその訓練を実施していた。日本が空母で来ることは分かっていたのです。そう、今になってアメリカが日本の暗号を解読していたことが分かった。即ち当時アメリは日本の攻撃を察知していたと言うことです。

 

一般の方 「演習をしていた」のと「来ると予期していた」のは違いますよ。例えば自衛隊は協同転地演習を毎年しており全国の部隊が北海道や九州に移動していますが、具体的にロシアや中国が攻めてくる情報があってそれを事実と判断しているからその準備をしているというわけではありません。

 

 そもそも、日本側自体真珠湾攻撃を具体的に計画するのは41年に入ってからで、それも山本GF長官のかなり強い意向と、主兵装である航空魚雷が水深の浅い真珠湾でも使用できる目処がついたから実行する事になったのでは?攻撃側自体がそんな状態で、空母を主戦力とは見なしていなかったアメリカが空母による真珠湾攻撃を現実のものとして見ていたとは思えないんですが。

 

白松真珠湾基地はルーズベルト大統領就任後急速に強化され、奇襲直前では、艦船160隻以上、航空機500機、兵員総計4万人の大軍事基地に変貌していた。全ては他でもない対日戦に向けての準備でした。そしてその通り戦争になった。

 

一般の方 そら、緊張状態にあるのに、太平洋のチョークポイントであるハワイで何もしなければ軍は何してんだとなりますわな。イランの核問題の際、米海軍は2個機動部隊を5Fに配置してますが、戦争は起こりましたか?尖閣正面に海自は艦艇だしてますけど、衝突起こってますか?

 

 ちゅーか、軍事的常識として、「対日戦に向け大軍事基地と化していた」ような場所をわざと攻撃させて大損害だしてる時点で、戦略的失策ですな。軍事作戦、特に海上優勢(現代では航空優勢も)は一度失うと奪回するのに多大な労力を必要とするのは古今東西の、それこそポエニ戦争時代からの常識だと思いますが(事実アメリカはミッドウェー後になって漸く動き出してますよ)、その常識を捨てる意義が解りません。戦争を起こすために、起こした戦争で勝つための装備と、何より訓練された人員をワザワザ大損害出させるとか、軍事を知らなくてもおかしいと思いませんか?

 

白松真珠湾を攻撃した結果、それまでアメリカの世論は80%が戦争反対だったのが一気に100%戦争賛成となり、日本は300万人の犠牲者を出して完敗した。これがアメリカの戦争戦略です。

 

一般の方 結果を見て良かったからってのは「アメリカ待ち受け論」とは何の関係もないですけどね。

 

白松アメリカから仕掛けることは出来ない状況では、日本に仕掛けさせるしかありません。その際ルーズベルト大統領は多少の損害は覚悟したはず。戦争に犠牲者は避けられません。日米の確執は日露戦争から始まっていた。突然戦争になったのではありません。ぜひ拙著(電子本)「そのとき、空母はいなかった」をご参照ください。

 


 

一般の方 最初から、負けるための戦争を始め、宮中の大本営で、直接指揮した裕仁。

 

白松:12月1日の御前会議で天皇が承認したことは確かです。然し政府、軍部、天皇の輔弼(補佐役)すべてが開戦やむなしでした。ここが天皇責任の難しいとこですね。統帥権ですが軍の方針については政治家が関与することができなく陸海軍が直接天皇に上申できる制度です。これが軍部中心の日本、即ち戦争主体の国家を形成した。

 

 さらに5.15 事件、2.26 事件で軍部の力が一層つよくなり、議会制度が機能しなくなった。天皇ご自身は日米戦には反対であったが、政府が一致して決めた日米戦決議に反対は出来なった。然し最終決定者であることは確かであり、天皇がノーと言えば即開戦とはならなかったかも。御前会議の前日陸海軍トップを宮中に呼び日米戦勝利の見込みについて最終確認をしていたので当日のノーはありえなかったですね。

 

一般の方 統帥権は天皇にしかなく、開戦、指揮、終戦は天皇の権限です。東條も東京裁判で「私どもは天皇の意思に逆らうことはありません」と証言しています。

 

白松:12月1日の御前会議で日米戦が決定した。言わば東条首相を含む出席全員の賛成で決定したわけですから。

 


 

一般の方 知る人は知る事実ですね。マッカーサーは目標がフィリッピンだと思っていたと言っていました。ほんの一部の上層部のみが承知していたのでしょう。航空機の有効性を教えた日本が戦艦に拘り続け、米国が空母(航空機)重要性に目覚めたという皮肉。・・・・・情報戦、戦略の柔軟性に負けたのでしょうか。

 

白松マッカーサーは真珠湾奇襲9時間後に自軍飛行場を攻撃され大半の航空機を喪失する大失態を招いた。しかしおとがめなしでした。キンメルと大違い。

 


 

一般の方 ルーズベルトの悪巧みを、アメリカの人々は知っているのでしょうか?

 

白松一部の人は知っていますが、大部分は騙し討ちと思っています。ここが問題ですね。

 


 

一般の方 うちは、日清、日露、日中、太平洋戦争すべて参戦、死んでません、田舎では戦死者がそんけいされます。わたしは、なぜ、アジアの小さな国、日本が戦ったのかを真剣に考えるべき!変なグローバリズムにだまされてはいけない。死んだ人も生きた人も日本を護るために戦かったのはまちがいない。

 

白松負け戦となった太平洋戦争でも第一線の兵士は皆国家のため勇敢に戦ったことは誰もが認めている。然し戦争戦略を決める指導層の判断間違いで多数の戦死者、餓死者が出ました。この点も合せて考えてみる必要があります。

 


最後にメッセージを頂いた


 

 

上記Q & Aを整理して見直すと、本サイト参加の皆様は改めて有意義な内容であると感じられたとのではないでしょうか。本サイトの立ち上げ趣旨に出来るだけ沿う形で進めたいので、下記3点の材料をベースに質問やご意見をしていただければと希望しています。勿論これら3点以外の質問でも、私の知識の範囲で出来るだけお答えしていく所存です。

 

1.白松 繁 著「その時、空母はいなかった・・検証パールハーバー」をお読みください。

  (目次も細かく設定してありますので、興味のあるポイントだけでもかまいません。)

 

2.11月15日発売の雑誌「別冊宝島」日本史検証・真珠湾攻撃をお読みください。

 

3.12月6日発売の雑誌「歴史通」暗号解読に関するテーマ・原勝洋氏と白松の対談をお読みください。

 

真珠湾史実研究会を通じて歴史探求の面白さを味わって頂きたいと思います。ご協力よろしくお願いします。

 

■真珠湾史実研究会の更なる課題

 

皆さんの質問に解決した後は、真珠湾史実研究会の課題を一緒に取り組みましょう!

 

1.日本の真珠湾奇襲攻撃で、米太平洋艦隊の主力戦艦8隻を撃沈乃至大破という大戦果を挙げたのは、定説通り山本五十六の革命的作戦が全て上手く行ったからか。

 

2.そうではなくて、アメリカは日本のハワイ攻撃を暗号解読で事前に知っていたが、アメリカ国民にどちらが悪いかをはっきり知らしめ、反戦モードを参戦モードに持っていく手段として、日本に先に撃たせたからか。

 

私、個人の主張は、白松 繁 著「その時、空母はいなかった・・検証パールハーバー」を読んで頂くとお分かり頂けますとおり後者となります。

 

3.アメリカの高校の歴史教科書である「The American Pageant」の中で真珠湾については、平和交渉中に突如攻撃された卑怯なだまし討ち ”Treacherous attackとか Sneak attack、Surprise assault” であったと説明されています(AssaultはAttackより残虐性を連想させる用語)。然し私の主張通りアメリカが事前に知っていたのであれば、”だまし討ち”とはならないのではないかと考えております。

 

一緒に真珠湾史実研究会を盛り上げて頂ける方は、”いいね”をクリックをしてくださいね。

 

これまでたくさんの方のご協力をいただき、心より感謝申し上げます。

  

真珠湾史実研究家 オフィシャルFACEBOOK

 

 


プロフィール


白松 繁(しらまつ しげる) 

 

1943年

・静岡県生まれ。1961年県立静岡工高卒。

1961年

・矢崎電線工業(株)入社後、矢崎グループ各社に勤務。研究開発、生産、購買、海外プロジェクトに従事。

2005年

・本社管理部門品質管理室副室長(参与)退任、嘱託。

2008年

・真珠湾史実の調査を開始。

2008 ~ 2013年

・米国国立公文書館5回訪問。

2012年

・「真珠湾の真実」の著者Robert Stinnett氏と5日間の面談。

2013年

・「そのとき空母はいなかった...検証パールハーバー」を文藝春秋社より出版。

2014年

・吉田一彦著「闇のファイル」の書評を”週刊読書人”に寄稿。

・静岡新聞社主催自費出版大賞コンクール 特別賞。(御殿場市長と対談)

2015年

・元真珠湾攻撃隊ゼロ戦パイロット原田要氏と対談。

・「そのとき空母はいなかった...検証パールハーバー」の電子書籍を22世紀アートより出版。

2016年

・同英文版「No Aircraft Carriers at Pearl Harbor-A Victory in War Intelligence」の電子書籍を22世紀アートより出版。

・真珠湾史実研究会設立(国内)。

・「真珠湾史実研究会」と「Pearl Harbor Attack and Admiral Yamamoto」のオフィシャルFacebookページを立ち上げる。

・「別冊宝島‐真珠湾特集」に”米国内の真珠湾論争”のテーマで寄稿。

・WAC社「歴史通」で、暗号専門家原勝洋氏と暗号解読のテーマにて対談記事掲載。