「病気が教えてくれた私の生きる道 

 

娘や未だ見ぬ孫のために、死ぬまでに何かを残したい─ 

 

インタヴュー :

石田 一馬 (元パン職人・彫刻家)

 

新潟県最西端に位置し、約4.5万人が生活する糸魚川市(いといがわし)。

 

糸魚川市の伝統、五穀豊穣を祈って神輿をぶつけ合う「けんか祭り」の日に笑顔で玄関から姿を現した。

  

日本に住む芸術家・クリエイターの数は、約 60万人にいると言われている。

 

さらに雇用、非雇用を含め、彫刻家、画家、工芸美術家の数となると、約12万人だ。

 

その中で、独学で作品を生み出し、世界的に活躍する彫刻家は一握りだろう。

 

その中に、カンボジア王国・副首相ソク・アンやオバマ大統領の祖父サラ・オバマ氏より、感謝状を頂いた1人の独学の天才がいることをご存知だろうか?

 

創作の話となると、誰よりも目を輝かせる男のインタビュー。

 

 


創苑 (SO-EN): 彫刻家 石田一馬 作品集  

電子書籍

定価:500円(税込)

石田 一馬 (著)

 

 

 

今までの私の人生は何であったのだろうか?と自問自答を繰り返した。 

 

会社や親兄弟のため、又、妻や子供にも何もしてあげられなかったことなど。

 

私はその思 いを心に残しながら手術室へと向かった。 手術は無事に終わり、今度こそこれからの人生を深く考えることができた。 

 

「死ぬまでに何かを残したい。娘や未だ見ぬ孫たちのために」。 

 

そう強く思うようになったのはその頃であった。 金も名もなく今、私に残せるものは何もない。 パン職人であるが故にパンやケーキは残せるが、永くは保たれない物。 

 

であるならば、腐らない物で形式となる物を残したいという考えのもと彫刻を始めた。 

 

特に私は人々の表情を彫ることとなった。

 

人生の刻みこまれた人の顔。

 

そんな顔を彫り続け、そしてこれからも人々の人生を彫っていきたいと思う。


オバマ大統領の祖父サラ・オバマ氏からの感謝状

 

フレンチポリネシア、タヒチ ジャッキ・ドロレ大統領との2ショット

 


インタヴュー : 石田 一馬 (元パン職人・彫刻家)


石田 一馬

ー以下、本人からのコメントー

 

私は、昭和9年東京浅草で生まれた。

 

昭和19年、私がちょうど10歳になった時、戦争によって家が焼かれ、家族10人は着衣一枚のまま新潟に疎開することになった。

 

貧しく食べ物もろくに養えない毎日。

 

一家は借金を抱え、私たち子供は学校すらもまともに通えず、私は中学を卒業と同時に住み込みでパン屋の職につくこととなった。

 

店主他3人の少ない従業員のなか、まともな休日などはなく年中無休の日々が続いた。

 

しかし、辛く険しい日々が実になりだし、やがてパン屋は100名の従業員を抱えるまでの会社となった。

 

私は、その一統を担う工場長となり、家族が残した借金も終わりを迎え、ようやく人生のスタート時点に立った思いであった。

 

しかし、運命は皮肉なものであり、人生の軌道がようやく見え始めた矢先、私の胃に穴があき、仕事中に倒れ入院することとなった。

 

胃潰瘍で直ちに手術しなければならない状況であったが、私の体は衰弱がひどく10日間の輸血を続けることになった。

 

その日々は想像を絶する苦しさで私は死を覚悟した。病室のベッドの上、苦しさのなかで、今までの私の人生は何であったのだろうか?と自問自答を繰り返した。

 

会社や親兄弟のため、又、妻や子供にも何もしてあげられなかったことなど。私はその思いを心に残しながら手術室へと向かった。

 

手術は無事に終わり、今度こそこれからの人生を深く考えることができた。

 

「死ぬまでに何かを残したい。娘や未だ見ぬ孫たちのために」。

 

そう強く思うようになったのはその頃であった。

 

金も名もなく今、私に残せるものは何もない。

 

パン職人であるが故にパンやケーキは残せるが、永くは保たれない物。

 

であるならば、腐らない物で形式となる物を残したいという考えのもと彫刻を始めた。

 

特に私は人々の表情を彫ることとなった。

 

人生の刻みこまれた人の顔。

 

そんな顔を彫り続け、そしてこれからも人々の人生を彫っていきたいと思う。

 

 

プロフィール

石田 一馬(いしだ かずま)

1934年、東京・浅草生まれ。新潟県西頸城郡在住。

 

 

2001 年

バトリョ邸芸術大展(スペイン)

アントニオ・ガウディ芸術大賞受賞

2001 年

日本ミレー友好協会展 新人奨励賞受賞

2002 年

サンクトペテルブルク国際殿堂展(ロシア)

国立美術館マネージュ認定授与

2002 年

東大寺無限展 無限展褒賞受賞

2003 年

中日美術作品交流展(中国) 日中栄華褒賞受賞

2003 年

新潟県・県彫刻展 新潟県知事賞受賞

2004 年

カルーゼル・ドゥ・ルーブル・美の革命展(フランス) グランプリ・トリコロー

ル芸術平和賞受賞

その他、イタリア、フィンランド、西オーストリア、ベトナム、メキシコなど数

多く海外へ発表。多数受賞。

 

 

インタヴュー :海野 有見

写真&テキスト:向田 翔一

 

 

これは、石田 一馬がこれまで語ることのなかった彫刻家としての想いである。


 

— おじゃましまーす!

 

石田 一馬(以下、石田):はいはい、どうぞー。

 

アンパンマンでおなじみのジャムおじさんを彷彿させるステキな笑顔だ。 

 

すぐに飛び込んできた彫刻作品。

作品の力強さに戸惑いつつも、あたたかさを感じる素敵な作品である。

  

— どれも力強いですね〜!

 

石田 一馬(以下、石田):ありがとうございます。でも、長年、創作してると、場所とって仕方がないですよ(笑)。

 

 本日はよろしくお願いいたします。

 

特設ギャラリーへ向かう。

 

姿勢の良いうしろ姿は、80歳を過ぎた今も若々しさに溢れていた。

 

ー 早速ですが、彫刻を始めたきっかけを教えてください。

 

石田:彫刻は50歳過ぎてはじめました。

 

ー そうですよね、たしか前職はパン屋さんだったとか。

 

石田:そうです。元々パン職人でした。

 

ー これはまた異色の経歴ですね。でも、どうしてパン屋さんから彫刻家に転向しようと?

 

石田:パンは食べればなくなるでしょ。何か形に残るものを作りたい、と思ったんです(笑)。

 

ー えーっ!ちょっと大胆というか、なんというか。

 

石田:そう、びっくりでしょ。でもね、そう思う理由が色々あったのよ。

 

ー なるほど、ぜひ伺いたいです。

 

石田:私は、昭和 9年、東京浅草に生まれました。その 10年後に、戦争によって家が焼かれて、家族 10人は着衣一枚のまま新潟に疎開することになったんです。想像つく?

 

ー 話の展開が怒涛でついていくので精一杯です。。。

 

石田:そうだよね。その頃は、しくて貧しくて食べ物もろくに養えない毎日でしたよ。

 

ー 戦中、戦後については、さまざまな文献で読んできましたが、本当に大変だったんですよね。

 

石田そうだね。家は借金を抱えていたし、私たち子供は学校すらまともに通えなかった。そこで、私は中学を卒業と同時に住み込みでパン屋の職につくことなった。

 

ー そこでパン職人の道に入ったわけですね。

 

石田店主の他に 3人の従業員だった。パン屋は人気があったから、まともな休日などはほとんどなくて、無休の日々だった。

ー それは、聞いたことがあります。戦後のお米不足の担い手として、パンが重宝されたと。

 

石田そうだね〜。そして、辛く険しかった日々が実になりだし、パン屋は、やがて 100名の従業員を抱えるまでに成長したんです。

 

ー 従業員 100名のパン屋!?

 

石田:当時として、かなり大きかったよ。そして、私は、その一統を担う工場長となり、家族が残した借金も終わりを迎えました。

 

ー そうだったんですね。

 

石田:はい。それこそ、ようやく私の人生がはじまった!スタート地点に立った!という思いでした。

 

ー はい。

 

 

娘や未だ見ぬ孫のために、死ぬまでに何かを残したい


 

石田運命というのは皮肉なものです。

 

ー えっ、何があったんですか?

 

石田人生の軌道がようやく見え始めた矢先、胃に穴があき、仕事中に倒れ入院することとなりました

 

ー そんな、、、これからなのに、、、

 

石田:さすがに精神的にもこたえましたね。胃潰瘍で直ちに手術しなければならない状況でしたが、これまでの過労がたたり体はひどく衰弱していました。10日間の輸血を続けるほどでした。

 

ー 10日間!?想像しただけでも正気ではいられないというか。

 

石田:そうでしょ。その日々はね、想像を絶する苦しさだった。

 

ー それこそ、命に別条は無かったのですか?

 

石田:病室のベッドの上、苦しさのなかで、今までの私の人生は何であったのだろうか?と自問自答を繰り返しましたね。会社や親兄弟のため、又、妻や子供にも何もしてあげられなかったことなど。私はその思いを心に残しながら手術室へと向かいました。

 

ー なんだかインタビューなのに涙が出てきましたよ、、、

 

石田:手術は無事に終わりました。

 

ー よかったですね〜、ほんとに。

 

石田:はい。これからの人生を深く、深く、深く、考えることとなりました。

 

ー なるほど。具体的にどういった感情が出てきたのですか?

 

石田:娘や未だ見ぬ孫たちのために、死ぬまでに何かを残したい。という気持ちですね。それこそ、金も名声もない当時、私に残せるものは何もなかった。パン職人であるがゆえにパンやケーキは残せるけれど、永くは保たれない物だと感じました。

 

ー そこで、彫刻が?

 

石田:そうですね。腐らない物、無くならない物で、私がやりたいことは何かないかと必死に考えました。特に私は人の表情を彫ることにしました。

 

ー それまたなぜですか?

 

石田:人生というものを深く考えたからかはわかりませんが、人生が深く刻みこまれた人の顔を尊く美しく感じているからですかね。

 

ー 石田先生だからこそ、感じ取れる部分かもしれませんね。

 

石田:そうだとうれしいね。そういう表情を通して、人々の人生を彫っていきたい、そして私自身の人生も皆さんの表情を通して彫っていければと思っています。

 

ー 本当に素敵なお話をありがとうございました。

 

 


 

最後に一言頂いた。

 

人生はあっという間です。やりたい事は、勇気を出して踏み出しましょう!

独学でも大丈夫!頑張っていれば、誰にでもチャンスは訪れますから!

 

 

プロフィール



石田 一馬(いしだ かずま)

1934年、東京・浅草生まれ。新潟県西頸城郡在住。

 

2001 年

バトリョ邸芸術大展(スペイン)

アントニオ・ガウディ芸術大賞受賞

2001 年

日本ミレー友好協会展 新人奨励賞受賞

2002 年

サンクトペテルブルク国際殿堂展(ロシア)

国立美術館マネージュ認定授与

2002 年

東大寺無限展 無限展褒賞受賞

2003 年

中日美術作品交流展(中国) 日中栄華褒賞受賞

2003 年

新潟県・県彫刻展 新潟県知事賞受賞

2004 年

カルーゼル・ドゥ・ルーブル・美の革命展(フランス) グランプリ・トリコロー

ル芸術平和賞受賞

その他、イタリア、フィンランド、西オーストリア、ベトナム、メキシコなど数

多く海外へ発表。多数受賞。