「人情派人気作家 - みむら毅とは

 

 人間の営み、つながりが好きなんです、私は。 

 

インタビューみむら 毅(作家

作家みむら 毅(みむら つよし)とは

 

本名・三村毅。昭和9年4月2日、兵庫県生まれ。関西大学文学部国文学科卒業。姫路市の公立中学校に32年間勤務。同人誌「幡火」に、俳句と小説を発表。

 

著書

雁皮の花 / 2007年(文芸社)

酒林祈願 / 2008年(文芸社)

堀川舟  / 2009年(日本文学館)

鬼灯   / 2010年(文芸社)

維新の椿 : 大高又次郎の生涯 / 2016年(文芸社)

 


維新の椿:500円 税込み(電子書籍)
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維新の椿 大高又次郎の生涯

みむら 毅 (著)

 

嵐、吹きすさぶ幕末の世に、時代を背負って闊歩した志士、大高又二郎。 時代の趨勢を担った思想家、吉田松陰とも出会い、影響を受けながら尊王攘夷運動を展開した偉人である。 

彼の生涯を、明治維新という時代の波に翻弄されながら揺れ動く一人の人間として繊細に表現する、一大スペクタクル! 

 

幕末から明治へと移行する、その分岐点の動向を見事に描き出す。

 

インタビュー   :海野 有見

写真 / テキスト:向田 翔一

 


インタビュー :   みむら 毅(作家)


  

ー ご無沙汰しております。そして、本日は、よろしくお願いいたします

 

みむら 毅(以下 : みむら):お久しぶりですね、よろしくお願いします。

 

ー 早速ですが、出ましたね、新作。以前、もう新作は書かないっておっしゃってましたけど、新聞に広告が載っているのを見まして、急いで買いました。

 

みむらありがとう(笑)。

 

ー 今、売れていますか?

 

みむらどうだろうね(笑)。でも、以前から地元では売れないんですよ。今回の新作は、むしろ地元の人に読んで欲しいんだ。もともと地元の人のために書いたものなので。

 

ー 本の最後に書かれていましたね。

 

みむら私が教員として現役だった頃に教育長さんがずいぶんと親しくしていただいてね。ここは、姫路市林田は、わずか一万石の藩だけどいろんなことを教育長さんが話してくれました。勿論、教育庁から郷土史を編纂し、発表されました。それに載せられなかった話とか、私に全部話してくれたんですね。

 

ー それは、貴重な体験でしたね。

 

みむら:そう、それをね、次の世代に語り継がないと、私で終ったら切れてしまうから。そういう責任感もあって、林田藩の物語として本に残そうというのが、書いたきっかけですわ。

 

ー そうだったんですか。

 

みむらずっと聞いたことを思い出してまとめたつもりですわ。次第に「維新の椿」を書きながら、主人公・又次郎を育てたお父さんと私が思う理想の父親像が重なってくるわけなんです。こういう親になりたかったんやというね。

 

ー みむら先生は、理想の父親にはなれなかったと?

 

みむら:私はたいした父親ではなかったね。私は古い人間だから。現職時代、40代の頃ですわ。学年主任をやってたときに保護者会でお母さん方が集まっていました。あるお母さんから質問がありました。「どうやったら我慢する子になるのでしょうか」という内容でしたね。

 

ー これは、今のお母さんの悩みでもありますし、永遠のテーマですよね。

 

みむら私は、例えで野口英世の話を出したのよ。野口英世があれだけ社会的に有名な医学者になったっていうのは、お母さんが辛抱して子供を育てた姿勢だと思うわけ。お父さんは、お母さんの着物を質屋に持っていってお酒を飲んだ、けどそれを我慢して子供を育てたのよ。だから我慢は、お母さん方にないって私が言ったら、ずいぶんしかられちゃいましたね(笑)。

 

ー 学校では、何を教えてたんですか?

 

みむら国語です。国語学を学んで国語の先生になろうとしたんだけど、途中で田舎だから美術の先生がいなくて。それで、武蔵野美大で教員養成の課程があって、2年間でそこ出たら中学の美術の免許を取れる制度があったの、昔は。だから編入で武蔵野美大行って、いわゆる内地留学ですね、夏休みに出ていって単位とって、美術の免許を取って、美術と国語と教えてました。教師になって6年目ぐらいで武蔵野美大行ったかな。田舎の小規模な学校は二つ教えるなんて普通なんです。その後は、ずっと生徒指導畑を歩むことになりました。

 

ー 生活指導ですか。これはまた大変なポジションですね。

 

みむらあの時代は、どこもかしこも学校が荒れててね。だから、需要はあったんだけど、荒れてる学校ばっかりまわされるのよ、私。やっと荒れがおさまってきたなって思ってたら次の学校。また荒れてる。その繰り返しだったね。行った先で、例えば、夏休みあけの9月、体育大会はじめるから午後練習するってなって、日体大の新卒の先生が号令台でね、生徒集めるために集合かけるんだけど、全然集まらないの。つっぱってる連中は日陰に座ってね。で、私が職員室から出てきて歩いていると、親父がきたぞー!ってなってぞろぞろ動きだすわけ。逃げるように歩いてくんだよ。子供は朝礼台に集まりはじめるわけ。他の先生が、「三村くん、あんたはすごいな」と。私、そんなに威厳を持って怒ったりしないんだけどね。生徒たちが親父、親父言って、親父があだ名でね、練習でもみんなさぼらんように運動場をうろうろ歩くの。体育大会当日も、若い体育の指導の先生たちがしきって、私たちは椅子に座って応援してるんだけど、後ろをずっと歩いたりするだけ。そんなのがずっと続くと嫌になっちゃうよね。

 

 

別の世界のことをしてみたい、、、


 

ー それで通常の定年よりも1年早い59歳で退職されたんですね。

 

みむら:1年早くやめて、別の世界のことをしてみたいと思ったの。別世界。ちょうど姫路駅が改装になった時にね、地下街が売りだしていたから、一度、水商売がしてみたいと思って。うどんやでもいいし、食べ物やでもいいし、水商売しようと思うって女房に伝えたら、「そんなんいやだ」と。

 

ー まあ突然のことで、奥様の驚かれたでしょうね。(笑)

 

みむら:そう、ついていけないと。それでもお願いして、最終的には、10年間だけ好きにしていいよと言ってくれました。当時、絵も描いていて、鴨居玲(かもい れい)先生や宮本 三郎(みやもと さぶろう)先生から指導を受けていて、二期会の同人だったんです。

 

ー そうでしたか。二期会にも驚きですが、指導を受けていたお二方にさらにびっくり。有名な洋画家作家ですよね。

 

みむら:二期会の場合、東京でまず展示して、最後は大阪の美術館に帰ってくるでしょう。その時に自分の作品を取りにいったり、片付けにいったり、当番にいく帰りに通天閣の下の飲み屋によっていて、なじみになったお店の人が、ここやめて他に新しい店出すっていうから、これは良いなと。

 

ー 素晴らしい指導者といい、ご縁に恵まれますね。

 

みむらお店は改装したばっかりなのに、ここはどうするのって聞いたら、誰かに譲るっていうから、これなんぼで譲れるって聞いたら、私で払えるぐらいの金額だったから、それならやってもいいかなと。それですぐに、マスターを雇って、お店を借りました。商業ビルでね、一階に飲み屋さんとかパチンコ屋があるんですわ。店が10万円、部屋が10万円。部屋は週末私が出て行ったときに使うのと、3LDKで10万円。あそこは治安が悪くてね、だから安いの。暴力団がいるし、いわゆる日雇いみたいな人たちの地域だから、家賃が安いの。だから10万円でやれたわけ。

 

ー 飲み屋さんの経験もなしによくできましたね。

 

みむら:平日は雇いのマスター1人に任せて、私が金曜に行って金・土・日と手伝って、月曜の朝自宅に帰ってくるという生活を10年間やったよ。そしたら、近所の人がうわさで、あそこのご主人大阪にええ人がいるんと違うって噂してました(笑)。きちっと10年間という約束を守ってお店をやめました。女房との約束だからね。

 

ー 素人が突然はじめて10年なんて、なかなか続くものじゃないですよね。これまで教員として学んだことが生かされたんでしょうか。

 

みむら:まさにそうなんですね。はじめてから半年くらいかな、ちんぴらがやってきてね、マスターが何にしましょうと聞くと、ビールっていうからビールだして、これなんぼじゃと聞くから、うちはみんな何を食べても飲んでも700円もらっていますと。そしたら高いだのぼったくりだの騒ぎだしたので、もしこれがぼったくりなら警察いってこいと。うちもマスターも生活していかないといけない、だからこれが高いなら警察へいってきてくれと言いました。

 

ー おお、生活指導の時の経験が生きたのでしょうか。

 

みむらそしたら、他のお客さんいるのにさらに暴れてね。そしたら、みんながどうやってけじめをつけるか見てるわけですよ。私もドキドキですよ。

 

ー お店の信頼を獲得するチャンスですね。

 

みむらだから私は、「これはあんたが注文して出したものだから外へ出てどぶに捨てようと犬にやろうとあんたの勝手だ。だから他のお客に迷惑かけるならこれ持って帰ってください」言うて、帰ってもらった。そしたら、こんな店潰してやるって言ってたけど追い返したんだよ。他のお客さんがオーナー腹が座ってるなーって言うわけで、信頼を獲得したことは大きかったですね。あの時、ちんぴらに一度でも甘い汁をすわせたらつけあがってくるとこでした。そういうのをチンピラはねらっているからね。私はそういう付き合いはしたくないからね、それ以上近寄ってはこなかったよ。

 

 

作家としての思いとは、、、


 

ー では、10年間のご商売のあとに、ついにデビュー作を書いたわけですね。

 

みむら:はい、書き始めました。59才で教師をやめて、68才でお店をやめて、他に何にもすることがなくなって、まあ暇つぶしとボケ防止を兼ねて。とある雑誌から連絡があって俳句を載せてもらうことになったら、若い時に教えた生徒が、芦屋のカルチャー教室に講師で来てとなって、自分の勉強だと思って引き受けました。また俳句の勉強をして、芦屋と神戸と姫路の街中とこの近くの、四箇所で俳句の選者となった。そしてご縁あって、文芸社から「雁皮の花」を発表したという流れですね。

 

ー デビュー作ということで、色々な思いが込めらていたかと思いますが、特にどういう人に向けられたメッセージだったのでしょうか。

 

みむらそれはね、帯かあとがきに書いてあるように、あ人間の絆が薄くなっていくのがとても寂しいんだよね。親が子を殺したり、子が親を殺したりね、夫婦でありながら別れていくのもひとつの宿命かもしれないけど、親が死んで財産争いだとか、そんな人間の絆が寂しいなというのが最初に小説を書いたメッセージであり、動機かな。

 

  ー 教育者として長年向き合ってきた部分がやはり大きかったわけですね。それらは、5作目になって少しずつ変化してきていますね。

 

みむら:そうだね。ただ、林田藩の人間の絆とか、親が子供を育てるという姿勢は最初の「雁皮の花」から変ってないと思うんやわ。親が子供を育てる姿勢いうのはね、自分はそんなに育てられなかったけどね。

 

ー やはり一貫して教育者なんですね。

 

みむら古い形の教育者かな。人間の営み、つながりが好きなんです、私は。人と人のつながり。ひとなつっこいというのもあるかな。騙すよりも騙されたい。嘘ついてるのがわかっても、あえて言わないし騙されておきたいね。騙すつもりはなくても人に嘘つくことはあると思うし。なんだか自然といかにも教育者みたいなこと言うてるけども自分で、あー今、人の不幸を喜んでるやないかっていう場面もある。そりゃしょうがないと思ったりするよ。

 

 

最後にメッセージを頂いた


 

みむら読者の世代で、二十歳は二十歳なりに、三十は三十なりに、四十は四十なりに、自分の世代で自分の生き方で読んで欲しいと思う。それで自分の生き方のヒントになるなり、目線が定まればいいなと思う。

 

 


プロフィール


みむら 毅(みむら つよし)

 

本名・三村毅。昭和9年4月2日、兵庫県生まれ。関西大学文学部国文学科卒業。姫路市の公立中学校に32年間勤務。同人誌「幡火」に、俳句と小説を発表。

 

著書

雁皮の花 / 2007年(文芸社)

酒林祈願 / 2008年(文芸社)

堀川舟  / 2009年(日本文学館)

鬼灯   / 2010年(文芸社)

維新の椿 : 大高又次郎の生涯 / 2016年(文芸社)