「リーダーに必要な3つのこと」
─町の再生に尽力した元町長から学ぶリーダー術─
対談 :
川田 弘二 (元 茨城県阿見町 町長) x 向田 翔一 (22世紀アート代表)
茨城県阿見町という町をご存知だろうか。
阿見町(あみまち)は、茨城県南部、首都圏近郊といっても、地域によっては自然の緑が豊かに残り、日本第二の湖「霞ヶ浦」の南岸に位置する町である。稲敷郡に所属し、現在、関東地方で最も人口の多い町である(全国4位)。
人口増加を実現させたのは、紛れもなく川田 弘二 元町長の舵取りによるところが大きいだろう。
人口増加は、町づくりにおいて最重要課題であるということは言うまでもない。
だからこそ、人口増加を達成するために、長期にわたり綿密な改善計画が必要だった。
霞ヶ浦の水不足や水質問題、ゴミ問題、自然保護、医療、福祉、生涯学習、交通機関や道路の整備、保育所の設置、商業施設の誘致、国際交流支援など、数え上げればきりがない。
今回は、阿見町のリーダーとして、16年にわたり町政に取り組んできた川田 弘二が、リーダーにとって大切なことについて、電子書籍出版社22世紀アート代表の向田へ徹底指導した。
川田 弘二(著)
親しき人々との邂逅、その記憶から甦る数々の思い出……。 茨城県阿見町長としての職務のかたわら、画家、作家、学者らとの時空を超えた交友を通じて垣間見える、著者ならではの視点による軽快な記録の数々。「文芸阿見」「広報あみ」などに掲載された文章を中心として編み出された知性溢れる文芸・芸術交流記録。
首都圏近郊のまちづくり - 住民への報告と語りかけ・折々のこと
川田 弘二(著)
私は茨城県の南部、首都圏の近郊とはいっても、地域によっては自然の緑が豊かに残り、日本第二の湖「霞ヶ浦」の南岸に位置する、阿見町の町長です。この阿見町は、戦前、海軍航空隊・予科練の町として、全国にその名を知られていました。
インタビュー : 川田 弘二 (元阿見町町長)
川田 弘二(かわたこうじ)81才
1935年(昭和10年)5月19日生まれ。
土浦一高を経て東京都立上野高校、東京大学農学部農業工学科卒。
茨城県に約32年在職。この間、農地部長、企業局長を歴任。
1994年(平成6年)阿見町長就任。4期16年勤め、2010年(平成22年)退任。この間、茨城県町村会長、全国町村会副会長。
著書
「町長室の窓から」(筑波書林)1999・3・20
「町長室の窓から」―第2集―(筑波書林)2002・4・10
「町長室の窓から」―第3集―(筑波書林)2006・7・3
「町長室の町から」―第4集―(筑波書林)2011・3・3
「主都圏近郊のまちづくり」(文芸社)2005・2・15
※「町長室の窓から」1・2・3集を元に編集。
「県庁舎の窓から」(常陽新聞社)2001・12・10
「文芸雑記」―思い出の記など―(岩波出版サービスセンター)2013・3・20
向田 翔一 (むかいだ しょういち) 35才
1981年埼玉県生まれ。株式会社22世紀アート 代表取締役。
平成26年12月、電子書籍出版社、株式会社22世紀アートを設立。
20代、一般社団法人ハートアートコミュニケーションの事務局長として、国立新美術館でのチャリティー展を企画・運営の指揮をとる。作家、クリエイターが抱える問題や悩みに直面し、それらを改善すべく会社を設立。現在に至る。
写真 : 海野 有見
テキスト:向田 翔一
町の再生に尽力した元町長から学ぶリーダー術
川田 弘二 (以下 : 川田):雨の中、遠いところからわざわざすみません。どうぞおあがりください。
和室へ着くとあたたかいお茶を頂いた。
ふすまには、所有している小林一茶・句 夏目漱石・書 小川芋銭・画の作品のコピーがあしらえてある。
壁には、柳州市図書館から寄贈された魯迅の詩がかかっていた。
敷地内には、5軒ほどの2階建の家が立ち並び、家族で使っているとのこと。その内、1軒は書庫として使用しているが、それについてはまた後ほど触れていくとする。
リーダーにとって必要なこと①
川田:まあ、お茶飲んでゆっくりしてから始めましょう。
向田:ありがとうございます。いただきます。
川田:今日の記事もインターネットで公開されるわけですね。ITっていうのは、どうも苦手でね(笑)。
向田:おお(笑)そのあたりはこちらにお任せくださいませ。
川田:はい、よろしくお願いしますね。
16年間の町政活動から学んだ点について伺った。
向田:では、早速ですが町長として当初から心がけてきたことをお伺いしてもよろしいでしょうか。
川田:まあ町長ってのは、いわゆる政治家だよね。でもね、私の場合は、もともと政治家になるという意識があったわけではなかったからね。
向田:そうでしたね。それについては、本(川田 弘二 著「首都圏近郊のまちづくり - 住民への報告と語りかけ・折々のこと」)の中にも書いてありました。
川田:そうだね。だから、県庁を退職して、すぐに選挙活動、町長に就任という流れだもんだから、怒涛でしたね。ただ、そういう状況だから多くを考えるというよりは、シンプルなことを考えていた。
向田:と、言いますと?
川田:リーダーにとって必要なこと①は、「わたくしごころ」「私心(ししん)」を持たないということ。
向田:私心を持たないことですか。
川田:そうだね。とにかく自分の利益を先にどうしても基本に考えてしまいますが、これが問題ですね。町長になって以来、ずっと思い続け、気をつけてきたことです。
向田:やはり良好な人間関係、信頼関係を築くためにも重要なことですか?
川田:そうです。人というは、一人では生きていないのですから、政治家だけに限らずね、全ての人にとって本当に一番大切なことだと、私は思いますね。
向田:ついつい私利私欲に目がくらみそうになる私にとっては、耳の痛いお話しでございます。
川田:これはね、継続していく中で身につけていくものですね。ですから、その為に、何か特別なことをしたことはなかったですね。日々の心がけが大切なのです。
向田:はい、がんばります。
リーダーにとって必要なこと②
川田:そして、リーダーにとって必要なこと②は、これも当たり前のことですが、何が必要なのか、そのためにやるべきことをしっかりと認識し、常に念頭におくということね。
向田:はい。
川田:実際、まちづくりというのは、皆さんの協力が不可欠ですから、その方々の事や町の事などを理解し、将来を見据え、的確な期間計画を立てて、実行していくこと。
向田:これもまた難しいですね。
川田:実際、何をやるにしてもこれが大切でね。本当に改革を起こすなら少なくとも5年、10年かけてやらなければダメですよ。
向田:はい。これから経営を行っていく上でしっかりと意識していきたいと思います。
川田:そうだね。それこそ本当に良い町づくりをやるなんていうのは、数十年単位で考えるべきことなのだから、良い会社を作りたいのなら、そういう考え方をして、自分でものにしていくことが大事だよ。
向田:はい、勉強になります。
川田:まあ、これについては私もね、最初からできてた訳じゃなくてやりながら身につけていったものだから、今からやればいいと思うよ。どうしたって最初は難しいものだから。
向田:そうなんですね。
川田:特に今の政治を考えると、そういう点での見通しもないままに目先のことだけで、行っていることが多いように思いますね。
向田:政治だけでなく全体的にインスタントなものがすごく増えているように思います。それこそ、近年、出版されている自己啓発関連の書籍もそうですし、私自身も時間をかける行為がすごく苦手になっていることに今回のお話しを通して感じました。
川田:うんうん。そうだね。
向田:ただ、会社を経営して2年目。日々勉強の中で、時に短期での結果を求められることもあります。ついつい目の前の事に追われる日々を過ごしてしまうこともあるわけですが、町長の1期目は相当なプレッシャーの中、どのような仕事を行っていったのですか。
川田:そうだね、とにかく問題が山積みだった。
向田:なるほど。その問題の中で、まず着手したこととは?
リーダーにとって必要なこと③
川田:それは人だよ。まずは、人材の育成と強化を行ったんだ。といってもね、決してみんなが能力がないわけではなくて、ちゃんとした仕事をした経験がなかっただけなんだね。
向田:お〜、ついにきましたね。人材育成と強化。これは全てのリーダーの課題ですよね。
川田:そう。リーダーにとって必要なこと③は、人材育成だね。まあ、これも当たり前のことなんだけども。
向田:はい。ただ、これもまた難しいことです。
川田:経験っていうのは本当に大切なことなんですよ。きちんと考えて仕事をして、成果を出す。そういうことで人間っていうのは、育っていくわけだから。
向田:はい、私もそうでした。
川田:そうでしょ。だから、我々、管理者やリーダーが考えるべきことは、きちんとした仕事ができる環境と成果を出せる環境を整備することです。
向田:具体的にはどのような取り組みを行ったのですか?
川田:先ほども言いましたが、ある程度、経験があって自信ある人を県庁あたりから連れてきて、大事なポストについて、その人を一つの見本として皆が学ぶ環境を作ったわけです。
向田:まさに環境作ったわけですね。
川田:あとは、それぞれに対して、基礎から細かく指導をしていく。そして、やる気のある人間にドンドンチャンスを与え、自信をつけさせていくってことだね。
向田:なるほど。よほど若い会社でもない限り、年功序列は残っていると思っていましたが、早い段階で変えていったわけですね。
川田:やる気のある人間にチャンスを与えていく中で自然とそういうケースも出てきただけで、特に年功序列をどうとかっていう意識はしていなかったかな。
向田:このお話は、多くのリーダーを勇気づけるものになっているかと思います。これもまた一つの成功体験をレクチャーしていただいているわけですから。
川田:それならよかったよ。少なくとも私は、今日話をしたことを心がけた結果、多くの人に恵まれたと思っています。
向田:確かに。選挙で連続当選するというのは、まさに多くのご支援を頂いた結果ですからね。
川田:そうですね。町民および関係者の方々には、本当に良い機会を頂き感謝しております。
向田:本日は、若輩者の私たちに貴重なお時間を頂き、誠にありがとうございました。
川田:はい。こちらも、色々と思い出す良い機会となりました。ありがとうございました。
最後に岩波文庫がほぼ揃っているという噂の書庫を拝見させて頂いた。
本のコレクションが多い理由については、書籍《首都圏近郊のまちづくり》に書かれておりましたので、そちらを抜粋させていただきます。(「広報あみ」1999年2月号より)
川田:町長に就任して以来、本屋へ行く回数は大分減りましたが、それでも何とか暇を見つけては行くようにしています。本を買うことは、私にとって一つの活力源であり、あまり長い間本屋へ行かないと一種の禁断症状が起こるからです。
ちなみに、昨年の月別購入冊数を調べてみました。一月三三冊(うち文庫本・新書類一八冊、以下同)、二月一一冊(八冊)、三月二一冊(八冊)、四月三九冊(一八冊)、五月三一冊(一一冊)、六月二七冊(一二冊)、七月四六冊(九冊)、八月二六冊(一三冊)、九月二冊(〇)、十月四五冊(二〇冊)、十一月四四冊(九冊)、十二月二〇冊(九冊)。
さすがに忙しかった二月と、議会の開催とアメリカ行きが続いた九月の冊数は少なくなっていますが、その他の月ではかなりの冊数になっています。
これらの本は、本屋で買い求めるわけで、本屋との付き合いが大事になるのです。出来ることなら、週に二度ぐらいは、昼休みか勤めの帰りに気軽に立ち寄れる、質量ともに品揃えの豊富な本屋があることが望ましいのですが、現在の状況では望むべくもありません。
そこで、いろいろな工夫が必要になります。私としては、まず、限られた休日(予定の入らない休日はほとんどない)のひと時を利用して、つくば市のA書店、土浦市のB書店、C書店などに行くことにしています。それぞれに特徴ある書店ではありますが、正直言って、これらの店の品揃いはいまいちと言わざるを得ません。
その点、何年か前に我が阿見町のマルエツ内に開店した“文教堂”の存在は貴重なものです。人口 47,000 くらいの町にあれだけの売場面積を持つ書店が出現したことは、大きな出来ごとです。私は、地域内にどれだけ立派な書店が揃っているかは、その地域の文化レベルを表現する極めて大きな要素と考えています。そして、私は、県南地域有数の書店である文教堂が、地域の文化レベルを上げる書店として安定的に発展することを期待しつつ、極力利用させてもらうようにしています。
その他の工夫としては、これも回数は限られますが、東京、水戸への出張の際の時間の有効活用です。さすがに日本文化の中心である東京には、質量共に優れた書店がたくさんあります。私は、出張の際の昼休み時間、用件終了後の帰り時間などを利用してこれらの本屋に立ち寄ります。この頃よく利用するのは、東京駅近くの“八重洲ブックセンター”ですが、この書店はまさに日本一の本屋と言っていいでしょう。地階から七階まで、売場面積四、〇〇〇平方メートルのこの店は、さすがに品揃いは万全でついついかなりの冊数を買い込んでしまい、宅配便のお世話になることもしばしばです。
このほか、神保町の岩波ブックサービスセンター、便利がよくて品揃えもまずまずの、上野駅構内・キヨスク書店などもよく利用します。
また、水戸の場合ですと、かつて通い馴れたツルヤ・ブックセンターか駅前の川又書店。西武百貨店内のリブロも利用しやすい書店です。
本当の本好きにとって、古本屋との付き合いも極めて大切なものです。私も以前は岩波文庫の絶版本などを探し求めて、東京中の古本屋を歩き回ったものですが、この頃はとてもその時間的余裕がありません。せめて、つくば市へ行った際、何軒かある古本屋を回ってみるのがせいぜいです。
ところで、いつものことながら“本を買うのはいいが、どうやって、いつ読むのか”という問題はついて回ります。しかし、私の体験からすれば、“暇が出来たら読む”などということは決して実現しません。
その点で、私は最近面白いタイトルの本を買いました。題して“暇がないから読書ができる”(鹿島茂著、文芸春秋社、一九九八年九月)。なぜ、暇がないと読書が出来るのか、の説明をするための字数がここで尽きました。興味のある方は、購入のうえ、是非ご一読のほどを。
(「広報あみ」1999年2月号より)
プロフィール
川田 弘二(かわたこうじ) 81才
1935年(昭和10年)5月19日生まれ。
土浦一高を経て東京都立上野高校、東京大学農学部農業工学科卒。
茨城県に約32年在職。この間、農地部長、企業局長を歴任。
1994年(平成6年)阿見町長就任。4期16年勤め、2010年(平成22年)退任。この間、茨城県町村会長、全国町村会副会長。
著書
「町長室の窓から」(筑波書林)1999・3・20
「町長室の窓から」―第2集―(筑波書林)2002・4・10
「町長室の窓から」―第3集―(筑波書林)2006・7・3
「町長室の町から」―第4集―(筑波書林)2011・3・3
「主都圏近郊のまちづくり」(文芸社)2005・2・15
※「町長室の窓から」1・2・3集を元に編集。
「県庁舎の窓から」(常陽新聞社)2001・12・10
「文芸雑記」―思い出の記など―(岩波出版サービスセンター)2013・3・20
向田 翔一 (むかいだ しょういち) 35才
1981年埼玉県生まれ。株式会社22世紀アート 代表取締役。
平成26年12月、電子書籍出版社、株式会社22世紀アートを設立。
20代、一般社団法人ハートアートコミュニケーションの事務局長として、国立新美術館でのチャリティー展を企画・運営の指揮をとる。作家、クリエイターが抱える問題や悩みに直面し、それらを改善すべく会社を設立。現在に至る。