日露戦争従軍日記 : 駒のいななき

(著) 伊佐治春作

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作品詳細

[商品について]
―100年の時を経て蘇る日露戦争の真実―
1904年に大日本帝国とロシア帝国との間に勃発した日露戦争は、最終的にポーツマス条約により講和するまで、満州南部と遼東半島を主戦場として両国軍の兵士が激しくぶつかり合い、多くの血が流された。
本書は、その日露戦争に陸軍将校として従軍し、第九師団の一員として、乃木希典将軍麾下の第三軍の下、大連、旅順、奉天の戦線に参加した或る一人の将校のあしかけ三年にわたる従軍日記である。
日露戦争を内側から見たその記録は、戦争の実態を知り日本の歴史を知る上で、貴重な内容となっている。

[目次]

はしがき
本書の構成
目次
従軍日記
明治三十七年(一九〇四年)
〔金沢第九師団に応召〕
〔第九師団に動員令〕
〔広島宇品港出港〕
〔遼東半島柳樹屯上陸〕
〔第一回旅順総攻撃はじまる〕
〔第二回旅順総攻撃はじまる〕
〔砲兵中尉に昇進〕
〔第三回旅順総攻撃はじまる〕
〔二〇三高地占領〕
明治三十八年(一九〇五年)
〔明治三十八年新年を祝う〕
〔水師営の会見〕
〔旅順入城式に参加〕
〔奉天へ向け北進の途に〕
〔奉天会戦前夜〕
〔奉天占領〕
〔日本海々戦の捷報を聞く〕
〔第三軍戦利野砲大隊に転隊〕
明治三十九年(一九〇六年)
〔明治三十九年新年を祝う〕
〔帰還の途に〕
〔大連港出港〕
〔宇品港上陸〕
〔東京市の凱旋行軍に参加〕
従軍日録 駒のい那ゝ記(ななき)
明治三十七年四月八日 晴 召ニ應して郷関を出づ
伊佐治春作 略年譜
あとがき
〈付録〉

[出版社からのコメント]
近年は日露戦争に対する興味も高まっていますが、日露戦争のほぼ全ての期間を通じて戦地の日々の記録を目にする機会はそれほど多くはないかも知れません。本書を通じて、戦地の生の様子を目にして時代の空気を味読していただければ嬉しく思います。

[著者プロフィール]
伊佐治 春作(いさじ・しゅんさく)
明治十三年(一八八○)二月二十五日 岐阜県可児郡古屋敷村(中村を経て現御嵩町古屋敷)に庄屋(戸長)伊佐治與三郎の五男として生れる
同十九年(六歳)       四月 御嵩小学校入学
同高等科第三学年終了時に全科(終了年限四年)卒業の証書附与され、一年間金太校長の研究科にて中学科を履修する
同二十八年(十五歳)     四月 名古屋市の私立武揚学校(明倫中学校の前身)幼年科第三学年入学
同三十年(十七歳)      五月 同青年科二年の時、東京に出て私立郁文館中学第五学年入学
               九月 兄遼次郎が病没したため家業を継ぐべく休学して帰郷以後は独学に励む
同三十一年(十八歳)    十二月 陸軍一年志願兵として金沢の野線砲兵第九連隊入営
同三十四年(二十一歳)    二月 可児郡久々利村(現可児市)医師西山文雄三女・西山かひ子と結婚
               三月 任陸軍砲兵少尉
同三十七年(二十四歳)    四月 日露開戦に伴い第九師団野砲第九連隊に応召
               五月 動員下令(第九師団弾薬大隊第一歩兵弾薬縦列第一半縦列長
               七月 遼東半島柳樹屯上陸 旅順攻囲軍に従う
               十月 任陸軍砲兵中尉、叙従七位
同三十八年(二十五歳)    一月 旅順陥落後北進、奉天会戦に参与する
               二月 弾薬大隊第一歩兵弾薬縦列長
               七月 第三軍戦利野砲大隊附(大隊長渡辺中佐の准副官)
同三十九年(二十六歳)    二月 帰郷の途に就く
               二月 復員下令、二月十六日東京市の凱旋式に出場
               四月 功五級金鵄勲章、勲六等単光旭日賞授与
同四十年(二十七歳)     九月 可児郡中村村長に就任
同四十四年(三十一歳)    二月 帝国在郷軍人会可児郡聯合分会長
大正二年(三十三歳)     七月 中村村会議員
同十一年(四十二歳)     八月 文部省教員検定試験合格(国語・漢文科免許状下付)
岐阜県立東濃中学校教諭兼舎監拝命
昭和四年(一九二九)三月十九日   出生地にて歿す 享年五十歳

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