元小学校教師の作文集: 随筆、詩、短歌等

鈴木正二郎(著)

発売日:2015年9月12日

カテゴリー:

ライフ


 私は平成二十五年九月五日(木)の第十二回交友クラブ交流会において表彰を受けました。「交友クラブ」というのは、交友プランニングセンター・友月書房から自費出版した人や年刊同人誌『ふぉーらむ』に投稿した人たちを会員とするクラブで、年一回交流会を開いています。

 

 表彰を受けましたとはいうものの、何かが優れていたというわけではなく、十年間続けて投稿したというだけのことです。それでも、この年(八十三歳)になって表彰されるということは嬉しいことです。その嬉しさを形に表したいと考え、十年間の投稿文を一冊に纏めることを思い立ちました。

 

 昔学級担任をしていた時、児童に「文を書くことは考える力を鍛えることだ。作文をかきなさい。作文を書きなさい」と言って全員によく作文を書かせたものでした。ある時一人の児童が、「先生は『作文を書け、作文を書け』と言うけど、先生は書かずに僕等にだけ書かせてずるいわ」と言ったことを思い出しました。その教え子に応えたいという意を込めて、冊子の題を『元小学校教師の作文集』としました。

編集に当たって十年間の投稿文に

・教師一年目の学級の児童のエピソード

・教師生活の中核とも言える肢体不自由養護学校のエピソード

・障害児教育担当指導主事時代の訴え

・教師生活最後の学校での運動会の詩

・折々の短歌

等も加えました。

 

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子どもを思う優しい心と教師としてのすばらしい実践が見事に描き出された作文集=著書です。「三年四組の子どもたち」「運動会」などは出色です。(元 神戸大学学長 新野幸二郎)

 

著書の温かいお人柄が伝わってきました。教育は単なる技術では

ないということを改めて感じました。何より人間関係の中にこそ喜びや感動があることを思いました。(元 神戸大学発達科学部 学部長 小石寛文)

 

読み易い文と内容につり込まれ、一気に読了しました。

「定年退職お祝いの会」では著者のすばらしい生きざまが偲ばれ

ます。(元 国立兵庫教育大学教授 内藤勇次)

 

善意を善意でくるんだような著者の匂いが、すべてのページに溢れています。多くの人に読んでもらいたいと思います。

(元 兵庫県西脇市教育長 久保努)


創造の方程式:学びの職人

昭和のレトロ感漂う校舎のおもかげ

鈴木 正二郎(作家)

 

2017.06.01


コメント: 5
  • #5

    アナ (木曜日, 04 1月 2018 10:59)

    本作を読んで感じたのは、人間の「喜怒哀楽」だ。
    順不同にはなるが、それぞれについて感じたことを述べたい。

    まず「楽」についてだが、著者は教師として職務に真剣に取り組みつつも、世界を旅行し、見聞を広めながら人生を楽しんでいたことが伺える。現地で踊りに興じたときのエピソードは愉快だし、土ボタルを見たときの感動はおそらく著者自身もその全てを表しきれていないのではないだろうか。

    次に「怒」についてだが、著者は2つのことで母親から怒られたエピソードを語っている。1つは、うそをついて逃れようとしたときのこと、もう1つは、知的にやや遅れている友達をばかにしたときのことだ。おそらく、この母親の教えが著者自身の人格形成の根底にあり、それが後の教育者としての仕事に活かされているのだと思う。

    「哀」については、著者が母親と死別する前後の心情を綴った短歌に強く表れている。短歌という字数の制約があることで、よりストレートにそのときの気持ちが伝わってくる印象だ。戦時中、著者ら兄弟とともに死地同然の場所に留まり、一緒に死ぬ覚悟までした母親の「愛」ゆえに、より「哀」が深いのだと思う。短歌の中には、ひ孫の心情を綴ったものもあるが、自身も辛いときに「肉親の死」という哀しい別れを経験した後進を慮る、著者の教育者としての一面を感じる。

    最後に「喜」についてだが、教師としての喜びは、教え子の成長をおいて他にないだろう。教師を定年退職した際にかつての教え子らが開いてくれたお祝いの会で、成績が悪かった子や目立たなかった子が、社会に出て立派に活躍していることを知ったとき、著者はどれほど嬉しかっただろう。そして、運動会の詩にも表れているように、教え子にしても自身の成長がこの上ない喜びであるがゆえに、成長させてくれた教師に感謝の気持ちを忘れないのだ。殊に、著者が教え子から慕われていた理由は、生徒一人一人の個性をきちんと認めていたからだと思う。著者が記録していた本作冒頭の各生徒に関するエピソードは、著者自身が語っているように、生徒の心の動きを見るのに大いに役立ったことだろう。

    「すばらしい教え子さんに恵まれて、あなたはほんとうに幸せですね」という著者の妻の言葉、本当にその通りだと思う。

  • #4

    季節の風 (土曜日, 30 12月 2017 12:14)

    子どもたちの作文からは、今の学校からは消えようとしている一昔前の暖かさが伝わってくる。この作品は、まさに作者の生き様そのものであり、自分史としての集大成であると感じた。

  • #3

    齊藤嵐 (土曜日, 30 12月 2017 12:12)

    子供の視点は独特だ。大人ならうんとしゃがまないと見えないことも子供なら立っていても見ることができる。同じ出来事を経験しても、大人子供ではひどく感じかたが違う。

    しかし、この本では、著者は確かに子供の視点でものを見ている。膝を曲げ、腰をかがめ、子供がものを見る高さで見ている。

    加えて、子供にはわからないようにその姿勢をとっているんじゃないかと感じた。子供に寄り添っていることが子供にわからないように、子供に寄り添っている。

    それこそ大人にとってはなんでもない出来事も、経験値の少ない子供にとっては一生忘れられないことになることもある。そんな思い出が詰め込まれた本だった。

    もしも自分の先生がこんなことをしていたのなら、ぜひ読んでみたい。私にはどんなエピソードがあったのだろうか。

  • #2

    三郎 (月曜日, 18 12月 2017 09:40)

    初任以来退職するまで毎日『学級便り』、毎時間『国語便り』を発行しきたことを密かに自負する中学校の元国語教師の私。詩、短歌、小説の鑑賞では自作を披露し、作品への興味づけを図ったりもした。自らも書くようになったきっかけは筆者同様、「先生も書いてみろよ」の生徒のつぶやきだった。
     終活の手始めにワクワクしながら遺言書を書く老爺、その日の気分で書いては消して、追伸まで書き足す未練心……書くことの面白さを共有出来る同志がここにもいると心強く思いつつ、失礼かもしれないが、そんな筆者の姿を思い浮かべた。

  • #1

    噂野アンドゥー (金曜日, 15 12月 2017 03:45)

    この本を読んで、「教師って、生徒一人一人をちゃんと見て、ちゃんと育てているんだなぁ」と、感じました。