アメリカで学んだピアノで明治の洋楽教育に貢献し、海軍大将の妻として夫を助け、戦後の日米関係の修復に向けて尽力した「瓜生繁子」。その知られざる生涯。

瓜生繁子: もう一人の女子留学生

生田澄江/著

発売日:2017年12月16日

800円(税込)

装幀

カバー/22世紀アート

デザイン/22世紀アート


発行形態:電子書籍

ジャンル:教養



津田梅子、大山捨松と共に日本初の女子留学生として渡米。
アメリカで学んだピアノで明治の洋楽教育に貢献し、海軍大将の妻として夫を助け、戦後の日米関係の修復に向けて尽力した「瓜生繁子」。
その知られざる生涯。

ー本文よりー 
本書のヒロイン瓜生繁子(うりうしげこ)は、1879(明治四)年欧米視察の岩倉使節団とともに渡米した、最初の女子留学生の一人である。
一緒に留学した山川捨松、津田梅子は、すでに伝記もあり、読者もよくご存知であろう。だが女子教育のリーダーたらんと帰国した捨松は、大山巌公爵夫人として「鹿鳴館の花」という余りにも明治的な喧伝の中に自身の夢を閉じ込めてしまった。
津田塾大学の創始者となった津田梅子は、独身のまま、一途に学校経営にその生涯を捧げた。
だが彼女たちの世間的な名声の陰には、一抹の満たし切れなかった心情が見え隠れする。
一方、留学先のアメリカの大学で音楽を専攻した繁子は、近代日本の西洋音楽導入期に帰国し、すぐに文部省音楽取調掛に採用された。
日本語の読み書きの不自由な、捨松と梅子の焦りをよそにである。
音楽を専攻した幸運であった。その後、官立の東京音楽学校(現東京藝術大学)・東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大学)で音楽と英語の教鞭を取り、ただ一人の女性教授の地位にあった。
学んだものを確実に活かすことができた瓜生繁子。
その生き方が、どうしてか誤り伝えられていることに、筆者はずっと心を痛めてきた。
たとえば 「帰国して留学の成果を生かすことなく、さっさと結婚し家庭の人となってしまった」(『明治女性史 文明開化篇』村上信彦)とか「学業途中で帰国してしまった」「正規の学生ではなかった」(『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松』久野明子)などである。
留学中、繁子は、アナポリス海軍兵学校の留学生であった、スマートな海軍士官の瓜生外吉(うりゅうそときち)」と運命的な出会いをし、帰国後結婚した。
そして七人の子女を生み育てながら、国に恩を還すという使命感とキリスト教の信仰に支えられ、二十年もの歳月を、見事に家庭と職業とを両立させたのである。
日露戦争で功を立てた夫、瓜生外吉(海軍大将 ・男爵)の引退後は、雲行きの怪しくなった日米関係の改善に尽すべく、夫の良きパートナーとして再度の渡米をする。
しかし時代の潮流を押しとどめることはできず、この心労がやがて外吉を病の床につかせてしまう。
夫の看病に明け暮れた繁子は、自らも癌を患い、六十七歳で夫に先立った。
明治・大正という男性優位の時代、運命にあえて抗わず、しかも夫の出世を支え、子どもを育てあげ、自身の社会的地位も着実に築いた女性。
自立的に生きた典型的なヒロイン・瓜生繁子のしなやかな生涯をぜひ知っていただきたいと思う。

著書プロフィール


生田 澄江(いくた すみえ)

 

東京生まれ

東京声専音楽学校教員養成科卒業

明治大学文学部史学地理学科(日本近世史専攻)卒業

法政大学大学院人文科学研究科日本史(近代)専攻修士課呈修了

明治維新史学会会員

日本歌人クラブ会員

全国歴史研究会正会員

 

・著書:

『舞踏への勧誘—日本最初の国費女子留学生—』文芸社(2003)

『幕末におけるフランス艦隊の琉球来航と薩琉関係』文芸社電子出版(2003)

『瓜生繁子—もう一人の女子留学生—』文藝春秋社(2009)

 

・論文:

「『捕影問答』にみる大槻玄沢の対外認識—オランダ情報との関連において」法政史論第18号(1991)

『沖縄文化研究19』所収「幕末におけるフランス艦隊の琉球来航と薩琉関係」法政大学沖縄文化研究所所収(1992)

『近代日本の形成と展開』安岡昭男編 厳南堂書店所収「明治における初の国費女子留学生」(1998)

洋学史学会 大会シンポジュームのテーマ「幕末維新期の海外留学生」における「瓜生繁子」の発表とテーマのパネリスト(1997)法政大学小金井校舎にて

「ヴァッサー・カレッジにおける永井(瓜生)繁子—彼女の学んだ19世紀後半の西洋音楽—」法政史学第50号(1998)

 

・歌集:

『弾かないピアノ』ながらみ書房

 

・辞典の執筆:

安岡昭男編『近現代用語辞典』新人物往来出版

伊藤隆・季武嘉也編『近現代日本人物史料情報辞典3』吉川弘文館「瓜生繁子」を担当 他


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