子供達は、ゆがめられた生育を強いられてはいけない。

ゆがむばかりの教育環境

橋本 幸二/著

発売日:2017年10月19日

500円(税込)

装幀

カバー/j-dai

デザイン/22世紀アート


発行形態:電子書籍

ジャンル:ライフ



「日本の教育は素晴らしい。授業を公開して研さんする、ほかの教師たちと意見を交換し教師同士が高め合う研修形態が特に素晴らしい。世界の宝だ」これは米ミルズ大学のキャサリン・ルイス博士のコメントです。

 

私が初めて就任した公立の学校でも、当時こうした姿はごく当たり前だったのです。

校内での研修会はもちろん、地域での交流会などで先輩たちの、なんと多くのいろいろな取り組みを学ばせてもらったことよと、遠く懐かしむわけですが、ちょうど池田内閣の所得倍増論が実を結び始めた頃を機に、その「世界の宝」が惜しげもなく捨て去られる方向に動くばかりの教育界となったのでした。

教育委員会も職員会議も、宝の象徴だったはずなのに骨抜きにされ、教員たちは「上」の意のままに動く機器の役目を強いられるようになるのです。

 

その後は、ゆがむばかりの公立学校での教員生活でした。

体制に順応する柔軟性もなく、闘い続ける力もなく、ある同僚から「逃げるのか」などと詰問されながらも、自分でもそれを否定せずに、私立の学校に夢を託したのは仕方ない選択だったと述懐するのです。

私立といってもそのスタイルは様々です。しかしその共通する最も大きな利点は、学校が自立し主体的に運営できるということでしょう。下請けでない自らの手で子どもたちの成長に参与できることでしょう。そのことを実感できた教員生活でした。ここには「世界の宝」がしっかりと保持されていたのです。

行政は、学校を住民と教師たちの手に戻すべきです。

 

住民と教師たちに自分たちの義務と責任において学校を運営させる方向を考えるべきです。

今の形に固執するのであれば、教師個人の力量も学校の教育力も、減退の道をたどり続けることになるだけでしょう。そして有能な教員志望者を失うことになります。

子どもたちはゆがめられた教育環境の中での、ゆがめられた生育を強いられることになるのです。

こうした強い想いからの本書の出版です。

著書プロフィール


橋本 幸二(はしもと こうじ)

 

1939年岩手県に生まれる。

1963年弘前大学教育学部卒。

公立中学校教員(69年まで)。

1970年早稲田大学教育学部専攻科卒。

私立山手学院中高教員。2004年同校退職。

 

著書

『疎外の中の子どもたち』(2010年、一莖書房刊)


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コメント: 7
  • #7

    さーこ (金曜日, 14 9月 2018 18:04)

    日本の教育現場に絶望したくなりましたが、この現状に危機意識を持っている人がいる。著書がある。それを読む人がいる。まだ諦めるには早いかもしれない。絶望の中に、希望の光が残っている気がしました。

  • #6

    みっちゃん (金曜日, 14 9月 2018 18:03)

    がんだ教育環境に対する解決方法の1つが、家庭での教育を重んじること。正直、我が家ではやっているけど?と思いました。我が家はマイノリティなのか。少しの優越感と共に、不安が募りました。

  • #5

    あーちゃん (金曜日, 14 9月 2018)

    7歳と5歳の子供がいます。
    今の教育環境はゆがみすぎている。不安でいっぱいになりました。どうすれば良いのか。この危機意識を持つ人が1人でも増えること。この本を読む人が1人でも増えることだと思います。

  • #4

    あっちゃん (金曜日, 14 9月 2018 18:02)

    なんとなく気付いてはいたけれど、この国の教育現場の酷さを痛感しました。
    どうにかせねばならない。けれど、国の政策等に頼るのではなく、子供を「育てる」立場にある大人1人1人の意識を高める以外にない。なんとも単純で難解な課題なんだろうと思いました。

  • #3

    さきちゃん (金曜日, 14 9月 2018 18:01)

    日本の教育はこんなにもひどいのかと悲観したくなる内容でした。
    小学生と未就学児をもつ親としては憤らずにはいられません。
    文中にも指摘があるように教育従事者のみならず親の責任も多大です。自分の責任の重さを感じました。

  • #2

    三郎 (金曜日, 14 9月 2018 18:01)

    教員上がりという種族はどうしてこうも本を出版したがるのか?
     40年余教壇に立ち続けてきた私はそういう傾向に嫌悪感と共感という矛盾する感情を抱いてきた。自画自賛派、憂国派、ノスタルジー派、論文派……などなど、教員をリタイアした人の書く著作には幾つもの流派がある。
     ところで、この本のタイトルとあとがきに、オッこの人は!と私は同志を見出したのだ。
    『教育委員会も職員会議も、宝の象徴だったはずなのに骨抜きにされ、教員たちは『上』の意のままに動く機器の役目を強いられるようになるのです。その後はゆがむばかりの公立学校での教員生活……体制に順応する柔軟性もなく、闘い続ける力もなく……』
     私が教職に就いたのはまさにそういう状況下で、ちょうど筆者の世代が私の良き先輩(試行錯誤する私たち若手を照らす灯台のようだった)、悪しき先輩(ヌエのように上意下達、漱石の『 坊っちゃん』に登場する赤シャツ、野だいこ、狸のような人たち)の中心だった。
    『教員のマシーン化』、『……あまりにも読解指導に重きを置く国語教育、『書く』指導にももっと時間がほしい……』、『教員免許更新制、なぜ、何のために……』などなど、読み進むにつれ、そうだ!そうだ!と私は随所で膝を打った。
     現役の頃、しばしば新規採用教員研修会向けに授業公開を依頼された私は、年ごとに憂いを深めたものだ。軍隊でもマシーンでもあるまいに、いつの間にか全員が同じ色のリクルートスーツ――一事が万事なのだ。
     教員をめざす若者(特に教育学部の学生)、若い先生たちに是非読んでほしい一冊!
     国会や永田町、霞が関に出没する『先生』たちとゴチャにされないためにも。

  • #1

    ルッコラ (木曜日, 30 8月 2018 15:00)

    教育現場におけるゆがむばかりの現実が浮き彫りにされていて、説得力がある。病んだ教師たち、および子どもたちの救済に期待したい。