第16回書籍・電子書籍デザインコンペ

応募締切:2018年01月31日(水)

受賞発表:2018年02月15日(木)12:00

大賞賞金:各3万円(各1作品)

募集作品:9作品

 

  1. Sky In Stars - Yoriko Minegishi 
  2. 広野照海 - ナイチンゲールとマズロー 看護における二人の位置付け
  3. 安孫子十字 - 新編 句集 木の葉雨
  4. 板垣衛武 - 松江藩のお種人参から雲州人参へ 島根の歴史小説
  5. 平川弥太郎 - 石蕗の花  石見国の名族吉見氏の滅亡
  6. 平川弥太郎 - 孤愁の赤椿 メルシオル熊谷豊前守元直の殉教
  7. 平川弥太郎 - 白藪椿 毛利輝元の密謀
  8. 小谷稔 - 明日香に来た歌人
  9. 遠藤照男 - ゆめのプレゼント

特別募集作品

 

応募締切:2018年02月28日(水)

受賞発表:2018年03月15日(月)12:00

大賞賞金:10万円

募集作品:1作品

 

・HIROSHIMA COURT NAGASAKI COURT - HITOSHI TODA

  ※英訳本になります。

 

特別募集作品の大賞賞金額が、通常のコンテストと異なり「10万円」となっております。

また開催期間も長く設定されております。

たくさんのご応募お待ちしております!

 

弊社の電子書籍デザインコンペは、プロアマ問わずご応募が可能なコンテストになります。

本の作者様の製作意図に沿い、デザイナーの皆さまのセンス溢れる本の表紙作品をお待ちしてます!

 

「ブックデザイナー」をされている方、これから目指される方。

 

採用されることで、あなたが作った表紙デザイン作品がAmazonに表示されます。

今後の活動履歴として是非アピールにご活用してください!

 



特別募集作品

 

著者名:

HITOSHI TODA

 

タイトル:

HIROSHIMA COURT

NAGASAKI COURT

(書籍) 

 

ジャンル:外国語翻訳

 

受賞:1作品

賞金:10万円

 

応募はこちらから

 


ー本文からの引用ー

『HIROSHIMA COURT』より

(Little Boy) At 1:45 a.m. on August 6, 1945 the Enola Gay, a B-29 bomber, took off from Runway A on Tinian Island carrying the atomic bomb Little Boy. Captain Colonel Tibbets and 12 other people were on board.

Two minutes after the takeoff of the Enola Gay, at 1:47 a.m., a second B29, the Great Artiste, an atomic bomb scientific observation aircraft, took off. This was followed another two minutes later, at 1:49 a.m., by a third B-29, Necessary Evil, a camera plane.

Sixty eight minutes prior to the takeoff of the Enola Gay, to be precise, at 0:37 a.m. on August 6, three B-29 weather reconnaissance aircrafts took off, one after another. Straight Flush, Jabit III and Full House were heading for Hiroshima, Kokura and Nagasaki, respectively. 

 

 

『NAGASAKI COURT』より 

Since the airplanes flew into the World Trade Center on 9/11, there has been support for the revanchist approach of “an eye for an eye, a tooth for a tooth”. While I once had a meal at the restaurant on the highest floor of the World Trade Center, I went down to the floor directly below it on foot, as guided by a local lawyer. The pillars of the building which were surrounded by a sturdy steel frame were covered with white asbestos. At the time of the building’s collapse, it was reported that there was white smoke being emitted, but this was in fact asbestos being scattered. It is possible that the damage to the public inflicted by this may give birth to more hatred in the future.


著者名:

Yoriko Minegishi

 

タイトル:

Sky In Stars

(書籍) 

 

ジャンル:文学

 

受賞:1作品

賞金:3万円

 

応募はこちらから

 


ー日本語版からの引用ー

 

猫の目を気付かいて放す夏蝉の

 泊りて今朝は飛びたち行きぬ-(本文より)

 

短歌で旅する歌人・峰岸順子。

春のすがすがしい芳香醸す草木を楽しみ、夏は夏とて蝉や猫を定点観察然と見つめる。

本書では、そんな巡る季節の中で著者がふと思い立ち気付いた出来事や美しい情景を、思いのままに歌い上げます。

日常に眠る華やかさに気付かされる1冊です。 

 

 ※本作品は英訳本になります。

 


著者名:

広野 照海

 

タイトル:

ナイチンゲールとマズロー

看護における二人の位置付け

(電子書籍) 

 

ジャンル:ライフ

 

受賞:1作品

賞金:3万円

 

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昭和六三(一九八八)年九月二二日、東京有楽町の第一生命ホールで、日本赤十字看護大学教授(当時・後に学長)樋口康子先生の講演会が開催された。演題は「看護の本質の追求」だった。

樋口先生はアメリカで一六年間看護学を学ばれた方と紹介があり、講演が始まった。

その初めのほうで、樋口先生は「看護の本質はいまだ明確になっていません」と述べられた。これは予期しないことで、まさに青天に霹靂の思いがした。看護の本質がいまだ不明確とは納得がいきかねた。

樋口先生の講演会の日、私が会場に入ったのは講演が間もなく始まろうとする時間で、七百人定員の会場はほぽ満席の盛況だった。「看護の本質」を追求しようとする方々がこんなにもたくさん、これは心強く思えると同時に、いまさら「看護の本質」を追い求めなければならない方たちが、こんなにもおられるのかといささか複雑な思いがした。

樋口先生の講演会の際、もう一つ忘れがたい場面があった。

講演が終わり、何か質問はありませんか、と司会者が声をかけてきたときだった。一人の方が質問に立ち長いこと話していたが、話は終わらず、講師の樋口先生が声をかけられ、質問の要点はどういうことかと尋ねられた。質問者はなかなか言葉が出てこず、答えられない様子だった。

 

「看護の本質」に関する課題は講演後の質問すらこのようで、手も足も出ないことを物語っているように私には思えたのだった。

私は三十代半ばで高等看護学院に学んだ。授業に先立ち、クラス全員で「ナイチンゲール誓詞」を斉唱した。確信に満ちた調子に、力強さが感じられた。あのとき、クラスメイトの誰もが看護とは?といった疑念を抱くことはなかったように思う。看護の基本的課題はナイチンゲールが解決済み、そのように思い込んでいた。

国立多摩全生園に在職中、患者自治会機関誌『多磨』誌の編集を担当されていたKさんのお勧めで、看護に関するエッセイを連載させていただいた。その後、入園者のSさんのお勧めを頂いて、昭和六三年六月、それらを纏め自費出版した。題名の『看護のこころ』はSさんから頂戴した。

看護とは一口に言ってどういうことか、答えられるものがほしい。それが講演会参加の申し込みの動機だった。

講演を拝聴後、看護について納得のいく答えがほしいという思いは増した。そうした過程で出会った書籍に『複雑系』がある。


著者名:

安孫子 十字

 

タイトル:

新編 句集 木の葉雨

(電子書籍) 

 

ジャンル:文学

 

受賞:1作品

賞金:3万円

 

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ー本部よりー

折々ノートなどに書き散らしていたものが、ある程度溜まって来ましたので、整理の都合もあって、このたびまとめてみることにしました。ここ十年ほどの間に作ったものが、忠臣になっております。

ことさらお見せするほどのものではありませんが、少しでも記憶に残していただけるものがありましたら、幸いだと思っております。

 

折々は愚痴を伴ひ冴え返る

山焼いて危ふかりしと一くさり

麦を踏む男時々空を吸ふ

古里を見渡す丘の麦を踏む

深梅の便り水茎までもよき

鶯の姿なき声見上げたる

人形の器量を選ぶ春の店

ここかしこ涸沼を染めて萌えはじむ

桃一木咲き満ちて今庭の主


著者名:

板垣 衛武

 

タイトル:

松江藩のお種人参から雲州人参へ

島根の歴史小説

(電子書籍) 

 

ジャンル:文学

 

受賞:1作品

賞金:3万円

 

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ー本文からの引用ー

 

松江藩の僻地で陽当りの悪い田ばかりを持つ小山家の息子新蔵は十三歳で家を出た。

旅立つ日、母が稗や粟を混ぜたご飯を炊き、祝ってくれた。いつも水っぽい雑炊ばかりだったからご馳走だった。毎年繰り返した凶作、長雨か旱魃で米の収穫は激減して、一家四人が糊口をしのぐのに四苦八苦していた。

宝暦の大飢饉が起きていた。

母方の叔父が新蔵を引き取りたいと申し込んできたのは小山家にとり渡りに舟だった。一人口が減ると大助かりだ。

熊山のおじじは、玉造温泉の中にある松江藩主の御茶屋の番人をしていた。連れあいの婆さんを亡くし、気弱になって勤めが辛くなった。だが辞めるのは惜しく、誰か無報酬で手伝ってくれないかと思案するうち、小山に手ごろな息子が居たのを思い出した。早速、玉湯川を逆登り、いくつも山を越え苦労して小山新蔵をもらい受けに行った。願いはすんなりと通った。熊山のおじじは子供の頃の新蔵しか知らん。

「たしか女の子のような可愛い男の子だったがな」

御茶屋には松江藩主がお泊りになるから、例え小者でも、田舎者まるだしのむさくるしい感じでは困る。新蔵は十三歳になっていた。期待した以上の紅顔の美少年になっていたので、熊山のおじじは安心した。おじじは約束をとりつけると、急いで御茶屋に帰って行った。


著者名:

平川 弥太郎

 

タイトル:

石蕗の花

石見国の名族吉見氏の滅亡

(電子書籍) 

 

ジャンル:文学

 

受賞:1作品

賞金:3万円

 

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ー本文からの引用ー

 

うすい乳色の柔らかな明かりが部屋を満たしていた。先ほどから目覚めていた上領太郎左衛門行定は、少しずつ障子の輪郭が浮かび上がっているのを慈しむように眺めていた。ここ数年前から彼は春の訪れを感じるために、四月に入ると十日間だけ雨戸を閉めずに眠ることとしていた。警護する家士たちは不用心を懸念したが、これだけは譲らなかった。慶長四年(一五九九)の今年は閏三月を迎える昨夜から始めていたのである。

その静寂の中で馬蹄の音がかすかに聞こえ、次第に大きくなり、門の前で止んだ。家士たちの動く気配を察して、太郎左衛門が衣服を整えていると、用人の木山左八があわただしく奥の間に来て、吉見氏の筆頭家老上領九郎左衛門頼規からの使者が来たことを告げた。

(兄上の使者とは大形なことよの)

太郎左衛門はまだ暗い廊下を通って、表の間に入ると、そこには御近習組の波多野弥三郎が灯りの下で緊張した面持ちで控えていた。波多野氏は吉見氏の所領の一つであった能登国から町野氏や水津氏とともに石見国に移った譜代の臣で、代々吉見七人衆と呼ばれていた。弥三郎の父波多野左馬允頼武はいまも物頭を勤めている。

「重大事が生じましたので、至急ご家老上領九郎左衛門殿の屋敷にお越し下さいますよう」

太郎左衛門が着座するのを待ちかねるようにして、弥三郎は口上を述べた。

「相分かった」

太郎左衛門はしばし無言のまま凝視した。

「昨夜から御殿様(吉見広行)のお姿が見えません」

弥三郎は声を潜めて答え、

「これからご家老堀加賀守殿のところにも参りますので、ご無礼いたします」

といって席を立った。

「何と、長次郎(広行の幼名)様が走られたか」

座敷にのこった太郎左衛門は呟きながら、これまでかすかに感じていた不安が現実になったことを悔いていた。


著者名:

平川 弥太郎

 

タイトル:

孤愁の赤椿

メルシオル熊谷豊前守元直の殉教

(電子書籍) 

 

ジャンル:文学

 

受賞:1作品

賞金:3万円

 

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ー本文からの引用ー

 

平成十九年(二00七)三月四日、報道機関は、ローマ教皇ベネディクト十六世が翌四月に江戸時代初期に日本各地で殉教したカトリック信者の百八十八人を福者に列する、と一斉に報じた。

カトリック信者は、死後に徳と聖性が認められると、福者に列せられる。そして、福者は聖人に準ずるものとして、カトリック信者から公的に崇敬される。近年の福者としては、平成十五年(二00三)十月にローマ教皇ヨハネ・パウロニ世から列福された、インドの修道女マザー・テレサが広く知られている。

発表された福者百八十八人の中に、萩城(指月城)下で主君毛利輝元([応町)に討たれたメルシオル熊谷豊前守元直がいる。慶長十年(-六0五)七月一日の夜半、毛利輝元の討手が熊谷屋敷を取り囲み、二日の未明にメルシオル熊谷元直の首を落とした。元直は足利義昭、豊臣秀吉、徳川家康をはじめ、多くの大名からも知られた毛利氏の重臣で、毛利家中のカトリック信者たちを束ねる頭領的存在でもあった。メルシオル熊谷元直の死は、カトリック信者たちの嘆嵯だけでなく、人びとにも大きな衝撃を与えた。

福者の発表に先立つこと二十四年、昭和五十八年(一九八三)三月にキリシタンの墳墓や遺跡を熱心に研究・調査しているイエズス会の神父が、山口県の山間の地で大きな椿の赤い花を見上げていた。その顔は知性にあふれ、神父というよりも、むしろ大学の教授のようであった。

赤い花を咲かせている古木の椿の下には、祠と子安観音像が置かれ、祠の中には小さな地蔵がある。その姿は上半身のみで、胸の前で両手を合わせている。このような合掌像は、一般に伴天連墓と呼ばれるが、実は、キリスト教の奥義·三位一体を象徴しているといわれる。

先ほどまで、神父は、合掌像の地蔵を調べ、祠と子安観音像の位置を測っていた。そこは荒廃しているが、屋敷跡のようである。

古くからひらけた村では、古木の椿を大切に守ってきたが、その樹齢はわからないという。

神父を案内した土地の者は、祠と地蔵、それに子安観音像の由来も知らない。

キリシタン殉教の歴史にも詳しい神父は、奇妙な姿をした地蔵と子安観音像がキリシタン

に関わるものであることに気づいており、キリシタン弾圧が始まったとき、信者が「赤いバラの花」の代わりに「赤い椿の花」を用いたことも知っていた。

案内者は神父から名前を告げられたが、スペイン風の長い名前なので覚えられなかった。


著者名:

平川 弥太郎

 

タイトル:

白藪椿

毛利輝元の密謀

(電子書籍) 

 

ジャンル:文学

 

受賞:1作品

賞金:3万円

 

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ー本文からの引用ー

 

手入れの行き届いた庭に、透き通った日差しを浴びて、白くほっそりとした椿の花が咲いていた。

(奥山の八尾峯の海石榴 つばらかに 今日は暮らさぬ 大夫のとも)

綾木大方は南に面した居間に座って、その花を見ながら、『万葉集』の歌を口ずさんだ。

若い頃、山ロ・善福寺の如町上人大一庵から和歌や連歌を習っていたとき、上人が『万葉集』に載る椿の歌九首を教えてくれたが、その中でも、綾木大方は大友家持が上巳の宴で詠んだこの歌が一番好きであった。

いまは亡き夫の内藤修理大夫元盛が、幼い娘福と桃の節句を祝っていた姿と重ね合わせていた。夫元盛の死後、内藤綾は綾木郷の所領にちなんで綾木大方と言われている。

萩城下の平安古にある内藤家の庭では、鶯が頻りに囀っていた。

(清明〈旧麿二月〉になって、よく鴛が鳴くようになったこと)

その姿を探して呟いた。

「大方様、福原のご内室様がお見えになりました」「そう、こちらにお通ししておくれ」

それから綾木大方は、侍女の夏に茶を持ってくるように頼んだ。娘の福は部屋に入ると、

「まあ、起きていらして大丈夫なのですか」

驚いた様子で綾木大方の側に来た。

「やっと、昨日からこうして普段の生活に戻っています。もっとも、四、五日前から床上げをするように頼んだのですが、夏が気遣ってくれて、ぐずぐずしていたのですよ。還暦を過ぎると身体が弱るのでしょう、風邪を引きやすくなって…」

「もうお年ですから、ご用心なされませんと」

そう言いつつ、福は少しやつれた綾木大方の横顔を見た。今年、寛永七年(一六三0)の春は寒く、立春(旧暦一月)を迎えた日に長門国の萩でも大雪が降り、綾木大方は風邪を引いて床に伏せっていたのである。

「武家の庭に椿があるのは珍しいのですが、加尻のお父上が、白藪椿がお気に入りでね、わざわざ下男の佐吉に植えさせたのですよ」

椿の枝に鶯がちらと姿を見せた。

「この白薮椿は、元の屋敷から移したものです」

強い日差しを避ける場所がよかったのか、移植された白藪椿はしつかりと根付いて葉を茂らせている。

二人はしばらく黙ってその花を見ていた。


著者名:

小谷 稔

 

タイトル:

明日香に来た歌人

(電子書籍) 

 

ジャンル:文学

 

受賞:1作品

賞金:3万円

 

応募はこちらから

 


ー本文からの引用ー

 

本書で扱う「明日香」は、現在のいわゆる行政区画としての「明日香村」に限定するものではなく明日香村に隣接する現在の橿原市、桜井市、高取町の一部をも含む「明日香」を中心としてその周辺を指すものとしている。『明日香村史』の「文学編」の箪者吉田精一が「きりをつけるため明日香村およびその近傍に中心をおいた」としているが、本書もそれと同じ扱いである。

また「明日香に来た歌人」という「歌人」は明治の近代短歌以後の歌人を対象としている。橿原考古学研究所の末永雅雄、網干善教らの高松塚古墳の発掘調査中、石室内部に極彩色の壁画を一九七二年(昭和四十七年)三月二十一日に発見して以来、明日香村では重要な埋蔵文化財の発見が相次いで今日まで見学の人たちが絶えない。しかしそれまでは飛鳥、藤原の宮のあった歴史上の古都としての重要性は認識されていたが、明日香を訪れるのは限られた人たちにすぎなかった。

明日香地方に万葉集との関係で実地を踏む歌人が明治後期からわずかながら出現する。正岡子規は写生による俳句改革を二十歳代の若年に着手して成果を挙げたが短歌についても写生による実作を試みた。子規が万葉集の価値を認めたことは『歌よみに与ふる書』(明治三十一年)の第一回の冒頭に、「仰の如く近来和歌は一向に振ひ不申候。正直に申し侯へば万葉以来実朝以来一向に振ひ不申候」と「万葉以来実朝以来」と、ためらわず断定している口調に歴然としている。この子規の万葉尊重の影響下に万葉集の研究、万葉調の歌作が盛んになったが子規をはじめ実地の万葉の故地を見に来る歌人はなかった。子規門の長塚節は子規没年の翌明治三十六年に近畿を中心に大旅行をして、明日香にも来てわずかながら短歌を残している。明治に歌人で明日香の地を踏んだのは、管見の限りでは長塚節が最初である。明治に明日香に来た歌人としては長塚節、佐佐木信綱、釈逗空(折口信夫)、尾上柴舟の四人は確かである。

そして大正になると歌人の明日香来訪もいくらか増えてくる。アララギは作歌の範としての万葉集の鑑賞に力を入れ、島木赤彦の「万葉集の鑑賞及び其批評』の啓蒙的役割は顕著なものがあった。大正期アララギの歌風が注目される傾向と共に歌壇人も万葉の明日香への注目度が増していった。昭和期になると斎藤茂吉の『万葉秀歌l(上下)が昭和十三年に出版されて今日まで版を重ねつづけている。万葉学はますます精緻を極めて進んでいるとき茂吉の『万葉秀歌』はすぐれて啓蒙的な役割を保ちつづけている。この昭和期は長い戦時をかかえて昭和十五年「皇紀二千六百年」には、国威宣揚の国策によって神武天皇を祀る橿原神宮の神域が大拡張されて勤労動員が大規模に行われ、全国から延べ百二十万人の勤労奉仕作業が行われ「神宮の森」が整備

された。その昭和十年代、アララギの土屋文明は万葉故地の丹念な実地踏査をして『万葉紀行j「続万葉紀行』の二つの著作をまとめ、『万葉集私注』に集大成されている。土屋文明と釈逗空は明日香に来た回数も抜群に多いので、本書でも多くのスペースを充てた。

明日香村では地下から貴重な文化財が発見されるたびに多くの古代史や考古学愛好の人が訪れるが万葉時代の豊かな創造性に惹かれ、その現地明日香を訪れて抒情表現の再発見、再認識の一助にされることを願っている。

本書では明日香に来訪して歌を詠んでいる歌人を選んでその作品を収めている。明日香散策の伴侶として、各歌人の個性や抒情に親しく触れていただければと思っている。

 


著者名:

遠藤 照男

 

タイトル:

ゆめのプレゼント

(電子書籍) 

 

ジャンル:ライフ

 

受賞:1作品

賞金:3万円

 

応募はこちらから

 


ー本文からの引用ー

 

新聞の運勢欄を見ていると、毎日異なったことが書いてある。それだけ刻々と毎日変わるのであれば、おそらくl分一秒ごとにこれ又変化しているのではないか。実に自分の生まれた年齢と十二年違いの人と全く同じ運勢だとは、どのように考えて見てもいただけない。生まれたばかりの人の今日の運勢と、十二歳の人の運勢、

二十四歳の人の運勢が、全く同じであったのであれば、今日は結婚に良き日だとすれば、何歳の時の運勢なのか、自分の年齢に適するのか否か、そしてどれだけ自分の運勢を調べて見ても、近々交通事故に遭うとか、自殺をするであろうなどと言う運勢はでないもの。だとすると、どの人も死相が出ていても死ぬが、死ぬまで当ててはならないものであり、当たっては困るものであるだけに運勢は自力で更生して行く以外に方法がなく当たって良い運勢と当たらない方が良い運勢があるものだ。

又、人相と年齢にしても、同じように毎日努力をしている人の相は何の努力もしていない時と比べれば、わずか三ヶ月で相はおのずと変わって来るものであり、三年ごとに自分の手相をコンピュータ占いで見ても、ありありと表れるものであり、自分の運勢は自分で変えるもの、努力するもの、自力以外に他人を利用したりするものではなく、まぎれもない努力の事実だけが刻々ときざみこまれた相こそ、人相であり、手相であり、運勢であると言う事実の報告書であって、自分が何に向いているのかとか、これからこのようになるのだと言う知らせではなく、悪い所は必ず自力で更生して見せますと言う、自分の努力目標であり、良い報告書は今すぐ忘れてしまうことによって、より以上好転の吉日を身につける習慣を毎日の日課として、自分の方向性を正して行くものであって、自分の運勢が今日は良いから晴々とした気持ちで一日を過ごせたとか、自分に何か都合の悪いことが起きて来れば、やはり今日の運勢の通りになったとか、悪いことが起きて当たったとか。外国では十三日の金曜日が縁起の悪い日などと、まことしやかに何かにかこつけてやはりと思わせるのは、まことに何の努力も向上心も持たず、ただ運を天にまかせっきりであったり、自分の運勢や寿命は決まりきっているのだと言うことを、自分で自覚をしているような愚かな人が出る始末では、自分に何度でも当てはめて見るが良い。どれだけ自分が自信を持って正しいことを貫き通した人生を送って来たか、正しいことだが恥ずかしいからとか、他人が見ている時だけと言う陰、日なたな目立ちたがり屋の自分ではなかったか。バクチ的なものに自分がひきずられ、運がよかったとか悪かったと言って毎日の努力がお金を賭けての遊びごとにたわむれていたり、勝負の世界で自分を試していたりしていないか。努力とは自分に鞭を打って正しいあり方を義務づけて行くに過ぎない。


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