挫折を繰り返しながらも夢と希望を賭けたブラジル移住

実体験による青春回顧録。

ブラジル物語

坂根 修/著

発売日:2017年10月27日

500円(税込)

装幀

カバー/竹内なぎ

デザイン/22世紀アート


発行形態:電子書籍

ジャンル:ライフ



ー本文よりー

移民船 - 彼女は二段ベッドの上で、むっくりと身体を起した。その眼はうつろで視線が定まらずなにかに憑かれているようだった。足でサンダルをまさぐり、それをひっかけて船室のドアを身体で押し開けるようにして出ていった。 
船室は六畳間ほどの広さで、その鉄製の壁には腰の高さのいたる所に手すりが取り付けられている。 
天井は低く窓には丸く厚いガラスが埋め込まれており、時おり波しぶきが打ち当る。二段ベッドが二組セットされており、それをはさんだ中央に、小さな机が置かれていた。
向かいの二段ベッドの船客である春日夫婦は山梨県の出身で、ご主人はブラジルで自動車の整備 工場を経営している。今回は花嫁さんを連れてブラジルに帰る途中である。 
彼等は食事に出ていた。船側の配慮によって、食事は常に一室の二組の夫婦の一組ずつと決められていた。プライバシーの守れない移民船の中で、貴重な三十分の時間帯である。 
私は二段ベッドの上から彼女の一部始終を見ていて背筋の寒くなる思いがした。その様子はたしかに異常であり恐怖すら感じた。私は慌てて彼女のあとを追った。あとをつけられていること などまったく関心を示さず、船倉一階から二階への階段を、さらに三階への階段と、手すりに身を預けながら追い越す人もすれ違う人にも無表情に歩きつづけた。それは夢遊病者のようであった。

著書プロフィール


坂根 修(さかね おさむ)
1944年東京生まれ。 
1962年都立農芸高校卒。 
東京農業大学在学中に南米ブラジルに渡る。
10年後に帰国、2年ほどサラリーマン生活のあと、埼玉県寄居町で営農の傍ら「皆農塾」を開く。
1989年皆農塾分室を愛媛県肱川町(現大洲市)に開設。 

著書
『都市生活者のための ほどほどに食っていける百姓入門』(1985年、十月社)
『痛快、気ばらし世直し百姓の塾』(1987年、清水弘文堂発行)。
『脱サラ百姓のための過疎地入門』(1990年、清水弘文堂発行)。
『ベーシック・インカム(国民配当)投票に行ってお金をもらう構想』(2016年、文芸社)。
『日本の進むべき道 ベーシック・インカム』(2016年、文芸社)。
『明日のための疎開論』(2017年、文芸社)。


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コメント: 1
  • #1

    三郎 (土曜日, 30 12月 2017 13:37)

    本作品の著者の経歴に思わず膝を打った。1960年代、私もまたブラジル移住を夢見た一人で、私は夢を捨て日本に残ったが、敢然とブラジルに渡った友の顔を思い出さずにはいられなかった。
     お互い田畑乏しい零細農家の倅で、「アマゾン河の流域には未開拓の大地が広がっている」「学歴関係なし、努力と頑張りで報われる世界だな」と、二人で語り合ったものだ。
     今も、少年時代のままの実家の私の勉強部屋の本棚の上には南米移民船『ぶらじる丸』の模型が飾られている。角材を削って一月がかりで作り、「凄い、これで行くのか!」と友を感嘆せしめた船。「もし俺が成功したら、お前を俺の農園に招待する」「失敗したら、俺が骨は拾ってやる」
     両親に連れられて友が南米に旅立つ日、中学生の私は手垢で汚れた一冊の本を手渡した。
    「これはありがてえなあ。向こうで役に立つはずだ」
     その本は食べられる野草を網羅した図鑑で、餞別としてそれ以外私には思いつかなかったのだ。

     それから幾星霜、友からの音信はとっくに途絶え、風の便りでは南米ボリビアで行方知れずになったという今、私はこの作品を読みながら、自分が移民船(私が作った模型のぶらじる丸の姉妹船あるぜんちな丸という名前に船マニアの私は感慨無量)に乗っているような臨場感に酔った。そして、こういう作品は日本人の遺産としてきちんと語り継いでいくべきと考える。海外からの移民受け入れ、難民支援について論ずる際のベースとしても。