看護を通じて、感謝のこころを忘れないことが大切と教えられる一冊。

ハンセン病療養所:精神科病棟

広野 照海/著

発売日:2017年5月21日

500円(税込)

装幀

カバー/22世紀アート

デザイン/Nien.T


発行形態:電子書籍

ジャンル:ライフ



 病というものの起源をさかのぼれば、生命誕生の瞬間にまでたどり着くことは言うまでもないが、これを病気として概念化したのは人間であり、その意味から病気とは、人間の歴史そのものと言っても過言ではない。即ち病気の歴史はそのまま人間の歴史となって理解されることとなる。

 

 しかしそうは言っても、人間の生命には身体と精神とが併存しているのだから、なかなか思うようにはいかないのである。何だか知らないが気持ちが落ち込んだり、気がめいったりするということが誰しもあるだろう。もちろん私にだってある!……けれどもその精神状態をバネにして突き進んでゆく気持ちが重要なのであって、そのためには喜怒哀楽を素直に表出することが大切なのだと思う。

 

 喜怒哀楽。日常の生活において私たちは、これをうまくコントロールして生きている。しかし精神がひとたび病に侵されると、このコントロールが正常に行なえなくなり、落ち着かない、落ち込む、怒る、不安感などの症状に悩まされることとなる。こうなると日常生活を正常に行なうことは困難となってしまう。ましてや身体の病(例えば本書におけるようなハンセン病)との合併ともなるとなおさらである。そこで精神的なケアが必要不可欠となる。

 

 そこでナイチンゲールの看護理論による患者優先のケアが大切になってくる。看護の立場とはいつでもここにあり、患者とのコミュニケーション、特に会話の重要性が指摘されるということに関して、何か納得する自分がいることにドキリとする。

 

 広野氏の本書におけるような患者への愛情とは、いつでも温かな眼差しをもって患者を広い視野で見つめている。本書を読むと、こちらも温かな気持ちになってくる。つまりそれだけ広野氏の心が温かいということであり、まさにナイチンゲールの視点を臨床の場において実践されてきたことが、本書を成立させたのだということがよく分かるのである。

著書プロフィール


広野 照海(ひろの てるみ)

 

大正14年 岩手県に生まれる。

太平洋戦争中軍属として東南アジアに従軍。

戦後は看護助手として精神科病院に勤務。

昭和37年 岩手高等看護学院卒業。

昭和38年より国立療養所多磨全生園に勤務。

昭和61年 3月定年退職。

平成7年10月より看護論研究会を主宰。

平成18年 放送大学卒業。

 

日本看護協会会員

東京都看護協会名誉会員

日本文芸家協会会員

日本精神科看護協会会員

 

著書

『看護のこころ』(短歌新聞社)

『看護論への歩み』(ゆみる出版)

『看護のめぐりあい』(けやき出版)

『ナイチンゲールとマズロー』(さんこう社)

『広野照海作品集(小説)』(近代文藝社)

 


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コメント: 4
  • #4

    3代目ざるそば (木曜日, 04 1月 2018 10:57)

    私の妻が全生園のすぐ近くで生まれ育ったため、以前よりハンセン病問題への関心は高かった。加えて映画『あん』を観たことでさらに興味は深まったが、なかなか東村山のハンセン病史料館まで足を運ぶ機会は得られなかった。そんなおり読んだ本書は、ハンセン病療養所の実態を過不足なく伝えてくれる貴重な資料として非常に感銘を受けた。やはりハンセン病史料館へ足を運ばねばならぬと痛感した。

  • #3

    若き人材 (土曜日, 30 12月 2017)

    この本は、担任の先生に紹介された。読む前はこの本を読む理由がわからなかった。しかし私はこの本を読み、「学ぶ」という言葉が頭に残った。ハンセン病については授業で習ったため、ある程度の知識はあった。しかし、授業で学ぶことと、体験者の言葉から学ぶとでは、大きな差があるように感じた。この本は、私に「学ぶことの意味」を教えてくれた。筆者は最後に、「ハンセン病から学ぶことは多い」と書かれていた。人権の尊重や、生活の向上、その通りだと感じた。そして私が1番印象に残ったものは、「人類が戦争に時間を裂く余裕はない」という文章だ。グサリと胸に刺さった。私は今、高校三年生だ。世間の大人には、日本の未来を担う若き人材と言われ、政治のことや経済のことなどを学んできたが、私達は今の日本しか見ていなかったと気付かされた。今の日本は過去の出来事から学ぶことが多くあるのではないか、と。その一例がハンセン病だ。今の学生でハンセン病のことを知っている人がどれだけいるだろうか。きっと多くはないと思う。私はこの本を読み、ハンセン病患者の犠牲の上に成り立つ日本があったことを知った。これはこの本の学びがなければ知り得なかった事である。「学ぶ」という言葉は、難しい。誰のための言葉なのか。それはきっと今の日本、世界、さらには自分の為にあるのだと感じた。「学ぶ」ことは決してやめてはいけないものだ。私がもし、「学ぶ」ことをやめていたらこの本とは出会わなかっただろう。そしてこの本からハンセン病について学ばなければ、私の「学び」は終わっていた。この本はこれから日本という国の社会に飛び込んでいく私にとって一度立ち止まり、考えるきっかけになった本である。これからの生活の向上のためにも、この本は私にとって大きな意味があったと感じている。

  • #2

    三郎 (土曜日, 30 12月 2017 13:27)

    本書を読みながら、私は少年時代のある情景を思い出した。
    裸電球の下、子供達が待っていると、オッチャンの自転車オートバイ(自転車に簡単なエンジンがついた、そんな乗り物が昔はあったのだ)の音が暗闇から聞こえてくる。使用済みの花輪や卒塔婆用の板木がしまってある、お寺の倉庫の片隅を借りた珠算塾。オッチャンが褒美でくれる菓子や飴玉欲しさに塾は繁盛していた。
     しかし、ある噂が立った途端、そこから潮が引くように子供達の姿が消えた。「あの病気は伝染するんだ」と父(父が悪いのではない、いわれなき偏見に罪があったのだ)に言われて、私も通わなくなった。
     村を去る日、傾きかけた借家から乳飲み子を抱いて現れたオッチャンは、遠巻きにして恐る恐る見守る子供達に寂しげな笑みを浮かべ、「グッバイ」と手を振った。
     
    筆者と同様、精神科医の神谷恵美子のハンセン病の患者に向けての詩の一節にこうある。
    『あなたは黙っている。かすかに微笑んでさえいる。ああしかし、その沈黙は、微笑みは長い戦の後にかち得られたるものだ』
    個人的には克服出来ても、社会的には平成八年四月「らい予防法」が廃止されるまで続いた長い戦い。

    『否応なしに、患者さんの心は、こちらにおしよせてくる。そこで、対面させられるのは、病苦、失明、疎外、生死の問題など、いわゆる実存的なカテゴリーのものが多い……私は精神医学の限界を痛感するようになった』――辛いのは身体以上に精神の病。筆者の患者への優しく、温かな眼差しにこの神谷恵美子の随筆の中の言葉と同質の愛を感じた。精神科医においても助けられないという歯がゆさ、辛さ、哀しさがその眼差しの根底にあるのではないかと。私事ながら私の弟も精神科医で、病気を治せず無力感を感じたこともあると寂しく笑ったこともある。

  • #1

    よしのちかこ (木曜日, 07 12月 2017 09:25)

    患者さんは小さなことでも一喜一憂します。その小さなことでも見つけ出していく、それが看護師の使命であります。ハンセン病は未だに差別がある病気でもあります。見た目のみならず心に関しても。この本では一人一人の事例を挙げて、看護師が患者さんと取り組んで来たことが書かれています。そのやり取りの中で人間とはこうも変わりゆくのかわかると思います。病に寄り添う看護師を知ってください。

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