「桜狩」と「短歌往来」に発表した作品に手を加えた作品集。

しずごころなく : 福永由香子歌集

福永 由香子/著

発売日:2018年4月18日

800円(税込)

装幀

カバー/桜餅

デザイン/22世紀アート


発行形態:電子書籍

ジャンル:文学



―本文よりー

優雅に水面をすべる水鳥が水面下では脚を動かし続け、穏やかな流れに見える川も、その川底では絶えず浸食を繰り返しているように、人間もまた日々心を戦がせながら営みを続けているのかも知れません。そのような思いも込めて表題と致しました。

本集には「桜狩」と「短歌往来」に発表させて頂いた作品に少し手を加え三三九首を収めました。お暇な折にでもご高覧頂ければ幸いでございます。

著書プロフィール


福永 由香子(ふくなが ゆかこ)


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コメント: 5
  • #5

    三郎 (火曜日, 25 9月 2018 16:54)

    長期入院であくびばかりしている母に、「これを参考にして短歌でも詠んでみたら?」と、与謝野晶子の『みだれ髪』を渡した。わざわざ発刊当時と同じ装丁の、ノスタルジックな復刻版を買って。
     ところが、翌日私からちょっと視線をそらせて米寿過ぎの口からこんな言葉がこぼれた。
    「お前なあ、自分の親にこういう本を読めとはどういう神経をしとるんじゃ。『柔肌の熱き血潮に触れもみで悲しからずや道を説く君』だとよ」
     イヌサフラン首より咲けり悔いのない青春なんて……と思わせながら
     この歌集の冒頭の一首(最後まで読ませるかどうかの鍵、歌集の顔と私は思っている)に、私は今は亡き母の顔を重ねた。『みだれ髪』を渡した息子に苦言を呈したが――。
    「耳の汚い男は嫌い」――そう言って、春の陽光の差す縁側で父の耳掃除をしていた母。「いい人ではなかったけれど、いい男だったよ」――父の通夜の席で、そうのろけた母。
     そんな我が母の如く、この歌集の作者も生々しい感性の持ち主と見た。

     無学な母は俳句も短歌も縁がなかったが、歌を詠めることははたして幸福なのかどうか?
     
     その時までは確かにあった幾万の会話も絆も呑みて津波は
     ざっくりと引き裂かれたる日常の無念は泥の中のアルバム
     春耕の鍬を拒みて堆し瓦礫にこもる思い出の数
     ――震災を詠んだ一連の歌に戸惑う私。
     境界の向こう桜の花の下牛馬ひたすら死を待つばかり
     放射線漂う空の晴れわたり峠越えれば故郷の村
     これらの歌は、今年の3月11日14時46分、原発の町富岡で海に向かって黙祷を捧げた私に、その町が桜の名所であることを思い出させずにはおかない。
     忘れたいけれど、忘れられない、忘れさせるわけにもいかない。
     ――そんな水面下でもがく水鳥の脚を思い浮かべつつ、歌を詠むという営みについて考えさせられた歌集だった。

  • #4

    ナフナン (水曜日, 05 9月 2018 17:48)

    涼しい顔をしながら人知れず悩み苦しむ人間の本質が、ありありと短歌の形で表現されています。親子関係を始めとして、人間がしっかり観察されていて、共感できます。

  • #3

    トマト (水曜日, 05 9月 2018 17:48)

    どきりとする詩が多数収められていて、読みごたえがあります。人間の本質をえがいているようで、自分と向き合い、正直な気持ちになれます。

  • #2

    あみちゃん (水曜日, 05 9月 2018 17:47)

    「しずごころなく」花の散るらん。
    周りの穏やかな様子に反して、自分だけどうしてこんなにもどかしいのだろうという心情が伝わってきます。

    そんな自分のことを見る誰かもまた、穏やかな印象を受けるのでしょうか。

  • #1

    さきちゃん (水曜日, 05 9月 2018 17:47)

    短い言葉に思いを込めるのは難しいものですが、よく表現されている。
    病気のお母さまの描写がなんとも切ない。絶望と切なさがひしひしと伝わってきました。