日本書紀10の秘密: 隠された倭国と日下

(著) 矢治一俊

Amazon

作品詳細

[商品について]
―もう、無邪気に卑弥呼の国を「邪馬台」と書くことはできない―
白村江の敗戦を機に「日本」と改名した「やまと」は、「神武天皇から続く日本列島唯一の国家である」とする歴史書『日本書紀』を編纂した。この『日本書紀』の記述を『新唐書』をはじめとする中国史書と比較すると、そこには何らかの歴史操作がなされているという事実が見えてくる。「日本」建国にともない成立した『日本書紀』が歴史操作によって隠した秘密とはいったい何だったのか――『日本書紀』『続日本紀』『日本後紀』の記録と、朝鮮史書(史料)、中国史書の記録を時系列上で比較した表をはじめ、これまでにありそうでなかった視点から日本史書・朝鮮史書・中国史書等を総合的に検証し、日本書紀に秘められた10の謎から歴史の真実を炙り出した真・日本古代史。

[目次]
はじめに(P1)

一 日本史書と朝鮮史書・中国史書からみた日本(P9)
表1 日本史書と朝鮮史書・中国史書 比較(P10)
日本書紀
崇神天皇~神功皇后 
応神天皇~武烈天皇 
継体天皇~欽明天皇 
敏達天皇~推古天皇 
舒明天皇~孝徳天皇 
斉明天皇~天智天皇 
天武天皇~持統天皇
続日本紀
文武天皇~孝謙天皇 
淳仁天皇~桓武天皇(787年)
日本後紀
桓武天皇(795年)~朱雀天皇

二 日本書紀10の秘密(P152)
1 景行天皇・仲哀天皇・神功皇后と奴国(P153)
『日本書紀』の歴史操作  
“奴国王族の歴史”の借用  
「山家要略記」の「新羅征討」  
奴国王族からヤマトの王へ

2 筑紫国造磐井の乱 (P163)
筑紫国造磐井の正体  
筑紫国造磐井と近江毛野臣の関係  
倭国内のクーデター

3 任那加羅と『日本書紀』の三韓(P168)
任那と任那加羅  
三種類の加羅  
『日本書紀』の二重構造:三国と三韓

4 任那官家の滅亡(P173)
任那官家とは  
任那官家が滅んだ実年  
任那官家滅亡前の日本の正体  
倭(わ)とヤマトの歴史の接続点  
日本(ヤマト)の国際社会への進出  
任那官家滅亡後の百済、高麗  
任那官家滅亡後の新羅  
朝鮮半島の国際情勢

5 白村江敗戦 (P186)
白村江の戦い前の『日本書紀』『三国史記』の朝鮮半島情勢  
『日本書紀』の百済滅亡から白村江敗戦まで  
日本軍の派遣  
廬原君臣と1万余の水軍の正体  
天皇、皇太子の行動  
ヤマトと唐の関係  
倭国と日本国と白村江  

6 「海外国記」の証言(P196)
「海外国記」とは  
「勅」「筑紫大宰の言葉」とは  
別館はどこにあったのか  
鎮西将軍と安東将軍  
「海外国記」が示すもの

7 白村江後の日本(ヤマト)と新羅(P202)
白村江の戦後処理  
白村江後の百済、高麗、新羅  
ヤマトと新羅の関係  
本国の新羅と任那の新羅

8 「やまと」と「ひのもと」(P208)
谷川健一の「ひのもと考」  
『旧唐書』『新唐書』の日本  
『日本紀私記』『釈日本紀』の日本  
「日出處」は日本の原義か  
日本として復活した日下  
ヤマトの「ひのもと」隠し

9 『日本書紀』は百済人が書いた(P223)
上代特殊仮名遣い-藤井説-  
藤井説の私の説への応用  
『日本書紀』は百済人が書いた  

10 饒速日の祭祀場 箸墓(P234)
箸墓説話  
箸墓古墳は卑弥呼の墓か  
箸墓古墳の築造年  
大物主神  
饒速日尊 
鳥見の白庭  
大物主神は饒速日尊か  
「大物主=饒速日」の可能性について  
須我神社への問い合わせ  
「大物主=饒速日」から見えてくるもの  
饒速日の祭祀場 箸墓

あとがき(P252)

[担当からのコメント]
大昔の古代の出来事なんて果たして分かるのだろうか、そんな疑問を持つ方にこそ本書はぜひお読みいただきたい作品です。油絵のように下地に塗り重ねられるのが歴史であったとしたら、必ず残されている下地あるいはその痕跡を探り当てるのが古代史の醍醐味といえます。その知的興奮を、ぜひ本書でじっくりとご堪能ください。

[著者略歴]
矢治 一俊(やじ かずとし)

1949年 東京都生まれ
建築設計事務所等を経て地方公務員。
現在、日本古代史の研究・執筆・講演などの活動を行っている。
一級建築士

 現代建築を理解するため古い建築・文化をみていくうちに日本古代史と出会い、その非科学的論理の不可思議さに逆に魅了される。
 そんな一ファンとして日本古代史に接するうちに、邪馬台(●)国畿内大和説、邪馬台(●)国九州説、邪馬台(●)国東遷説などの従来説、これらの説に一石を投じたと思われた古田説など、どの説も基本史料となっているのは『魏志』倭人伝のみで、歴史を時間の流れとして捉えようとしていないことがその不可思議さの根源である、と確信するようになる。
 『魏志』倭人伝からでは、卑弥呼の国・邪馬臺国を見つけることはできない。それは『魏志』倭人伝自身とこれまでの邪馬台(●)国研究史が証明している。このことに気がついたとき、ほかの史料にはどのようなものがあり、そこには本当はどのようなことが書かれているのか、自分の目で確かめるようになる。そして、邪馬臺国への行路は『隋書』俀国伝にもあることを知り、日本古代史を解く鍵は倭・倭人・倭国を時代を追って見続け、日本国の登場を記した中国史書全体の記録の整合性の中にある、ということを強く認識する。
 以来、一連の中国史書、複数の資料に整合する、学問・科学としての日本古代史を探し続ける。

著書
『隋書俀国伝』の証明 【邪馬壹国へのもう一つの行路の発見】(近代文芸社 1998.07)
縄文から「やまと」へ 【〈DNAと中国史書〉からみた日本】(文芸社 2005.05)日本図書館協会選定図書
倭(わ)と山東(やまと)・倭(やまと)・日本(やまと) 【倭人と北東アジア系渡来人の歴史】(22世紀アート 電子書籍 2018.08 『縄文から「やまと」へ』改訂版)

新刊情報