日本人のための古代史の授業ーー神武東征神話は史実である

(著) 六角克博

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―古代史を知ることは、今の日本を知ることにつながる―

日本の古代史を理解するためには、歴史的事実を神話的に書かなければならない必然性があったという点に目を向けなければならない。しかし、多くの歴史学者は『古事記』や『日本書紀』の神話的記述を虚構と断じて憚ることを知らない。こうした硬直的な思考は日本古代史の理解に多くの誤りをもたらし、未だに真実を解明できない大きな原因となっているーーその神話性ゆえに史実とみなされない「神武東征神話」を題材に、論理的な思考で記紀神話を読み解きながら、「神武東征神話」は史実であることを明らかにしていく目から鱗の歴史授業、開講。



[目次]

資料

はじめに

第一章 皇室典範改正への思い

一、他国には見られない日本の皇室の素晴らしさ

二、固定観念に囚(とら)われないことの大切さ

第二章 学習課題「神武東征神話は史実である」

一、古代史への誘(いざな)い

二、「日本神話の法則」

三、神話の史実性について

第三章 古代史解明のための九州への旅立ち

一、阿蘇神社の御利益

二、神話へのロマンを誘う地高千穂

第四章 卑弥呼女王は皇室の先祖である

一、邪馬台国の女王・卑弥呼の人物像

二、『日本書紀』に書かれている卑弥呼女王の人物像

第五章 高千穂は固有名詞で地名である

第六章 天孫降臨のモチーフは日本独自のものである

第七章 城下町竹田市を訪ねて

一、素敵な女子高校生との出会い

二、宣教師が見た日本人

三、広瀬神社への参拝

四、美しい日本の国

五、日本人の心のやさしさが伝統文化〝生け花〟を生んだ

六、恋人アリアズナとの別離と日露戦争開戦

七、広瀬中佐の人物像

第八章 天孫降臨の地は高千穂町である

第九章 日本国体の基(もとい)となった「天壌無窮の神勅」

第十章「八紘一宇」とは神武天皇の国を治める理想である

第十一章 皇室に隼人(はやと)の血は一滴も流れていない

一、海幸彦と山幸彦の物語

第十二章 神武東征神話は史実である

第一節「神武東征はあまりにも神話的なので史実とは思えない」への反証

一、日向(美々津)出発と宇佐訪問

二、孔舎衛(くさえ)坂の戦いと五瀬命(いつせのみこと)の死

三、八咫烏(やたがらす)の導き

四、神武天皇の弓に舞い降りた金色の鵄(とび)

五、戦いの最後の最後に登場する饒速日命(にぎはやひのみこと)

六、なぜ神武天皇の和風諡号(しごう)が神日本磐余彦(カムヤマトイワレヒコ)なのか

第二節 日本民族の他を思いやる心の優しさが二人のハツクニシラススメラミコトを生んだ

第三節 神武天皇の即位年を紀元前六六〇年にした理由

一、佐伯三貴ちゃん、原江里菜ちゃん覚えていますか?

二、日本民族の誇りが神武天皇の即位年を紀元前六六〇年まで繰り上げた

第四節 滑稽(こっけい)な神功皇后・卑弥呼比定説

第五節 短絡的な神武天皇・崇神天皇同一人物説

第六節 論理的に成り立たない天武天皇モデル説

第七節 歴史の改ざんに等しい神武東遷説

第八節 根拠のない建国当時の九州の土器が吉備や畿内へ動いた証しはほとんど見られないことから、「神武東征」はまったくの虚構とする説

第十三章 卑弥呼女王の古墳の上に建つ宇佐神宮を訪ねて

第一節 卑弥呼の墓の径百余歩の歩は魏の長さの単位ではない

第二節 卑弥呼女王の古墳は宇佐の小椋山(亀山)である

その一、小椋山(亀山)は径百余歩の冢(つか)(墓)である

その二、宇佐神宮、上宮本殿の二之御殿に祀られている比売大神(ひめおおかみ)とは卑弥呼女王のことである

第三節 出雲大社は日本民族の心の優しさを示す神道の精神によって建立されている神社である

第四節 宇佐神宮は卑弥呼女王の霊魂を鎮め国家鎮護の神として祀られている神社である

第五節 卑弥呼女王が宇佐神宮に祀られている決定的な理由

第十四章 法隆寺の五重塔がなぜ地震で倒れないのかの科学的な理由

あとがきに代えて

付記「君が代」がなぜ日本の国歌なのか

主要参考文献

著者略歴



[担当からのコメント]

戦前の軍国主義的な教育に利用されたこともあって、神話という形で語られる日本の歴史は、研究の場でも教育の場でも、未だに軽視される傾向があります。しかし虚心に神話が語る歴史と向き合えば、そこには驚くほど豊かな知の宝が眠っていることを、本書は私たちに教えてくれます。授業形式で古代史は苦手という方にも読みやすい内容になっていますので、これを機会にぜひご一読ください。



[著者略歴]

六角 克博(ろっかく かつひろ)



昭和十一年(一九三六)北海道日高国沙流郡平取村で出生

昭和二四年(一九四九)平取村立平取小学校卒業

昭和二七年(一九五二)早来村立安平中学校卒業

昭和三十年(一九五五)北海道立苫小牧東高等学校卒業

昭和三七年(一九六二)北海道学芸大学札幌分校(現北海道教育大学札幌校)中退

現・江別市教育委員会青少年健全育成委員

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