混迷する今日の日本人へ 山本七平の預言

(著) 渡邉斉己

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―日本人論の金字塔―
1970年代、論壇やジャーナリズムにとどまらず、経済界から一般社会に至るまで、その思想が大きな影響力を持った評論家・山本七平。当時『日本学』さらには『山本学』と呼ばれるジャンルさえ確立させた山本だったが、現在ではその名前を聞くことさえ少なくなってしまった。しかし、文化的・宗教的多様性が盛んに叫ばれる現代にこそ、「日本人とは何か」を問いつづけた山本七平の思想が求められているはずだーー。
本書は「日本人とは日本教徒なのである。……これは世界で最も強固な宗教である」という命題を掲げた『日本人とユダヤ人』をはじめ、その著作や論考の考察を通して、「山本日本学」の全体像に迫った一書。「日本教の預言者」山本七平は日本の歴史を、軍隊を、政治を、天皇制を、精神をどのように捉えていたのか。いま、その真相を解き明かす。

[目次]
はじめに
序章「山本日本学」とは何か
第一章『日本人とユダヤ人』の主要論点と批判
1.日本人の安全意識
2.天皇制について
3.「日本教」について
4.「天秤(てんびん)の論理」の世界
5.「日本教」とキリスト教
6.「日本教」の発見者・不干斎(ふかんさい)ハビヤン
7.「日本教」と山本七平の関係
第二章 「百人斬り競争」の真偽をめぐる論争のはじまり
1.イザヤ・ベンダサンと朝日新聞・本多勝一記者の論争
1) 私の責任=責任解除
2)「事実」と「語られた事実」の峻別
3)「人は他人の罪責を負うことができる」という思想
4)正義とは「瀆(けが)れた布」か
2.鈴木明『南京大虐殺のまぼろし』による真相解明
1)鈴木明「向井少尉はなぜ殺されたか」 (S47年『諸君!』8月号)
2)南京裁判における向井少尉の「上申書」の発見
3)野田・向井両少尉の死刑判決後の「上訴申弁書」の発見
4)浅海記者が両少尉のために書いた「証明書」
3.「百人斬り競争」論争に山本七平が参戦
1)山本七平の軍隊経験を踏まえた虚報の証明
2)戦場のほら・デマを生み出すもの
3)野田少尉は歩兵小隊長ではなく大隊副官
4)向井少尉は幹部候補生という「臨時雇い」の将校
5)軍人とは「直属上官の命令以外は絶対にきいてはいけない」存在
6)日本刀神話について
7)ベンダサンによる浅海版「百人斬り競争」の虚報の証明
8)虚報の本当の恐ろしさについて
9)国際宣伝処の生き証人・曾虚白の『自伝』の発見
4.向井、野田両少尉の弁明
1)「百人斬り競争」の「やらせ」はどこで行われたか
2)野田少尉の「新聞記事の真相」
3)野田少尉の日本人に宛てた遺書
4)向井少尉は「国のために死んだ」
5.両少尉の無錫から紫金山までの「足取り」
1)二少尉と記者との談合の場所は無錫か、常州か?
2)丹陽、句容の記事は本当か?
3)第四報の紫金山山麓での二少尉の会合と向井少尉の長広舌の真偽
4)日本における「百人斬り競争」裁判の問題点
5)いわゆる「志々目証言」についての山本七平の見解
6)望月五三郎著『私の支那事変』への疑問
7)向井、野田両少尉が私たちに遺してくれた言葉
第三章 山本七平の日本軍隊論
1.統帥権の独立について
2.満州占領は内地占領のための軍事基地の設置
3.臨時費という「戦費」の支配権
4.二・二六事件の心理的背景
5.星の数よりメンコ(食器)の数
6.私的制裁
7.日本軍の行軍
8.バターン「死の行進」
9.日本の敗因は「飯盒炊さん」
10.「トッツキ」と「イロケ」の世界
11.日本軍の捕虜
12.日本はアメリカと戦うつもりはなかった
13.「戦争や占領統治に無能」な日本軍
14.バアーシー海峡の悲劇
15.平和ならしむるもの
16.なぜ日本軍はフィリピンから「石もて追われた」か
17.武装解除の恐怖
18.私物命令
19.捕虜収容所の暴力団支配
20.「可能か・不可能か」の探究と「是か・非か」の議論の混同
21.復員船のリンチ
第四章 山本七平の『日本人とは何か』
日本の「伝統文化」の再把握の必要性
1.伊達千広(だてちひろ)の歴史区分
2.いつごろ日本人は発生したか
3.日本の国造り
4.律令体制(職の時代)の導入
5.律令制の崩壊と天皇制の存続
6.「かな」がなければ日本はなかった
7.神仏混合の寺院が「多数決」を生んだ
8.「象徴天皇制」と武家の法治主義の誕生
9.律令に代わる日本の固有法「貞永式目」
10.貨幣経済の浸透が「一揆」を生んだ
11.「一揆」が生んだ実力主義・能力主義
12.一揆組織はピラミッド型ではなく「ブドウの房」型
13.農民への一揆浸透が一向宗やキリシタン信仰の基盤となった
14.何が戦国時代を終わらせたか
15.なぜ戦国の世にキリシタン伝道が成功したか
16.仏教を、民衆救済から民衆支配に変えた「寺(てら)請(うけ)制(せい)度(ど)」
17.家康の創出した「諸法度」による統治体制
18.「幕藩体制の統治神学」として朱子学が採用されたのはなぜか
19.五公五民で搾取された農民が豪商になりえたのはなぜか
20.幕藩体制下の経済発展が、日本を鎖国から開国へと導いた
21.朱子学の正統論が、幕府統治の両刃の刃となった
22.明治維新はなぜ成功したか
第五章 山本七平日本政治思想史
1.日本の正統と理想主義
1)日本人と慕夏(ぼか)思想
2)正統論と理想主義
3)「逆臣」の位置づけ
4)王政復古と「天下の公論」
5)朱子学的理想主義の敗退
2.明治憲法の「立憲君主制」と教育勅語の「国体論」の矛盾
1)日本の派閥の歴史──文明開化が掘り起こした一揆の伝統
2)政党の誕生と民権運動の挫折
3)藩閥から「資金派閥」へ
4)政党政治の終焉
3.大正自由主義から昭和軍国主義へ
1)ひきこもっていた軍部
2)軍は強烈な被害者意識を持ち続けていた
3)予算編成の実権と審議権
4)軍部の最終目的を達成するための「議会の骨抜き」
5)昭和期の天皇「現人神」化を招いた「東西文明対立論」
4.戦争の反省と戦後民主主義
1)「戦中神話」と「戦後神話」
2)戦艦大和は二度、撃沈された
3)日本型民主主義の可能性と限界
第六章 「山本日本学」の行方
1.安全が確保されなければ自由もない
2.朝幕併存の二権分立構造の超近代性
3.「日本教」を知ることの重要性
4.しのびよる日本人への迫害
5.「象徴天皇制」を支える政治思想
6.「天秤の論理」の合理性の検証
7.「空気支配」を脱する言論の自由の確立
8.日本の伝統文化のルーツ、「貞永式目」の世界
9.「機能集団の共同体化」の長所と短所
おわりに
〈付〉南京国防部審判戦犯軍事法庭
著者略歴

[担当からのコメント]
日本人は無宗教だ、という言説はよく耳にしますが、日本人ならではの考え方や宗教観はたしかにあるはずです。「日本教」という印象的な言葉を掲げ、日本人の精神を論じた山本七平。あらゆる分野でグローバル化が進む今だからこそ、本書を通じて「日本」を見つめ直してほしいと思います。

[著者略歴]
渡邉斉己(わたなべとしみ)
1947年宮崎県生まれ
昭和45年10月25日『日本人とユダヤ人』を読んで衝撃を受けたことがきっかけとなり、電気技師(電気主任技術者第3種取得)から畑違いの法政大学法学部政治学科に23才で入学。以来、山本七平氏の著作に学び続け今日に至る。大学では左翼全盛の中「自由主義研究会」(サークル)に所属し保守思想を学ぶ。職歴:宮崎県公立学校事務職、団体歴:教育事務ユニオンみやざき初代執行委員長、宮崎県公立小中学校事務研究会会長。退職後は「昭和史講座」を5年で60回開講。その後「山本日本学」生かして郷土史研究にあたる。平成18年BLОG「竹林の国から」、平成20年HP「山本七平学のすすめ」開設。

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