戦国時代の幕を開けた武将・北条早雲の新事実──謎多き生涯を解き明かす

(著) 清水勝也

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作品詳細

[商品について]
―スパイ?人質?謎多き武将の生涯とは―
室町時代後期、伊豆の堀越御所にいた足利茶々丸を襲撃した事件「伊豆討ち入り」。戦国時代の幕開けとも言われるこの事件を起こしたのが、後北条氏の初代・北条早雲である。ーーかつての研究では家系も生まれた国も、実名すらも正確にとらえることのできなかった謎多き武将、早雲だが、没後五百年を迎えた令和の今、その謎が次々と明らかになってきた。彼はどこで育ち、誰に仕え、どう生きたのか。これまで明らかにされていなかった、あるいは一切触れられていなかった北条早雲の謎を解き明かす。

[目次]

一、◇発刊に当たって
二、◇はじめに(早雲公の「記念碑」を願って)
三、◇年表(Ⅰ)『北条早雲素生考』著者 立木望隆氏より抜粋
四、◇年表(Ⅱ)前田一広氏作
五、◇家譜「冨山一家」の内容
六、◇早雲公の資料と解析
七、◇立木望隆氏著『北条早雲素生考』の分析
八、◇「備中荏原を尋ねて」の疑問点
九、◇『應仁記』の事
十、足利義視「都落記」の事
十一、◇冨山栄弘小田原城の北条氏を頼る
十二、◇伊澤(いざわ)(射和)の調査と立木氏が来られなかった理由
十三◇田中義成博士の伊勢出身説
十四、◇伊勢神宮で六人の同志と集う
十五、◇夢に出た早雲公
十六、◇「冨山一家」に書かれたその後の発展
十七、◇伊勢家は皮革業?
十八、◇早雲生誕地は備中か?
十九、◇「応仁・文明の乱」始まる
二十、◇今出川(足利義視)殿一行伊勢に下向
二十一、◇広瀬に残る史料と頼山陽説
二十二、◇『伊勢志略』にある「多気や」は冨山家の屋号か?
二十三、◇将軍より義視公に領地を給う(丹生の裏話と館跡)
二十四、◇義視公と北畠教具「別れの詩」を交わす
二十五、◇早雲は射和で医学を学んだ(津波と外郎の事)
二十六、◇射和焼き討ちと早雲公の御恩
二十七、◇『相州兵亂記』の内容とは
二十八、◇結局「伊勢系図」に本卦(ほんけ)がえり
二十九、◇射和の「屋号」と、法名に「宗」が使われた理由
三十、「北条早雲の真実・【編集後記】」・「北条早雲の真実【編集後記・その2】」・「北条早雲の真実」【幼少期の行動~総集編~】の内容
三十一、※【新(真)説・北条早雲(伊勢新九郎)物語】
三十二、◇碑文(私案)
三十三、◇『北条早雲の真実』発刊に寄せて
三十四、◇筆者の発表文と事業
三十五、◇参考文献
三六、執筆者の略歴と協賛者(敬称略)
※大喜多氏のプロフイール

[担当からのコメント]
歴史上重要な存在であるにもかかわらず、一般的な知名度が低い人物がいますが、本書で取り上げる北条早雲はその代表的な存在と言えるかもしれません。しかし、わからないことが多いほど、その活躍や生涯を解き明かすロマンも大きいもの。早雲のことをすでに知っている方はもちろん、お気に入りの武将を見つけたいという方にもおすすめの1冊です。

[著者略歴]
清水 勝也(しみず かつや)
◇昭和十四年(一九三九)八月一日、四日市市西伊倉町、稲葉竹男の甥として生を受ける。後、岐阜県武儀郡洲原村(伊勢市居住)木下家を経て、松阪市射和町の清水家を継ぐ。
◇昭和三十年「修教中学校」卒業後、家業の農業に従事。後、「南勢ブロック工業」を起こす。
◇昭和四十四年(一九六九)九月「セントラル硝子株式会社」入社。
◇退社後は家業の農業と不動産賃貸業に専念。
◇余暇を写真と地元の歴史研究に没頭する。

■著書
『北条早雲公と射和の豪商冨山家』
 令和元年(二〇一九)三月八日・初版第一刷、(52P・100部)
 編集・発行者 清水勝也
 共同研究者 前田一広
 印刷・製本(株)「夕刊三重新聞社」
『北条早雲の真実』
 令和元年(二〇一九)十二月二十四日・第一回増改訂版(181P・50部)
 編集・発行者 清水勝也 号、一風
 共同研究者 前田一広
 資料収集、及び校正者 前田通広
 題字筆書き者 清水麻利
 印刷・製本(株)「夕刊三重新聞社」
『改訂版・北条早雲の真実』
 令和弐年(二〇二〇)八月吉日・第二回増改訂版(234P・200部)
 編集者 清水勝也 号、一風
 共同研究者 前田一広
 資料収集、及び校正者 前田通広
 題字筆書き者 清水麻利
 印刷・製本(株)「夕刊三重新聞社」
 発行者 清水光一(清水左官代表者)

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