と・わ・ず・が・た・りーー教師として出会った中学・養護学校の子どもたちと私の蔵出し人生

(著) 近藤篤則

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作品詳細

[商品について]
―「ほんまもんの先生」になるために学び歩んだ人生―
初任給ではスーツも買えず、宿直室で寝泊まりし、国語教師が美術を教えるというほろ苦い「先生」デビューとなった初年度の日々。中学・高校生時代を友と楽しく過ごしたわが青春のふるさと・日和佐の地に「先生」として赴任してきたその感慨。知的障がいのある児童・生徒一人ひとりに応じた適切な指導を行う特殊学級に、自ら希望して担任となって挑んだ新たな教育への挑戦。そこにあるのは生徒を思う「せんせい」と、家族を愛し父母への感謝に生きる「にんげん」の姿。ーー徳島の地で真摯に教育に向き合う一人の教師の人生を綴った回顧録。

[目次]
語りはじめ
その一 生い立ち
一、生まれてから小学校まで
二、海部中学校・日和佐高等学校時代
三、徳島大学時代
その二 中学校の子どもたちと
一、大津中学校(現・第一中学校)
二、日和佐中学校
三、板野中学校 西校舎
四、板野中学校 特殊学級(現・特別支援学級)
その三 養護学校の子どもたちと
一、徳島県立養護学校(現・徳島県立板野養護学校 昭和六十年四月校名変更)
二、徳島県立鴨島養護学校 (現・鴨島支援学校)
三、徳島県立養護学校板野分校
四、徳島県立板野養護学校 (現・板野支援学校)
語りおわり
著者略歴

[担当からのコメント]
ノーマライゼーションは現代社会の重要なテーマとなっていますが、そうした問題意識もない時代に障がいのある子供たちの特殊教育に奮闘したひとりの教師の人生が、本書には描かれています。ぜひご一読ください。

[著者略歴]
近藤 篤則(こんどう・あつのり)

昭和8年 大阪市にて誕生
昭和13年 満州に移住 奉天在満国民学校入学
昭和18年 帰国後 海部郡牟岐国民学校に編入
昭和20年 海部中学校入学
昭和26年 日和佐高等学校卒業
昭和30年 徳島大学学芸学部卒業
昭和30年より11年間公立中学校勤務
昭和41年より26年間障害児学校勤務
平成4年 教職を退く

*表紙 海亀のまち 日和佐 (現 美波町)
四国八十八カ所霊場第23番札所 薬王寺より展望

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