啄木の函館 : 実に美しき海区なり

(著) 竹原三哉

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―啄木は函館で、おだやかに笑っている―

石川啄木は26歳2カ月という短い生涯のうち、4カ月余を函館で過ごした。函館は、波乱の生涯であった啄木の人生の中でも、節子と京子の親子三人水入らずの日々を過ごした地であり、今は骨となって永遠に眠る永住の地でもある。そんな不思議な縁で結ばれている啄木と函館を、函館に生まれ現在は函館市文学館の案内人をつとめる著者が、啄木ゆかりの場所の案内から啄木歌碑や文芸雑誌『紅苜蓿』、啄木が勤めた函館税務署を取り上げた小論まで、様々な切り口で綴った類書のない啄木論。



[目次]

まえがき

第一部 函館の啄木──ゆかりの地案内

一、啄木の招魂社散歩

二、啄木の谷地頭碧血碑への散歩

三、啄木と橘智恵子の谷地頭

四、失敗した啄木の乞食探訪

五、船魂神社と乞食万平の臥竜窟

六、乞食万平と苜蓿社の同人たち

七、啄木の大森浜散歩と海水浴

八、帆影町での公告(ポスター)貼り

九、入村質店と啄木一家

十、啄木が入った劇場池田座

十一、詩篇「辻」の舞台

十二、豊川病院と未亡人節子

十三、大森浜啄木小公園の啄木座像

十四、函館公園と啄木・節子の青柳町

十五、立待岬の啄木一族の墓

十六、石川節子と宝小学校

十七、啄木・節子と二つの桟橋

第二部 小論集

一、啄木歌碑「こゝろざし得ぬ人人の…」漂泊の顛末記

二、文芸雑誌『紅苜蓿』の呼び方をめぐって

1.はじめに

2.『紅苜蓿』誕生と廃刊のいきさつ

3.苜蓿が名指す植物とは

4.雑誌『紅苜蓿』はどう読まれ、呼ばれたのか

5.資料の中から

6.表紙と一ページ目のデザインについて

7.再び『紅苜蓿』の読み方について

8.社名「苜蓿社」の読み方について

9.岩崎白鯨は社名「苜蓿社」をどう呼んでいたか

10.岩崎白鯨を離れて

11.「ぼくしゅくしゃ」、「べにまごやし」を定着させたのは誰か

12.まとめ

三、函館税務署と啄木

1.はじめに

2.啄木が働いた税務署は本当に汐見町に在ったのか

3.新たに現れた地図資料

4.文書資料を探す

5.函館税務署移転の歴史の実際

6.函館税務署移転の歴史を再現する

7.再び啄木のこと

8.税務広報広聴官 有賀真司氏に会う

9.予期せぬ成果を得る

あとがき

◎啄木略年譜 ─函館との関連を中心に

◎函館関係年表 ─啄木との関連で

◎参考文献(本文中に引用の関係分 新字体で表記 配列は引用順)



[担当からのコメント]

石川啄木というと赤貧や放蕩などのイメージが浮かびますが、函館での啄木はすこし様相が異なります。そこにあるのは才能あふれる一人の歌人のどこか無邪気な姿であり、生涯の伴侶と共に歩む姿です。所縁の地を巡りながら在りし日の啄木と函館に思いを馳せる、そんな楽しみをぜひ本書で味わっていただければ嬉しく思います。



[著者略歴]

竹原三哉(たけはらみつや)



1941(昭和16)年11月 函館に生まれる

             函館市立常盤小学校卒業

             函館市立船見中学校卒業

             北海道函館西高等学校卒業

1964(昭和39)年3月 北海道学芸大学函館分校卒業

      同  年4月 公立中学校の教職に就く

             以来38年間、8中学校の教壇に立つ

2002(平成14)年3月 定年にて退職する

      同  年4月 函館市文学館にボランティアとして入る

2006(平成18)年4月 函館市文学館発行の図録作成に参加し、執筆する

    図録 『生誕120年記念 石川啄木』

    執筆 「詩稿『ハコダテノ歌』と筑摩書房の『石川啄木全集』─草稿と全集との照合から見えたもの─」

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