尊孔論と批孔論
(著) 松尾善弘
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前回、『批孔論の系譜』を江湖に問うた時、一畏友から便りが届いた。「一読後、φ 羊頭狗肉φ の感なきにしもあらず」と。たしかに、初め標題を決める際、自分のライフ・ワlクとしての批孔論文集であり、他の学者のそれを系統的に紹介したものではないから、看板に偽りありとの読後感を持たれるかも知れないという一抹の不安はあった。しかし、他の学者の批孔論にも言及していないわけではなく、全く的外れなタイトルとも言えまいと判断したのであった。今回も同様な批評が予想されるので、前もって二言「弁解」しておきたい。
「尊孔論」とは意識的にしろ無意識的にしろ、孔子を至高の聖人と仰ぐ学説のことである。日中の歴代の漢学者の多くは「尊孔論」者であり、例えば『論語』の注釈などを無批判的に行うので、結果として孔子の聖性をいやが上にも高めることに「貢献」してきた。一方、ごく少数の学者が身の危険を覚え世に憚りながら細々と「批孔論」を展開してきた。日中を問わず遍く行きわたった尊孔思潮の裏返しとして「批孔論」はことごとにタブl視されてきた。先秦諸子なかでも法家の否定的評価に始まり、孔子生誕二千五百年祭盛行の今日に至るまで。近代化したわが国や社会主義を標榜する中国にあってもなお、広くは社会生活の規範となり、個人的にも日常行動の基準の一班となっている儒教思想ーその祖孔子の教えを「哲学」の観点から批判的に捉えることこそが、これからの新しい社会を切り拓き築き上げる活力ともなるに違いないと考えている。
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