悲眼院と慈悲のこころ : その歴史、思想に学ぶ福祉の原点

(著) 樅野志郎

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作品詳細

[商品について]
―信仰と先見の明に支えられた真の福祉の姿―
現代では当たり前となった「社会福祉」という言葉が影も形もなかった時代に、仏教の「慈悲」の心を具現化し、無償で庶民の診察や治療を行っていた救療施設がある。その名を「悲眼院」という。救療施設から虚弱児施設へ、そして現在は児童養護施設となっているが、その100年にわたる歴史の中で、無私と救済の精神は連綿と貫かれてきた。
本書は、自らも小学校四年から中学校二年まで悲眼院で生活していた著者が、知られざる悲眼院の歴史を明らかにし、真の福祉のあり方を世に問おうとする作品である。福祉事業がビジネス化する今、改めて福祉の原点に立ち戻るという意味で示唆に富む内容となっている。

「目次]
はじめに
序章 全国的にも珍しい救療施設「悲眼院」
 卒業生の思い出 その一
第一章 大正時代の「救療施設 悲眼院」創設期
 民生委員の源流 済世顧問制度
 大正は「防貧」時代
 赤磐市に現存の「天心寮」
 画期的な禁酒運動
 民生委員制度創設百周年
 日本国中で個人経営の施設は三か所のみ
 百年以上も個人経営を貫いた「福祉の原点」
第二章 救療施設「悲眼院」のはじまり
 そもそもは「お薬師信仰への疑問」
 初代 悲眼院院長 渡辺元一医師
 真言宗僧侶らの発起人
 「悲眼院」初代理事長 高橋慈本師
 悲眼院の足になった軽便「井笠鉄道」
 「悲眼院」設立の申し合わせ
 不動の院是
 ほか
第三章 救療施設「悲眼院」苦難の道
 警察の干渉や妨害工作
 眼科、内科の病室「静思寮」の完成
 よくも生きてこられし……「悲眼院」
 北川小学校の児童らが
 二代目院長 谷本峻医師
 悲眼院を陰で支えた人々
 走出薬師を桜の名所に
 ほか
第四章 虚弱児施設「悲眼院」へ
 戦災孤児の過酷な環境
 ラジオ放送の「鐘の鳴る丘」
 新たな苦難の船出
 子どもらの衣食住の確保
 自由でアットホームな雰囲気
 保母さんたちの献身的な勤務
 おおらかな高橋弘基院長
 ほか
第五章 三代目 高橋昌文師
 虚弱児施設から児童養護施設の「悲眼院」へ
 三代目悲眼院院長「高橋昌文」について 姉の佐藤弘子より
 卒業生の思い出 その五
 キヨミちゃんの思い出を読んで
 弘子姉ちゃんの手記
 卒業生の思い出 その六
あとがき
参考・引用文献
著者略歴

[出版社からのコメント]
福祉とビジネスは両立するのかという問題は非常に難しいテーマではありますが、「社会事業によって生活しない」という信念のもと3代にわたり福祉事業を継続してきた悲眼院のあり方は、この問題に対する一つの答えになっているのではないかと思います。
社会全体として取り組むべき福祉について、多くの方が本書を通じて理想のあり方を考える機会を持っていただければ嬉しく思います。

[著者プロフィール]
樅野 志郎(もみの・しろう)
昭和18年倉敷市生まれ。
平成元年より4期16年山陽町議会議員、平成17年より2期8年赤磐市議会議員。
令和元年春の叙勲、自治功労賞として旭日双光章を受ける。

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