旅路遙か <上>
(著) 野間口至
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私は、今年の五月二日に六十五歳を迎え、高齢者の仲間入りをすることになった。
私はその六十五歳を前にして、これまでの人生をひとまず総括しておきたいと言う気持ちがあり、他方、私の父が一九四四年六月に四十一歳で早逝して、当時まだ幼かった妹たちが父のことを知らず、母に対して何かまとめてほしいと言う希望があった。そこで、母は私に対して「多少の資料があるので、それらを整理して印刷できないだろうか」ということを、かねがね話していた。
その二つの要因があったところに、この二月、本にも収録している「孫娘ちひろにあてた平和への手紙」を、あるきっかけから書き記すことになった。そして、それを書きながら、私は今までの人生をやはり記録に残そうということを具体的に思い立った。その気になって古い資料に目を通してみたところ、それらをつないで行けば、体系的にまとめられるのではないかと思った。
ただ、私の現在までの人生のなかで最大の事柄は、一九八二年十二月に娘の真理子を二十二歳の若さで突如失ったことであり、真理子と共に生きた二十二年の歳月は、私にとってかけがえのないものであった。真理子を失った時、私は妻敞子と共に、真理子の小・中・高・大学時代の恩師・学友の方々のご協力により、八三年十一月朝日新聞出版サービスから、追悼集「ふりむいて真理子」を自費出版して関係者にお配りした。
そこで、今回の出版に当たっても、追悼集「ふりむいて真理子」の三分の一程度の方々の寄稿を再録することにして、その部分を「第一部 ふりむいて真理子」として要約し、「第二部 私は生きる」として私の生きて来た道や父のことなどをまとめることにした。
その他、この本のなかで特に力点を置いたところは、私が一橋大学四年の一九五五年六月、学生代表としてフィンランドのヘルシンキで開催された世界平和愛好者大会に出席した時のことである。私の出席は、学友たちを始めとする多くの方々の支援・協力・カンパによりはじめて可能であった。この時、私は私なりに成果を挙げるべく精一杯の努力を尽くし、帰国後も報告活動など精力的にやったつもりであるが、記録としてはほとんど残っていない。私は、その後とも、これら学友たちの支援を受けたことについて、ずっとオブリゲーションを負っていた。従って、四十二年も昔のことで「今更」と思われるかも知れないが、ここで「再報告」をして、オブリゲーションに代えさせて頂きたいと言う気持ちを込めている。
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