海外駐在員のないしょ話【電子書籍版】

(著) 藤森靖允

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作品詳細

勤続三十周年記念に、会社から頂戴した旅行券に自分のお金を足して、わが妻とアメリカはアリゾナ州にあるグランド・キャニオンに行った。今まで地球上で見た景色の中で、一番印象に残るこの雄大な自然をぜひもう一度、彼女と見たかった。
 グランド・キャニオンには思い出がある。若い身空の学生時代。ケネディ大統領が暗殺された翌年の一九六四年。グランド・キャニオンには、気楽なアメリカ一周のバス旅行で訪れたことがある。
 現地に着き、ホテルのロビーからひょいと外に出ると、大峡谷が忽然と現れ、その雄大な姿が目の前に、パノラマのように広がっていた。今まで、こんなに見事な景色を見たことがない。神の創造物とは、かくなるものかと思った。グランド・キャニオンの思い出は、この景色の見事さだけではない。そのとき、展望台のスタンドでホツト・ドツグを食べていると、隣に座ったのが、今は亡き名優のヘンリー・フォンダであった。「怒りの葡萄」「怒れる十二人の男」「ミスター・ロバーツ」などの作品に主演したアメリカを代表する俳優で、ジェーン・フォンダのお父さん。若さにかまけて臆面もなく、
「あなたは有名なヘンリー・フォンダさんですか?」(Are you the famous Mr. Henry Fonda?)と話しかけると、
「有名ではないけれど、ヘンリー・フォンダです」(I am not famous, but I am Henry Fonda.)と、あの特徴のある口元に、笑みを浮かべて答えてくれた。頼むとサインもしてくれた。何とも懐かしい。
 そんな思い出に浸りながら、あたりが次第に暮れゆく中、夕日を受け、鮮やかな茶褐色に変わるグランド・キャニオンをわが妻と眺めていた。三十年からの歳月が流れても、グランド・キャニオンは変わっていなかった。変わらぬ自然の中で、人は変わる。思えば、自分もずいぶん歳を重ねたものだ。学生から社会人になって、会社生活も最終コーナーになった。学生時代から今日までのいろいろな出来事が、瞼に浮かぶ。特に、会社生活で大半を過ごした国際畑での体験やエピソードが……。そうだ、あまり歳をとらないうちに、これらを小話にまとめてみよう。そんなことを思いついたのである。
 それからは、暇を見つけては、こつこつと、記億をたどりながら書き綴った。一部には、最近の話題も入れた。うまく書けたかどうかは全く自信がない。話が古すぎるかもしれないし、面白くないかもしれない。それでも、おつき合い願って、お目通しいただけるなら、これにまさる幸せはないと思っている。(「まえがき」より)


藤森 靖允(ふじもり・やすみつ)
1942年 東京生まれ。
1965年 慶應義塾大学商学部卒業。同年東レ株式会社入社。海外事業を中心に大半を国際畑で過ごす。その間、経営企画や国際法務の経験もする。
1978年から2年間ロンドンに駐在。
2003年退職。
著書に
『いろいろにコスモポリタン』
『楽しみはアフター・エイトに』
『もっと知りたいイギリス』
『グッド・オールド・デイズ』
『閑居暇なし』
『朗読と映像でたどるイギリスの旅』(DVD)などがある。

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