腹背の敵: 李舜臣 対 豊臣秀吉の戦い

(著) 杉晴夫

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作品詳細

はじめに

 李舜臣の名は現在韓国では誰一人知らぬものはない、我が国の豊臣秀吉の野心から起こった文禄慶長の役(韓国では壬辰倭乱)において、朝鮮軍は陸戦では連戦連敗し、秀吉の軍勢に僅か二か月で首都を占領されたにも拘らず、李舜臣の率いる水軍は秀吉の水軍を撃滅し、我が国からの軍勢への補給の道を断ち切り、秀吉の野望を挫折させた。しかし我が国では、李舜臣の名は一部の歴史愛好家に知られているのみである。筆者の私見では、もし名将李舜臣が実在しなかったら、十分な後方からの支援を得、当時陸戦で絶大な威力のある新兵器、鉄砲を備えた秀吉の軍勢は、短時日のうちに明国の北京に到達しこれを占領していたであろう。
 明国の政治基盤は既に腐敗し脆弱になっていた。このため文禄慶長の役から数えて僅か半世紀後に明国は、武器としては原始的な弓矢しか持たず、人口も少ない、満州の女真族の軍勢のためあっけなく滅亡するのである。但し秀吉が仮に北京を占領したとしても、その後我が国が中国大陸に王朝を打ち立てることなど不可能で、我が国の勢力が大陸から排除されるまでの間、我が国、韓国、および中国の民衆に計り知れない惨禍を齎したに違いない。このように考えると、李舜臣は三か国の民を惨禍から救った恩人とも見做し得るであろう。
 当時の朝鮮は、中国の王朝が創始した科挙の制度により、儒学を修めた文官がもっぱら政治を行い、武官つまり軍人は文官によって支配される存在に過ぎなかった。政治を行うべき文官達は愚劣な政争に明け暮れ、一般民衆は搾取の対象でしかなかった。このため、李舜臣はその死後王朝により顕彰されたものの、以後急速に忘れられていった。これとは対照的に我が国では、鎌倉幕府の成立により、無為徒食していた京都朝廷の官人達の権威と権力は失墜し、武力を持つ武士が政治権力を握った。したがって李舜臣の海上での奮戦とその見事な死は「敵ながらあっぱれな名将」として、武士道を持つ我が国の武士達の心に刻み込まれ、明治維新に到るまで尊敬の対象であり続けた。
 明治維新後成立した日本海軍は、かつて武士であった人々から構成されており、日露戦争の帰趨を決する対馬沖海戦にロシア帝国の大艦隊を迎撃するため、朝鮮の沿岸に待機していた日本海軍の軍人達は、余暇に李舜臣ゆかりの戦跡を訪ね、東洋が生んだ名提督の霊に戦勝を祈願したという。
 日露戦争が日本海軍によるロシア艦隊の撃滅によって終わり、我が国はその後太平洋戦争に突入しこれに敗北した。この結果日本海軍は解体され、大戦前国家の祝日であった海軍記念日は消滅した。また教科書の東郷元帥をはじめとする日露戦争の英雄達の記述も削除された。現在の戦後生まれの人々で、東郷平八郎の名を知っている者は殆どいないであろう。
 これに対し韓国では現在、李舜臣の名を知らぬ者はなく、全国至る所に彼の銅像や彼を讃える顕忠祠が建てられている。筆者はかねてから李舜臣に興味を持ち、彼の伝記類を読みふけるうち、彼を尊敬するようになり、彼の苦難に満ちた生涯を思うことで生きる活力を得るようになった。彼は秀吉の軍勢と戦うばかりでなく、彼の功績を妬む同僚や宮廷人の讒言により、逮捕され、生命を奪われる危険に晒されていた。これに加えて、朝鮮王の要請により介入した明国の軍隊は、朝鮮の人々にたいし秀吉の軍隊を凌ぐ暴虐を行い、彼の作戦行動を撃肘した。しかし彼はこれら腹背の敵により加えられるもろもろの苦難にも屈せず英雄的な生涯を貫き、戦役掉尾の大海戦において見事な最期をとげた。
 筆者は数年前、李舜臣の事跡を訪ねようと韓国の首都ソウルに行き、まず李舜臣の銅像を訪れようとホテルを出た。生憎附近の道路は曲がりくねっており、彼の銅像のある大通り、中世路に辿りつくのに難渋した。筆者は交差点で笛を吹いて交通整理をしている警官に恐る恐る英語で「イースンシンの銅像を見に行きたいのですが」と尋ねた。ところが警官は驚いたことに姿勢を正し、「イースンシン! ああ有難うございます」と流暢な日本語で答え、交通整理の手を休めて私に丁寧に道を説明してくれた。
 さらに驚いたことに、私が歩き出した途端、上品な韓国の紳士(筆者と同年配の老人)が小走りに後を追っかけて来て、「あなたはいま警官に李舜臣の銅像への道を尋ねておられましたね。このように行かれれば、銅像は行く手に見えてきますよ」とやはり流暢な日本語で丁寧に説明してくれたのであった。
 この出来事は筆者を感激させるとともに、李舜臣に関心を持ち韓国訪問の目的の一つとする我が国の観光客がいかに少ないかを痛感させられた。筆者に示してくれた韓国人達の親切には、自国の生んだ英雄、李舜臣に関心を持つ、珍しい日本人に感謝する気持ちが感じられたからである。事実筆者と同行した妻が後日、韓国に何度も旅行している女性の友人に、ソウル訪問の目的が李舜臣にあると話したとき、返ってきた彼女の言葉は「李舜臣? その人いまどこに住んでるの?」であった。我が国の旅行案内書には、李舜臣についての記述が全く見られないのである。
 本書は李舜臣の高貴な生涯を我が国の人々に理解して頂くため、あらゆる点で対照的な豊臣秀吉の生涯と対比して描いたものである。筆者は生理学者であるが、今回全く畑違いの李舜臣の伝記の執筆を思い立ったのは、李舜臣の生涯を思うことが筆者に生きる力を与えてくれ、他の人々にもこの体験を共有して頂きたいと願うからである。さらに、李舜臣を讃える本書が、現在円滑さを欠いている我が国と韓国の関係改善の糸口となることを願わずにはいられない。旅客船、セウォル号の不幸な沈没事故で自信を失っているかに見える韓国の人々は、この事故が起きた珍島外洋の内側の鳴梁海峡こそが、李舜臣がかつて秀吉の水軍を全滅させ、故国を救った古戦場であることを思い起こして奮起していただきたい。

著者プロフィール


杉 晴夫(すぎはるお)
1933年東京生まれ。
東京大学医学部助手を経て、米国コロンビア大学、国立衛生研究所(NIH)に勤務ののち、帝京大学医学部教授、2004年より同名誉教授。
現在も筋収縮研究の現役研究者として活躍。
編著書に『人体機能生理学』『運動生理学』(以上、南江堂)、『筋肉はふしぎ』『生体電気信号とはなにか』『ストレスとはなんだろう』『現代医学に残された七つの謎』『栄養学を拓いた巨人たち』(以上、講談社ブルーバックス)、『天才たちの科学史』『人類はなぜ短期間で進化できたのか』(以上、平凡社新書)、『論文捏造はなぜ起きたのか?』(光文社新書)、Current Methods in Muscle Physiology(Oxford University Press)など多数。
日本動物学会賞、日本顕微鏡学会論文賞、日本比較生理生化学会賞などを受賞。
1994年より10年間、国際生理科学連合筋肉分科会委員長。

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