
若き洋画家布施淡 : 明治の恋と青春
(著) 布施協三郎
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―まだ「画家」という概念が知られてなかった時代に、その人は「画家」として生きた―
東北で初めての組織的な画家の団体「青年美術会」を発会させ、東北学院の教師として赴任してきた島崎藤村と起居を共にして藤村の仙台時代に大きな彩りを添えるなど、多彩な活動をした若き洋画家・布施淡。28歳で夭折したその人生の足跡を、妻・豊世と交わした手紙をはじめとする様々な資料をもとに辿りながら、東北の地に咲いた芸術家の血脈の肖像を描く。
[目次]
第一章 「殿様」と呼ばれて 今も残る旧幕藩家臣団
一 旧仙台藩柳津の領主
二 明治維新後の仙台藩
三 殿様の困窮と溜まるツケ
四 没落した士族の反乱
五 領地の売却と均等配分
六 旧家臣団との交流
七 今も残る旧家臣団
八 仙台の墓地修復
第二章 残された多くの手紙 淡と豊世の愛の記録
一 布施邑への旅
二 淡と豊世の記憶
三 手紙の再発見
四 解読者の中野正實氏
五 仙台文学館の開設
六 藤一也氏との出会い
七 池雪庵に帰る
第三章 禄を失った武家の若者 淡の信仰と東北学院
一 淡の受洗
二 押川方義の布教
三 香味チカの十二枚の銀貨
四 労働会の結成
五 仙台神学校から東北学院へ
六 シュネイダー夫妻
七 私と東北学院
第四章 アメリカ文化直輸入の教育 瑛子と宮城女学校
一 明治の女学生
二 宮城女学校の成り立ち
三 星良の退学
四 淡は宮城女学校の図画教授に
五 瑛子の記憶
六 戦時中の永島家
七 雪の中の白い病室
八 洋画家・永島吉太郎
九 孫の世代の記憶
第五章 明治期洋画の体系的教育 画塾「不同舎」の塾生たち
一 小山正太郎と「不同舎」
二 塾生たちの思い出
三 淡と「不同舎」
四 歌人 落合直文
五 「明治美術会」と「白馬会」
六 淡と東京美術学校
第六章 開港地横浜の外国文化 フェリス和英女学校の先進的教育
一 日本で初めての女学校
二 大江卓らの援助
三 第一回卒業生 若松賤子
四 星良と加藤豊世
五 淡と豊世が手紙を交換
六 星良の手紙
七 豊世にとって初めての男性
八 豊世は梅花を見に
九 悩める良の手紙
第七章 元武士が女子教育へ 自由恋愛が育つ明治女学校
一 星良の転校
二 戊辰戦争敗者の武士たち
三 恋愛至上主義の校風
四 豊世の婚約と良の中傷記事
五 シルクロードの北限
六 豊世の仙台訪問
七 星良の変調
第八章 島崎藤村との交遊 絵画と文学が美へ融合
一 淡が藤村を招く
二 広瀬川の畔の家へ
三 洋画家と文学者の生活
四 「ポンチ」から「漫画」へ
五 瑛子の思い出
六 美術と文学の交流
七 藤村詩碑の移転
八 夜の妻籠宿
九 『若菜集』刊行前夜
十 互いを認めあっての別れ
第九章 明治の東北美術界 淡の東京中央画壇への渇望
一 困難な上京
二 東北で初めての画家集団
三 発起人としての淡
四 淡の絵画への心情
五 絵かき職人
六 淡の日常の生活
七 「洋画」の定義
第十章 早すぎた別れとその後 残された子に夢を繋いで
一 東京での結婚式
二 淡の急死
三 信太郎を画家へ
四 豊世の渡米
五 信太郎と太平洋画会
六 相馬黒光との出会い
あとがき
資料・参考文献
ご協力いただいた個人及び団体各位
著者紹介
[担当からのコメント]
絵画とは何か、表現とは何か、芸術とは何か、その足跡を追っているだけでそんなことを考えさせられる人生には、中々出会うことはありませんが、本書の中にはそんな人生があります。芸術に興味のある方もそうでない方も、ぜひご一読ください。
[著者紹介]
布施協三郎(ふせ きょうざぶろう)
一九三九年四月三十日、東京・北区滝野川に生まれる。
立教大学社会学部卒業後、千代田火災海上保険(株)に入社、札幌市、関東各地、福島市、滋賀県大津市、東京都内などに勤務。
現在は居住している千葉県柏市で、ボランティア三十数名と共に「布施新町シネマ倶楽部」を結成し、その代表として、地域の高齢者を対象とした「映画会」を毎月開催している。
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