雁がね

(著) 西川日恵

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作品詳細

歌集『雁がね』の初めに 宮地伸一

 この歌集『雁がね』の巻頭に「逝きたまひし師」の一連がある。そのなかに、
  雁(かりがね)のわたるを見たるこの朝(あした)酔茗先生逝きたまひし記事
という一首があって、「酔茗先生」とはまさかあの詩人の河井酔茗ではあるまいと一瞬思った。ところが、あとのほかの作品でやはり明治時代から活躍した口語派詩人の河井酔茗であることが分かった。この歌集の著者、西川日恵氏はその教えを受けているのである。その歌のあとに、
  継橋の修復なりて四月八日手児奈の祭りに歌碑建てられぬ
という一首が目につく。著者は、万葉の真間の里の、亀井院の住職であられる。西川氏と言うよりは、西川師と言うほうが適切とも言える人である。
 右にまず二首を取り上げたのは、この歌集『雁がね』の性格を大きく規定すると思うからである。歌集のあとに「吾(あ)が恋は」と言う真間の手児奈を主人公とする小説と、ほかに幾つかの豊かな文章が収められているが、それを拝見すると、この著者は、単に歌人と言わんよりは、もっと幅広い文人と言うべき人のように思われる。しかし、中心はやはり作歌であろう。万葉の名所に住む住職であられるその境遇を十分に生かしてのびのびと詠ぜられているところに感銘を受ける。
  真間(まま)山(やま)の高き繁みに見え隠れ二羽の白鷺は巣をつくるらし
  弘法寺の鐘間近に聞きて遙かにも呼応する如し国分寺の鐘
  真間山に狸住めりと聞きゐしが朝靄に見たり二匹の狸
  鳩の群遠巻きにして見守るに撒かれし餌をば烏喰ひゆく
 ほんの一瑞をここに引いたに過ぎない。写生の目が行き届いているところが良い。
  魚を呑む鷗の喉のふくらむを啞然と見てをり朝の戸をあけて
  仰向きて尾を垂れし魚を呑みながら鷗は立てり池の水際に
 これは歌集のあとのほうの作品であるが、特に目についたので、引いておきたい。
  賽銭を取る子のあれば叱れるに離れて立つは母親なりし
  盗み取りし賽銭を持たせ仏前に礼をさすれば涙し始む
 こういう人間世界のこともあって沁々と心を打つ。

 さて、この歌集の中で心に迫るのは、亡くなった夫人に関わる作品である。
  手を握り心に経を唱ふれば妻の心電図俄かに動けり
から始まって、
  手を振りてまた振り返り手を振れる入院の日の妻し偲ばゆ
  あなた一人置いては逝けぬと普段より言ひたりし妻の十七回忌迎ふ
  妻逝きて十八年か梅の実の落つるに思ふ草を引きつつ
  臨終を告げられし妻に頬を寄せ持ちたる数珠を手に握らせき
というように、後々までも忘れ得ず折に触れ心に蘇らせているのである。実を言うとこの私も妻を病死させて二十幾年か過ぎた。その思いを重ねてこの歌集の作品を読み、いたく身に沁みたのであった。
 なおこの夫人のことは、「雁(かりがね)のわたるを見たる」というあとの文章にきびきびとした文章でなまなましくも書かれている。
  心猿に小説の手ほどきを受けたりき吾の中学三年の頃
という作品もあるが、小説風の描写もなかなか堂に入っている。(心猿という人は荷風に破門されたということが、ほかの作品によって分かる。)

 最後に次の一首を引く。
  新アララギ勧誘の手紙封を切り速座に会員の申込みをせり
 平成十年に新アララギが発足したが、それに「速座に」申し込んだと言うので、私に取ってもありがたい一首である。
 私が、市川市で短歌教室を開くようになって西川氏もそれに参加せられ、初めてお目にかかって、今日に及んでいる。同氏に歌集の序文をと乞われて、私などがお書きせずとも、と思ったが、あえて以上執筆した次第である。
  相続に仲違ひせるかはらからは親の法事を個々に営む
 極めて特色のある人事詠だ。こういう世界は、普通の人間には詠めない。住職としてのこういう世界をも生かして、これからもなお健詠されることを祈念し、擱筆することとする。

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