1945 終戦への道:本土決戦は亡国となる【電子書籍版】

(著) 加藤征男

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作品詳細

「先の大戦から終戦を迎えて二〇二〇年は七五年になる。あの焦土と化した日本を知る人は少なくなった。しかし、その大戦で敗戦を味わった当時の日本人は、戦勝国アメリカの占領によって屈辱と責任の後ろめたさから、後世の日本人に多くを語らずに来た。(中略)
私が最初に終戦史を書くことにしたのは、『GHQ歴史課陳述録』終戦史資料上、下を手にしたからである。しかし、多くの証言や記録には相違がある。そこで、これに直接関わった大井篤氏(元海軍大佐)がGHQに提出した報告書作成時の史料にした『木戸日記』や、当時その事柄に直接関わった人たちの『日記』や『回想録』等から引用して、相違がある場合でも事実は事実としてそのまま載せ、読者の理解に供するよう努力したつもりである。」(序文より)

【著者プロフィール】
加藤 征男(かとう・ゆきお)
昭和十六年十二月、新潟県中蒲原郡川東村(現五泉市)で父繁男・母トシエの長男として生まれる。この年は、私が今回著作した「日米英蘭への開戦」の年です。
父は、昭和十二年八月に召集を受け、中国大陸に渡り、第二師団第三輸卒隊の輜重兵として太原の攻略戦参加を始め、徐州、武漢、襄東作戦に至る対中戦のほぼ全域の戦いに参加、昭和十四年九月に復員し、翌十五年三月に同村の母と結婚した。同月、父は駐在所の巡査の勧誘を受けて、新潟の警察官教習を終え、六月末同県村上署勤務。
そして、昭和十六年七月、再召集を受けで満洲に出征、十八年三月に召集解除、約一年八ヵ月の任を終えて復員、終戦後の二十二年まで村上署勤務、そのご燕、六日町に転勤し、六日町署から県警本部に転勤も官舎が空く間、父は実家から通う。母も子供七人と村に帰る。
このとき、一番下の弟はまだ乳離れしておらず、父の実家は酒屋を営み、長男の嫁としての母は、産後の労苦も重なり三十年の雪深い一月、四十歳という短い生涯を終えた。
母が亡くなって間もなく、父は阿賀野川の対岸の村から継母を迎え、新潟市内に官舎も空いて移り、そんな中で書いた原稿用紙四枚の、父の実家で過ごした体験を新聞に投稿し、十五歳のとき「コント」欄に入選、文学に興味を持ち本ばかり読んでいた。新潟の工業高校に入学して間もなく、父が永住のため新潟市内に居を構えたが、私は継母と反りが合わず、大手の重工業を顧客とする企業で、文学の勉強と人生経験を積むつもりで東京に出た。
しかし、あるとき、明治生まれの創業者から、どこで聞いたか「三文文士をめざすより、うちの会社で力を発揮してはどうか」と言われ、その後四十年間、経営の一端を担い、後半では赤字続きの会社を黒字にするまでに回復させ、計画的退職後の六十過ぎから『1945終戦への道』(文芸社・電子版も)、『日米英蘭開戦への道』(文芸社)を出す。

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