いったい私はどう成りたいのだろう : 真宗入門

(著) 渡邉晃純

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作品詳細

[商品について]

―この国には何でもある。だが、希望だけがない―

子供も大人も老人も、それぞれが「生きる意味」を必死に探し求めているこの国、この社会において、いま本当に求められているもの――それはその悲鳴にも似た叫びに応えられる、生活に根ざした「ことば」ではないでしょうか。本書は、真宗大谷派・守綱寺住職として仏の教え、宗祖・親鸞聖人の教えを一般の方々にも分かりやすく伝えてきた著者が、現代人の持つ深い病理の闇に光を当てる念仏をひとつの機軸として、私たちが真に必要とする「ことば」を伝えようとする作品です。混迷の時代に生きる道を求める全ての方にお勧めしたい内容となっています。


[目次]

一章 生まれた意義と生きる喜び

(一)

仏陀=目覚めた人

ああ、私は眠っていた、迷っていた

不自由と不幸は違うんやね

江藤淳氏のこと

冷凍ミカン

(二)

目覚めるということ

状況を生きる

拠(よ)りどころ・方向

やどかりの詩

本当の幸せとは

自分からの解放

一人で生きることはできない

拠(よ)りどころのある人生

(三)

子供は大人になります。大人はいったい何になるのでしょう

不遇感、怯(おび)え、畏(おそ)れからの解放

生きる力

お恥ずかしい

(四)

都合について

迷いの世界

智慧の光に照らされて

無量寿を生きる

まず人間にさせていただく

わが「思い」の正体は

無量寿の命のはたらき

命の願いを

二章 汝は、汝に成(な)ればよい

現代人の飢えはどこで満たされるのか

現代を象徴する状況

豊かさのありか

満足をもたらす「存在の豊かさ」について

自己を生きる――自由と平等を生きる根拠――

十方衆生

人身受け難し

真実の言葉を聞こう――掲示伝道・寺報発行から教えられたこと――

生涯の課題

釈尊の求道に学ぶ

掲示伝道の面白さ

寺報の発行

人間は言葉によって経験をし、その経験を蓄積する

三章 「まこと」に出会うということ

〝一つ世界〟に出会いたい

ある高校生の言葉

南無する私の誕生

先人の御親切を……

「有縁(うえん)の知識に依(よ)る」――歎異抄に聞く――

仏法に目を開いて下さる先生に会うことは稀有(けう)なこと

どうすることが命を大切にすることか

幸せの条件は知っているが、幸せを生きたことがない

私たちの生活のものさしは、まず自分の都合

「空しさ」は、自分で自分を見捨てているという信号

私が仮(け)に立っていることを知らしめるのが真実のはたらき

四章 真宗の生活

命 日

縁(えん)を生きる

「思い」を立場とはしない

いのちをつなぐもの

わが身を法にひたして

あとがき

著者略歴


[出版社からのコメント]

仏教が日本に渡来してより長い年月をかけて多くの日本人の心に根付き、その拠り所となったことには意味があるのだろうと思います。宇宙の成り立ちからその果てまで、何でも知っていると思っていても、私たちは本当に大切なことは何一つ知らないのかも知れません。本書を通じて、今という時代の生き方を問い直す、そんなきっかけを多くの方に持っていただければ嬉しく思います。


[著者略歴]

渡邉 晃純(わたなべ・こうじゅん)


1940年生まれ。

名古屋大学教育学部卒。

大谷大学大学院博士課程(真宗学専攻)満期退学。真宗大谷派出版部長、同 教学研究所所員、同 岡崎教務所長、三河別院輪番などを歴任。

現在、真宗大谷派・守綱寺前住職。


〈著書〉

『御正忌の御文』(法蔵館)、「親鸞聖人との出遇い方を問われ」(東本願寺出版部)、『我が家の仏教・浄土真宗』編集代表(四季社)など。

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