薄氷: 病にうちかち短歌に生きる

(著) 光本恵子

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作品詳細

『薄氷』は、昭和六十一年十二月、短歌新聞社から刊行され、後に版を重ねた。短歌作品四四一首と、産後の大患を綴った散文「闘病記」を収め、宮崎信義の序と金子きみの跋を載せる。鳥取県に生まれ育った光本は京都女子大学在学中に、永田和宏や河野裕子らとともに「幻想派」に参加して時代の新しい歌に接するとともに、「新短歌」に所属して宮崎信義の薫陶を受けるところになった。光本がなぜ短歌を、そして口語自由律短歌を選んだのか、その経緯はわからない。しかし『薄氷』を読むと、光本にとって口語自由律短歌が、現在直面しているものに全身で向き合うのに、もっとも適していたものであったことが了解されてくる。
ポタァン ポタァン 暗闇に雨垂れの溜息生きる意味を教えてください
食べて眠ってうんちして一緒に星見た麻痺の子の性器の大きさ
暖かいんです ぽっかり空いた心にあの方が住んで下さるから
抵抗を覚えつつ先生と呼ばれる身におまえらの眼 痛く刺してくる
 最初の章である「二十歳の鼓動」の歌である。一首目にあるように、光本は生きる意味を考え、求めずにはいられない人である。二首目は療育園児とのキャンプでの歌であり、三首目は洗礼を受けての作であるが、作者は積極的に行為し、能動的に信仰を求める。若さのひたむきさがあり、心身まるごとの大きな感動が率直に言葉となっている。四首目は教員になっての作であるが、「先生」という立場にたじろぎつつ、生徒から眼を逸らすことがない。ここにあるのは、詩のための詩ではない。まず生きて葛藤している作者がいて、その生活と感情の表出として短歌がある。そしてその感情のありのままの表現として、現代の言葉、五七の枠にとらわれない自由な短歌の形がとられたといえるだろう。
 その後、光本は結婚して、夫の故郷である諏訪に住む。
不合理な因習を切りすてよといきまいても今夏も同じ梅の酸っぱさ
家の重みに耐え忍んで半世紀 手の甲に刻まれた姑の来し方
 今までと全く異なった環境は、光本に新たな葛藤をもたらす。自分の力ではどうにもならないものを見つめつつ、歌は現実をえぐり出す。また、鳥取の実家で長女を産むが、産後に生死をさまようような大病をする。
痛みを除いて下さい下腹部も胸も 哀しい顔で見ていらっしゃるのは神様ですか
ドス黒く内部からつき動かすものをこの手でえぐり出したい
ただの子宮というなかれ こだわっているうちはおんな
死の淵を通り過ぎた闘病のあと 海に沈む茜色の炎が私を燃やす
 本歌集の巻末に載せられている散文の「闘病記」は、より具体的に大患の推移を語る。置かれている状況や人の動きを具体的に記してリアリティーがあるが、神への思いや、身体の異様な感覚、おんなとしての切実な感情など、短歌で表現されたものには、作者の内部から訴えかけてくる肉声がある。自由律が心の振幅をさまざまにとらえ、一人称の発語としての短歌が生々しく心を晒していく。
 このような試練を乗り越えて、作者の生は新たなる意思と意欲へ向かっていく。しかし、生きていくことはさまざまな思いを抱え込むことであり、光本は自らの思いに従いつつ、焦燥し、思考し、自らの生を確認していく。
このままではまだ半分も生ききっていないと時計をにらみつける
数秒ごと襲う痛みにさあ来い受けてやるぞと腹を決めた
なだめられ黙りこんだ自由願望 密かに反乱の時を考える
 時計をにらみつける作者、腹を決める作者、反乱の時を考える作者。なんと、自然体で、自らのナイーブな感情と意思に向き合っていることか。歌集を読み進めていくと、さまざまな事象が具体的に歌われ、そこには逡巡や虞れや葛藤もあるが、作者はそれを率直に見つめて表現し、それを肯定し、乗り越えていこうとする。鳥取の故郷の変貌も歌われ、また今の生の拠り所である諏訪での日々が歌われるが、歌集一冊は人生のいろいろな局面を映しだしながら、前向きに積極的に生きていこうとする女性の、一つのドラマを見るようである。
 そして作者には、大きな宇宙、大きな自然の中にあるちっぽけな存在としての人間や自己という認識がある。だからこそひとりひとりの人間と自らの命を大切にし、現実にま向かっていこうとする意思をうたう。
冴え渡る星が湖に降ってきそうな夜 宇宙の一角に吐息する私
翼広げる白鳥 餌を啄む鴨 いろんな鳥がいて人もいる それでよい
逃げないで夕焼けの街の流れに沿おう 見えなかった視界が見えてきた
 口語自由律は近代の長い歴史を持つが、定型短歌に口語が頻用され、短歌の枠組みが変容している現在、その存在理由が問われることもある。しかし光本にとって口語自由律は、時代の中で生きる意味と自由を問い、記さずにはいられない現実とその思いを託すのに、もっともふさわしいものとしてあった。『薄氷』は作者光本にとっても、また口語自由律短歌においても、記念碑的な一冊といえるだろう。(解説:内藤 明)

著者プロフィールーーーーー
光本 恵子(みつもと けいこ)
1945年 鳥取県生まれ。
京都女子大学文学部国文科卒。
10代の学生時代に宮崎信義に出会い「新短歌」に入会、口語自由律短歌を始める。
卒業後、教職に就いたが、教師を辞して、信州の垣内氏へ嫁ぐ。
長女出産を機に、敗血症、と癌に陥り、生死の極みをかいくぐり、5年の闘病のあと生還。
1989年に信州で「未来山脈」を「新短歌」信州支部として創刊。
2002年、宮崎信義「新短歌」廃刊に伴い、同誌の会員も統合して、現在「未来山脈」編集発行人。

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