私たちは何も知らない 認識・概念・世界を徹底的に問え

(著) 芹澤数雄

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 私たちは生きる上で、生活する上で、さまざまな概念を根拠にしている。根拠にしていることも知らずに、根拠としている。ところが、本書では、私たちが根拠としている概念が悉く根拠なきもの、ニセモノの根拠だと示した。ここまでは、ニーチェの暴く行為と同じだ。ところが、ニーチェは、暴いた末に、何の根拠も見出せなくなった。絶対の価値が価値にあらずというところへ迷い込んだ。いわゆるニヒリズムの深淵に落ち込んだのだ。したがって、生きる意味も見出せず、徒労の毎日を強いられることになった。ギリシャ神話のシーシュポスの神話、カミュの不条理性だ。

 ここで、ニーチェはニヒリズムに耐える勇気を持てという。ニヒリズムに耐える新たな価値、根拠を創造せよとした。新しい価値によって、ニヒリズムは乗り越えられるとした。新しく意味を見出せ、目標を見出せとした。しかし、ニーチェの手法ではニヒリズムの深淵に落ち込んだままで、そこから脱出することはできない。確かに絶対の価値は消え失せた。依拠すべき価値、根拠はどこにも見出せなくなった。虚無の深淵にあるようだ。しかし、ニーチェの教えでは、権力への意志、超人では、ニヒリズムの深淵に落ち込んだままだ。デカルト、カント、ショーペンハウアー、フッサール、ハイデッガーなどの哲学の徒による提言も同じだ。私たちの依拠していた価値、根拠は確かにニセモノだ。すべてがニセモノだから、本物の価値はどこにもない。しかし、新たに創造した価値もニセモノだ。ニーチェなどの哲学の徒の提起したものも同断だ。八方塞がり、絶望にある。本当に絶望したのなら、価値を求めることを諦めるしかない。ニーチェの場合、価値を求めることを諦めなかった。したがって、価値を見出せなかったから、ニヒリズムの超克を求めることに止まった。これでは、ニヒリズムの深淵に落ち込んだままだ。

 しかし、さまざまな価値、根拠がニセモノであることを見切ったら、価値、根拠を求めることはない。完全な絶望にあるなら、価値、根拠の次元を認識することはなくなってしまう。この時、価値、根拠を求めることはないから、価値、根拠の欠如にはない。価値、根拠は充足しているのだ。本当に、価値、根拠がないと見切ったら、完全に絶望したら、その時、価値、根拠の欠如は無い、価値、根拠は充足している。ニヒリズムの深淵にあるのではなく、ニヒリズムから脱却しているのだ。中途半端に価値、根拠の存在を批判するのではなく、徹底的な批判が、そして、徹底的な絶望にある時、そこに諦めがある時、虚無の深淵が、価値に溢れた世界が現れるのだ。

[著者略歴]
芹澤 数雄(せりざわかずお)
1948年 静岡生まれ
1977年 一橋大学大学院経済学研究科博士課程修了
著書『自己愛の経済学序説』(北樹出版、2004年)
『反科学を超えて』(北樹出版、2010年)
『ニヒリズムを超えて』(北樹出版、2010年)
『認識を問う』(中川出版、2013年)
『人間を問う・欲望を問う』(北樹出版、2013年)
『学問を問う・科学を問う・真理を問う』(北樹出版、2015年)
『認識を問え・自己を問え・死を問え』(北樹出版、2016年)
『呪縛を解く―夢から覚める』(22世紀アート、2022年)

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