バンクーバーに日本人野球クラブがあった頃――我が祖父・松宮外次郎とカナダ移民の時代

(著) 松宮哲

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作品詳細

[商品について]
――バンクーバー暴動事件を契機に日本とカナダとの間で交わされた、移民制限に関する紳士協定、「レミュー協定」を結んだ当時の外務大臣は次のうち誰か。
1.林董 2.井上馨 3.西園寺公望
正解は本書「第3章 バンクーバー暴動事件」をご覧ください。
1900年初め、カナダ・バンクーバーには「バンクーバー朝日軍」という野球チームがあった。日本人移民によって結成されたこのチームは、日本人排斥の気運が漂う中、白人チームと対戦して当時の移民達を大いに沸かせた――この「バンクーバー朝日軍」の初期に会長を務めた松宮外次郎の孫にあたる著者が、外次郎の生い立ちを軸に、滋賀県人のカナダ移民の背景やパウエル街における松宮商店の躍進、そして「バンクーバー朝日軍」活躍の軌跡を辿った、知られざるもう一つの昭和史。

[目次]
はじめに
第1部 松宮外次郎の生きた時代
第1章  近江の水害
瀬田川の流れ
犬上川の人柱「お丸」
元禄時代の犬上川周辺
絵からぬけでたほとけさま
明治初期の開出今周辺
1896年(年明治29年)の大水害
洪水の水位を示す石碑
第2章  海外渡航
大水害以前の海外渡航
大水害以後の渡航
渡航先バンクーバー
渡航前横浜での旅館
第3章  バンクーバー暴動事件
第4章  パウエル街の発展
県人会
加奈陀日本人会
バンクーバー商業組合
ソーミル(製材所)
宿屋組合
料理屋組合
時計商組合
靴屋営業組合
理髪業者組合
運送業組合
洋服裁縫洗濯業組合
自動車業組合
自動車研究会
その他
カナダから日本への送金
第5章  教育と信仰
バンクーバー日本共立語学校
加奈陀仏教教会
第6章  バンクーバーの近江商人たち
近江商人の歴史
近江商人の家訓
三方よしと隠徳善事
パウエル街付近の自営業者
松宮外次郎 日本食を輸入販売
北川源蔵 婦人服店をチェーン展開
前川留吉 塩鮭を日本に輸出して巨利
宮崎政次郎 医療活動に献身
第7章  日本の出来事の影響
米騒動
関東大震災
第8章  松宮商店のその後
火災類焼事件
経営は息子の増雄へ
日本へ帰国後の外次郎
第2部 バンクーバー朝日軍の歩み
第1章  日本体育倶楽部から朝日軍へ
日本体育倶楽部の設立
「朝日チーム」という名称の初出
小学生チームに敗北
明治最後の年
ビクトリア軍との交流
「旭軍(朝日軍)」の初出
日本体育倶楽部が「ブレーブ軍」となる
「朝日軍」1チームに統一か
白人チームと対戦
共立語学校の運動会出場
第2章  朝日軍の初代監督・宮崎伊八
初代監督の娘・八重子さん
松次郎と伊八の年齢
1916年の写真
いとこの宮崎政次郎の手記
「大陸日報」の広告記事 馬車屋
古本さん所有の画像
1926年「大陸日報」の記事
第3章  初期朝日軍の会長
選挙によって選ばれた役員
空白の4年間の部長は?
第4章  朝日軍の優勝、分裂そして日本遠征
笠原監督の就任
インターナショナル・リーグ優勝
シティー・リーグへ加入
朝日軍の分裂
朝日体育倶楽部が日本遠征
第5章  宮崎重市監督との1920年代
宮崎重市監督の就任
2年連続リーグ最下位
3年連続リーグ最下位
後期で一時はリーグ首位に
ターミナル・リーグで優勝
「大陸日報」紙上の選手紹介
シニアシティー・リーグへの加入
シニアシティー・リーグで善戦
本年で宮崎重市監督が退任
第6章  山あり谷ありの1930年代
北川英三郎監督が就任
ロイ山村末記がアロー軍へ移籍
田中武二郎が監督に就任
ターミナル・リーグ優勝
日本人野球連盟創立
中村宏監督が就任
「老人組」対「美人軍」の試合
ターミナル・リーグ制覇ならず
安居義一が監督に就任
大日本東京野球倶楽部との対戦
ターミナル・リーグは3位
シニア・B・リーグに加入
チーム不調で白人選手が加入
第7章  対日感情悪化の中で
山村末記が監督に就任
ネックだった打率が向上
打撃好調で、他チームを圧倒
朝日軍、最後の試合
日米開戦により強制移住
第8章  バンクーバー朝日の復活
朝日軍に関する最初の本
始球式と野球殿堂入り
記念メダルの贈呈
日本で出版された2冊の本
日本で制作された映画公開
新朝日軍の日本遠征
あとがき
主な参考文献
著者略歴

[担当からのコメント]
『バンクーバーの朝日』という映画で初めて「バンクーバー朝日軍」の存在を知った方も多いのではないでしょうか。その朝日軍の結成から現在の状況までその歴史が綴られている本書、映画を観た方はもちろん、これからという方もぜひご覧いただければ嬉しく思います。

[著者略歴]
松宮 哲(まつみや・さとし)

1947年10月 滋賀県彦根市開出今町に生まれる。
1970年3月 大阪工業大学工業経営学科卒業
1970年4月 (株)内記金属製作所(現:株式会社ナイキ)に入社
1985年6月 同上退社
1985年7月 (株)マツミヤケミカル入社
        彦根工場長として現在に至る

長男:松宮徹 次男:松宮健治 三男:松宮外志也 の三男に恵まれ、それぞれの家庭で健在で過ごしている。

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