大震災の刻 (とき) を生きる:這い上がる被災地の県立高校

(著) 鈴木正裕

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作品詳細

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[商品について]
―大震災後の被災校にあった異常事態、事務長が見た混乱から復興までの学校とは―
2011年に起きた東日本大震災で、福島県立相馬高校は幸いにも壊滅を免れ、原発事故に伴う避難区域からもわずかに外れた。しかし、被災にあえぐ地域と学校との心の隔たり、4か月にも及ぶ校長不在、サテライト協力校として最大約1500名の生徒と約180名の教職員を抱える異常な事態、それらを一顧だにしないお役所教育委員会からのお達しなど、伝統あるこの高校が特殊な状況と未曾有の苦難に追い込まれ、さまざまな理不尽と向き合わざるを得なかった。中学校の制服姿の新入生が並ぶ2週間遅れの入学式から、1年後はどんな卒業式を迎えたのか―。大震災当時に事務長であった著者の目から見た、被災から復興までの学校のノンフィクション。

[目次]
第一章 大震災の発生
激しい揺れと広がる動揺
大混雑の避難施設「相馬アリーナ」
壊れた学校施設
第二体育館の惨状
物資不足の辛さ
巨大な避難所と南相馬市の姿
悪夢に魘(うな)された日
第二章 迷走する学校
通信回復後に届いた文書
被災地から遠ざかる県立高校
避難所に向かう決意と行動
学校再開の検討
校長の定年退職
紆余曲折の末の学校再開
第三章 入学式
暗澹(あんたん)たる入学式
第四章 サテライト協力校
大混雑の予感
県有財産としての相馬高校の施設
校舎に押し込まれた原町高校
体育館利用の教室となった相馬農業高校
共同生活のルールづくり
サテライト校の開始
仮設校舎への不満
仮設校舎の移転
サテライト協力校の仕事に忙殺された日々
第五章 災害復旧との闘い
九件の災害復旧工事
工事のデパート数店分
第六章 見守ってくれた多くの人たち
熱心な県議会常任委員会の活動
「小沢チルドレン」と文部科学省の皆さん
京都府の「善意の懸け橋」
境野米子氏の来校
県教育委員会について思うこと
相馬港湾建設事務所のエピソード
日本にたくさんある「絆」
第七章 エアコンの寄贈と設置・稼働
相馬高校に設置されたエアコン
境野米子氏から授かったもの
NPO法人JIPPO(十方(じっぽう))との出会い
県教育委員会の裁断
瀬戸際に立たされた学校
エアコンの寄贈と設置そして稼働へ
冷房設備の設置から学んだこと
第八章 会計事務手続きの誤り
学校現場の思わぬ落とし穴
入札事故で考えたこと
入札事故の公表で訴えたこと
生徒へのプレゼントと県教育委員会からのクレーム
第九章 感謝してくれたサテライト校の職員たち
感謝の別れ
ともに生活してきた仲間たち
第十章 大災害への備え
千年に一度の災害対応マニュアル
学校の危機管理について考えたこと
第十一章 誉(ほま)れ高き伝統校
伝統校を育んできた歴史と由緒ある相馬の地
バレーボールの本物の王者
全国にも名を馳(は)せた部活動
若駒の文化祭
修学旅行で嬉しかったこと
最高のステージ「卒業式」
予想外れであった大学進学実績
後 記 大震災を振り返って
一枚の年賀状から滲(にじ)み出ていたもの
相馬高校生について思ったこと
大震災から歩んできた記録作成への挑戦
相馬の夜明けとわが相馬高校の生徒たち
*皆さんからの励ましのことば
発刊に寄せて 福島県立相馬高等学校 校長 二本松 義公
鈴木事務長の大きな手 福島県立相馬高等学校 教諭 武内 義明
二〇一一年のこと 福島県立相馬高等学校 教諭 小野田 義和
公 僕 福島県立相馬高等学校平成二十三年度PTA会長 花塚熱学工業有限会社 代表取締役  花塚 豪人(ひでと)
福島県立相馬高等学校 校歌

[担当からのコメント]
震災から月日が流れ、未だ被災のただ中にいる方、過去の記憶を胸に前に進んでいる方、色々な方がいらっしゃることだと思います。本当の災害は地震でも津波でもなく、過去の記憶を引き継いでいかなかったことなのだとすれば、これからの私たちにはあの災害によって得た教訓を決して手放さないことが求められるのではないでしょうか。本書を機に、多くの方が今一度災害について考える時間を持っていただければ嬉しく思います。

[著者紹介]
鈴木 正裕(すずき まさひろ)

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