復刻&追証版〔付〕詳細倭人伝行路地図・古代多元倭国史年表:邪馬「壹」国の実像:魏使周旋読法が導いた「銅矛圏」倭人国群の実相:倭国は卑弥呼「邪馬臺國」から壹与「邪馬壹國」へ

(著) 清水守民

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[商品について]
―虚心に倭人伝を読み切れば、原初の日本の姿が見えてくる―
邪馬壹国の所在地は、「倭人伝」に詳細な記載があるにもかかわらず未だに特定されていない。これまで、この「日本古代史最大の謎」に多くの研究者が挑戦してきたが、何れも強引な解釈や原文操作が必要な説ばかりで、解明したといえるほどの充分な説明には辿り着かなかった。文献学と地理学・考古学から複眼的に謎に迫った古田武彦氏の研究例もあるが、古田説でも多くの不明点が残されている。本書は、そうした視点から古田氏の研究を踏まえつつ、そこから生まれた疑問への答えを「原倭人伝」の姿に追い求めながら、倭人国群の実体を明らかにした倭人伝謎解きの記録である。「卑奴母離」が語るものは何か、「余」「可」から導かれる距離表示法則とは何か、倭人伝の中にある倭人国の実像とは如何なるものかーー邪馬台国論争に新たな視点をもたらす思索の旅、待望の電子化。

[目次]
序  魏志倭人伝の謎に挑む
一 端緒――古田説への疑問から
古田氏の行路設定には疑問が山積み
なぜ女王国への最終里程が記されていないのか
二 行路記載の「性格」を読む
(1)「卑奴母離」が語るもの
卑奴母離不在の末盧国へは寄り道か
(2)「至」、「到」が語るもの
倭人伝の行路は女王国を目指していない
(3)「従郡至倭」とは何か
行路情報源は張政のつぶさな倭人国群踏査レポート
(4)「自郡至女王国万二千余里」とは何か
万二千余里は「中原からの会稽東治」と対応している
補・陳寿の記述姿勢
長里もあれば短里もある
三 行路記載の「法則」を読む
(1)「行」、「渡」が語るもの
渡海・水行・陸行は魏使の実践行動を示したもの
補・糸島水道考
糸島平野には船行可能な水路があった
(2)「余」、「可」が語るもの
余・許・可は測定精度のあいまいさを表現したもの
(3)方向記載が語るもの
「方向記載なし」でも次の目的地はわかる
(4)里程、日程が語るもの
不弥―投馬―邪馬壹国間には余旁国が含まれている
(5)「行+至」が語るもの
「水行十日陸行一月」は投馬―邪馬壹国間の実践行路
四 倭人国の「領域」を読む
(1)韓伝と倭人伝の間
倭人国は韓半島にはなく、あくまで「帯方東南大海の中」にある
(2)狗邪韓国
狗邪韓国は「大海の中」の巨済島にあった
(3)「倭」と「韓」
狗邪韓国と対海国は韓地にある倭人国
五 倭人国の「配列」を読む
(1)「帯方郡」より「不弥国」まで
女王国以北行路は古田短里の生き証人
補・奴国比定説の検討
弥生期の糸島は二万戸の大国
(2)「不弥国」より「邪馬壹国」まで
邪馬壹国は不弥国のすぐ南、投馬国から水行十日陸行一月でたどり着いた地
(3)「二つの奴国」が意味するもの
二つの奴国は同じ国/奴国訪問は陸行一月の最後に
補・奴国考
奴国は卑弥呼期には「奴隷」の国に
(4)「周旋可五千余里」が意味するもの
周旋五千里は余旁国歴訪の軌跡を示したもの
六 見えてきた倭人伝の国々
(1)倭韓行路の考察
〔A〕「帯方郡→狗邪韓国、全水行」について
狗邪韓国へは全水行で
〔B〕倭韓渡海ルートの解明
海峡渡航は往路復路で異なる/二重のゲート・伊都と沙都/倭韓の沿岸は点対称
(2)九州島の考察
末盧―邪馬壹国行路は九州島歴訪の軌跡を示したもの
(3)銅矛圏の証明
倭人伝の国々は銅矛圏内に/侏儒国は宿毛―足摺岬に/卑弥呼は銅矛の女王だった/女王の都は鴻ノ巣丘陵か/投馬国は狗奴国攻略をはかる女王側の拠点国/原倭人伝は張政がもたらした狗奴国包囲網レポート
(4)倭人伝の国々
倭人伝の国々をすべて比定する
補・侏儒国考
おとぎ話ではない侏儒国
(5)倭人伝の方角判断について
基準となる東は日の出の方向/張政は夏にやってきた
七 大倭王誕生の光と影
(1)「地理記述」と「歴史記述」
魏志と後漢書二つの正史から史実を追う
(2)「壹」と「臺」
壹にこだわった陳寿と臺にこだわった范曄
(3)「卑弥呼期」と「壹与期」
後漢書は卑弥呼期を魏志は壹与期を描写したもの
(4)「大倭王」と「使大倭」
使大倭には邪馬臺国がふさわしい
(5)正始八年の「変異」
卑弥呼処遇の変化と突然冷遇された壹与
(6)「壹」が語る倭人伝の秘密
卑弥呼の大倭王宣言/壹字で忠誠を誓った壹与
八 結尾――「原倭人伝」を追う
狙われた大倭王卑弥呼/張政の倭国介入/九州倭人国を視察する/卑弥呼暗殺と大倭国の滅亡/女王国から四国西岸へ/邪馬壹国の誕生
了  謎を解き終えて
資 料
参考文献
あとがき
優れた新説「北部九州横断説」 東海大学福岡短大教授 いき一郎
追証版〔付〕詳細倭人伝行路地図・古代多元倭国史年表
九 追証・実像を確証する
(1)中国史書「邪馬壹国」の証言
『魏略』逸文を交えた国名分析/唐代の「惟・堆」音論争
(2)実証科学「周旋読法」の証言
「海洋考古学」茂在寅男の指摘/「贈・答品交流」の指摘
(3)銅器遺物「女王領域」の証言
「広形銅矛史」の指摘/『銅鏡百枚』女王好物漢鏡の指摘
(4)邪馬台国大和説への反証と巻向再評価
大和の史料と倭人伝の不一致/改めて素晴らしい巻向文化
□追い書き
■詳細倭人伝行路地図
※参考併記―記紀神話の本貫はこの「筑紫」に
■古代多元倭国史年表
※中国史書は『倭国』を一貫して「九州島」に
著者略歴

[担当からのコメント]
本書は古代史を史実と思考実験による謎解きとして捉えている点で、情緒的な側面もあったこれまでの邪馬台国研究とは一線を画しています。論理の翼で軽やかに古代史の森を堪能する愉しみを、ぜひ味わっていただければ嬉しく思います。

[著者略歴]
清水守民(しみず・もりたみ)

1949年、栃木県足利市生まれ。
千葉大学・文理学部で心理学を専攻。
広告業界で一貫してマーケティング業務に従事。
(株)オリコミ(現オリコム)等に勤務。
退職後、大阪に5年間「歴史遊学」。
ブログ「古代ペンタクロス文化」で、五芒星結界文化史を発信中。

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