無農薬茶は"百姓"の心意気 : 消費者と手を携えて二十五年

(著) 杵塚敏明

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作品詳細

[商品について]

――世界四大銘茶の産地の1つに数えられるアッサムとは、どこの国の地域でしょうか。

1.インド 2.中国 3.スリランカ

正解は本書「第7章 次は紅茶づくに挑戦 山一面が広大な紅茶園で」をご覧ください。

「無農薬では無理」と言われるお茶栽培で、なぜ困難な無農薬栽培に挑戦したのか。農薬・化学肥料に固執する茶農協との確執や消費者との協力、無農薬茶栽培に光をもたらしたクモの存在など、33歳で無農薬茶栽培に乗り出た著者がいま、成功に至るまでの道のりと挑戦を通じて得られた農業や教育についての考えを具に語る。茶農家ならではの「お茶のおいしい入れ方」や「茶葉の保存方法」も紹介した、無農薬茶の魅力と茶農家の心意気が伝わる1冊。



[目次]

はじめに

第1章 「土づくり」から 「無農薬」への挑戦

貧しい暮らしからの脱出めざして

父親から追いかけられて

父親の死で一家の中心的働き手に

平飼養鶏に挑戦したが……

「これは土がおかしい」と気がついて

化学肥料だけでなく農薬も「土を死なす」

いい土で育った茶の木は葉の色が違う

第2章 苦しかった害虫とのたたかい

「杵塚の小僧いるかッ」と怒鳴り込まれて

無農薬づくり一年目に二番茶が大きな被害を

動物性たんぱく入り〝迷茶〟の波紋

害虫に負けずに育った無農薬茶

無農薬のお茶は昆虫を殺さない茶畑から

第3章 「旨くて収量の多い」 無農薬茶めざして

「虫」よりも「病気」とのたたかいが

消費者との交流の中で

代金未払いの生協をNHKが取材したら

生協の若い担当者が「お茶刈り取り」体験

東都生協の素晴らしさに感動

第4章 農業ほど楽しく、 いい職業はない

「一年を半年で過ごす」お茶農家?

無農薬の茶農家は楽ではない

苦労はあるが、楽しい仕事

「わしの人生、何だったんだろう」

「苦しさ」を「楽しさ」に変える農民組合へ

苦しい中でも「恵まれた部分」に目を向けよう

私の編み出した「茶畑の上手な買い方」

第5章 「子育て」の基本は農業と同じだ

「たけのこ保育園」の縁で妻と結婚

子育てと共通する農業の「苗半作」

子育ては「楽しくやるべし」

娘にせがまれて馬を飼うことに

一石三鳥の効果があった馬の飼育

第6章 無農薬茶は 雑草とのたたかいが勝負

一年に五回くらいは草取りが必要

たとえ「木酢」でも動力噴霧器は使えない

農薬散布は人間を異常にする

灼熱(しゃくねつ)の炎天下での草取り

農業関係の仕事にすすむ若い人たち

第7章 次は紅茶づくりに挑戦

スリランカで農業指導していた青年が

山一面が広大な紅茶園で

第8章 ウーロン茶では苦戦の連続

「こんなに旨いウーロン茶、飲んだことがない」

台湾に着いてからが、さあ大変

味も上々、素晴らしいウーロン茶ができた!

今度は仲間の生産者も一緒に台湾へ

お茶はその国の気候、風土でつくられたものが最高

第9章 いまの教育に 「もの申したい」こと

柿の木に登れなかった小学生

「あの蜜蜂がかわいそうだ」と保育園児が

自然の中で学ぶことの大切さ

指示されないと行動できない〝優等生〟では

ノコギリとナタの使い方も知らない大学生

屋根のトタン張りを頼んだら

第10章 わが人生に悔いはなし

吃音(どもり)に悩んでいた少年時代

青年時代は芝居づくりに熱中

キリシタン弾圧を描いた戯曲を上演

初めて農業委員選挙に立候補

私のバックボーンとなった「政治的土壌」

「先取の精神」にあふれていた義父との出会い

妻には感謝することばかり

いよいよ念願の「わが家」を新築

「災い転じて福となせ」と思いっきり大きい家に

よき先輩、友人、家族に恵まれて

第11章 健康食品としての 「緑茶」の効用

お茶の殺菌作用で食中毒も予防できる

お茶の抗菌作用は風邪や水虫にまで

お茶には「ガンの増殖を抑える」効果が

お茶は血圧を下げ、成人病を予防する

花粉症やアレルギー性皮膚炎にも効く

緑茶を「食べる」と効果が倍加

飲んだあとの茶殻も料理して

【附録】

お茶のおいしい入れ方

茶葉の保存法

【資料】1 無農薬茶の会趣意書(一九七六年作成)

【資料】2 無農薬茶 新茶だより(二〇〇〇年度)

あとがき

【著者紹介】



[担当からのコメント]

本書には、食に真剣に向き合い奮闘する生産農家の方々のひとつの姿が描かれています。私たちの口に入り、健康にも大きな影響を及ぼす食の問題について、消費者として真剣に考える機会を多くの方に持っていただければ嬉しく思います。



[著者紹介]

杵塚 敏明(きねつか・としあき)



1943年静岡県藤枝市に生まれる。中学卒業後、山林労働に従事するが、20歳のとき父親を事故で失い、農業のかたわら牛乳配達、左官、トラックの運転手などのアルバイトをした。33歳のとき無農薬茶づくりに挑戦、さまざまな苦労を重ねながら生産者仲間を増やし、消費者との結びつきを広げて経営を軌道に乗せることに成功。

現在、有限会社「人と農・自然をつなぐ会」代表取締役、「無農薬茶の会」代表、静岡県農民連副会長をつとめている。

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