絵で語る子どもたちの太平洋戦争 ―毒ガス島・ヒロシマ・少国民

(著) 岡田黎子

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作品詳細

[商品について]
――第二次世界大戦で日本が製造していた気球爆弾は、何の糊で接着されていたでしょうか。
1.米 2.こんにゃく 3.とうもろこし
正解は本書「第一部 11.気球爆弾(風船)の製造、気球の説明」をご覧ください。
広島県竹原市忠海町の南方約3キロのところにある大久野島。この周囲4キロほどの小さな島は、第二次世界大戦中は極秘の孤島として、地域住民も固く口を閉ざし、日本地図からも抹消されていた毒ガス島だった――。学徒動員で駆り出された10代の少女達の知られざる戦争を著者自身の体験をもとに綴った「大久野島・動員学徒の語り」、戦時下の子ども達の日常生活にフォーカスを当て教育がいかにして人々を戦争の泥沼に引きずり込んでいったのかを描いた「子どもたちの太平洋戦争」の2編を収めた本書は、豊富なイラスト・写真で子どもたちが巻き込まれた戦争の現実を後世へと伝える作品である。

[目次]
ごあいさつ
出版にあたって
Ⅰ部 大久野島・動員学徒の語り
大久野島について
1.海の見えない汽車の中(1944年~1945年8月)
2.学徒動員(1944年11月)
3.荷物検査(1944年11月)
4.発煙筒の作業、発煙筒の実験見学(1944年11月)
5.発射発煙筒の錫箔貼布(1944年11月~12月)
6.火薬の爆発(1945年4月20日)
7.おにぎり(1944年11月~1945年2月)
8.つまようじに使った松葉(1944年11月頃)
9.チラッと見た毒ガス製造工員さん(1944年11月頃)
10.防毒面の配給(1944年11月頃)
11.気球(風船)爆弾の製造、気球の説明(1945年1月~2月)
12.気球本体となる原紙製造の見学(1945年1~2月)
13.原紙のチェック(1944年11月~1945年2月)
14.原紙の補修(1945年1月~2月)
15.気球の組立、断片の接合(1945年1月~2月)
16.半球から球体に(1945年1月~2月)
17.球体の組立完成(1945年1月~2月)
18.気球の塗装仕上げ(1945年1月~2月)
19.草履つくり(1945年3月)
20.防弾壁(土塁)作り(1945年初夏)
21.忠海中学生の作業(1945年初夏)
22.かいま見た工室内(1945年初夏)
23.毒ガスの原材料疎開、保管庫からの積出し(1945年7月)
24.保管庫から桟橋まで(1945年7月)
25.氷のおやつ(1945年7月)
26.大三島に渡って(1945年7月)
27.桃の配給(1945年7月)
28.室内の整備と諸設備の取り外し作業(1945年7月末~8月初め)
29.廃棄物焼却作業(1945年6月~8月)
30.竹槍訓練(1945年8月)
31.敗戦を迎えて(1945年8月)
加害者となって──Ⅰ部再刊行に当たって(2013年)
Ⅱ部 子どもたちの太平洋戦争
1.蛍(1932~1933年・昭和7~8年)3~4歳 西大田村
2.爆弾三勇士(1937年・昭和12年)小学校2年生 日中戦争勃発
3.出征兵士(1937年・昭和12年)小学校2年生 西大田村
4.提灯行列(1937年・昭和12年)小学校2年生 西大田村
5.国の祝日(~1945年・昭和20年迄)幸崎小学校3年生~
6.国民の心(1938年~・昭和13年頃から)小学校3年生頃から
7.戦争ごっこ(1937年~・昭和12年頃から)
8.太平洋戦争開戦(1941年・昭和16年12月8日)幸崎小学校5年生
9.千人針(1941年~・昭和16年から)幸崎小学校5年生
10.勤労奉仕(1941~1942年・昭和16~17年)幸崎小学校5~6年生
11.閲兵分列(1941年~・昭和16年から)幸崎小学校5~6年生
12.町葬(1939年~・昭和14年頃から)幸崎小学校3~6年生
13.釣鐘供出(1942年・昭和17年頃)小学校6年生
14.女学校での教科(1943~1945年・昭和18~20年)女学校1~3年生
15.手旗遊び(1944年・昭和19年)
16.勤労奉仕(1943~1944年・昭和18~19年農繁期)女学校1~2年生
17.教師の出征、自習時間(1944年・昭和19年)女学校2年生
18.勤労奉仕、火薬袋縫製(1943年・昭和18年6~12月)女学校高学年
19.勤労奉仕、火薬袋にラッカー塗布(1943年6~12月)高学年
20.学徒動員、十姉妹(1944年・昭和19年11月~敗戦まで)女学校2~3年生
21.ビラ(1945年・昭和20年春)女学校3年生
22.銃後の守り(1945年・昭和20年)
23.救護訓練と医療活動(1945年・昭和20年)女学校3年生・4年生
24.呉空襲1(1945年・昭和20年7月1日)Sさん 女学校3年生
25.呉空襲2(1945年・昭和20年7月2日)Sさん 女学校3年生
26.筍生活(1944~1948年・昭和19~23年)
27.敗戦を前にして(1945年・昭和20年8月)女学校3年生
28.原爆雲・塩田作業(1945年・昭和20年8月6日)女学校3年生
29.ヒロシマへ被爆者救護1(1945年・昭和20年8月)女学校3年生
30.被爆者救護2(1945年・昭和20年8月)女学校3年生
31.大久野島の戦後処理(1946年・昭和21年5月~約半年間)
32.孤児の戦後(1945~1946年・昭和20~21年)女学校3年生
33.傷痍軍人、戦後教育(1945年~・昭和20年~)女学校3年生~
34.孫君からの手紙「日本の友だちへ」(1995年・平成7年)
願いをこめて──Ⅱ部のおわりに(2009年)
再刊行によせて(2013年)
著者略歴

[出版社からのコメント]
戦争は非日常として語られますが、現実には戦争中であってもそこには日常もあったはずです。戦争の怖いところは、そんな日常を細部から犯していくことなのかもしれません。本書は戦争の悲惨な面だけでなく、そこにあった日常も描いているため、そのことが切実に伝わってきます。

[著者略歴]
岡田 黎子(おかだ・れいこ)

1929年、広島県に生まれる。
1944年11月から1945年8月の終戦まで、県立忠海高等女学校の2年生から3年生(現・中学2年生から3年生)へかけて、東京第2陸軍造兵廠火工敞忠海兵器製造所、大久野島毒ガス製造工場に学徒として出動し、1945年8月に被爆後の広島に救護活動に行った。
1952年に京都市立美術専門学校(現・京都市立芸術大学)を卒業し、1963年から1985年まで、中学校、高等学校に美術担当教師として勤務した。以後、京都府の玄光会に所属し日本画制作をしている。
著書に画集『大久野島・動員学徒の語り』(1989年刊)『子どもたちの太平洋戦争』(2009年刊)がある。
広島県三原市在住。

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