一介の百姓が政治家になる

(著) 倉井毅

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作品詳細

[商品について]
――島根県議会が議決して制定した「竹島の日」は、何月何日でしょうか。
1.1月11日、2.2月22日、3.11月11日
正解は、本書第7章の「『竹島の日』制定へむけて」をご覧ください。

4期目も無投票と噂された広瀬町長選挙に16年間も選挙をしないのはよろしくないと思い立候補を決断し、一人で選挙運動を開始したあの夏の日から始まった政治家人生。全国で初めての議員提案による政策条例「島根県中山間地域活性化基本条例」案の可決成立にこぎつけるなど、議会人として農業で生きる地域の問題や課題にライフワークとして全力で取り組んできた。29歳の時に突如ネフローゼ症候群という難病に襲われ、県会議員2年目のときには心筋梗塞で倒れ死の淵をさまようなど、様々な困難と得難い経験をしてきたその波乱万丈の人生を、若かりし時から政治の一線から退くまで、70年余りの日々をいま振り返る。

[目次]
序章 二度目の誕生日
序にかえて――二度目の誕生日
一章 私のルーツ
我が家のルーツ
家族群像
祖父「傳市」爺さんのこと
「とのよ」婆さんのこと
父「隆司」のこと
母「ゑつよ」のこと
妻「公子」のこと
二章 私の成長期――学生時代から青年団時代へ
小学校時代 山佐村立下山佐(しもやまさ)小学校(昭和二十三年~二十九年)
中学校時代 米子市立第三中学校(現湊山(みなとやま)中学校 昭和二十九年~三十二年)
高校時代 島根農科大学付属農林高校(現松江農林高校 昭和三十二年~三十五年)
一年生の夏
二年生の夏
もう一つの水泳大会
野球部のマネージャーになる
私の青春・青年団時代(昭和三十五年~同四十五年)
出雲の大水害
隠岐に三百人の若者が結集
三章 病気との闘い
三途の川が渡れない 五年間の入院
四章 私の県議会議員時代
町長選挙に立候補
忘れられない選挙
選挙の結果
親父の影響
県議会議員選挙に立候補
最初の県議選挙
二通の手紙
父の手紙――息子の立候補に対する思い
私の礼状――初当選をした時の思い
選挙の記録――二期目から五期目の選挙
二期目の選挙
三期目の選挙
四期目の選挙
五期目の選挙(首の皮一枚で繋がる)
後日談
議会人として
中山間地域活性化基本条例
所得補償で農水省に直訴
環境問題への取り組み
環境ホルモン(内分泌攪乱物質)
余談
問題発言の一部
柿木村での出来事
ヨーロッパ視察
スウェーデンの視察
ドイツの農家での出来事
フランスの視察
ブラジルからアメリカへの旅
ブラジルの島根県人会を訪問
アメリカへ
議会人と農業
県議会の質問のエピソード
残された仕事――加納辰夫氏(莞蕾(かんらい))の顕彰のこと
惜別――忘れがたき友へ
惜別の辞
五章 寧夏との熱き交流
寧夏(ねいか)への旅
最初の寧夏への旅
決死の黄河横断
トンゴリ砂漠――島根県の八倍の面積
寧夏の岩画(いわえ)のこと
長い交流の始まり
交流のすすめ
寧夏大学の学生たちとの交流
日本人は紳士淑女だ
中国の家庭にホームステイ
爪の垢を飲ませたい
砂漠緑化活動
思い出の数々
寧夏人民政府の機関誌の表紙を飾る
釣魚台(中国の迎賓館)に招待を受ける
寧夏で手術
黄河が全面結氷
環保紀念碑(環境記念碑)余話
寧夏の虜になって
六章 県議会議長として
議長就任へ
またも病が襲う
「竹島の日」条例制定
県議長に選出
議長時代の仕事
議長の初仕事――中四国正副議長会
中国地域開発会議
東京島根県人会
小泉総理に質問
警察庁長官に直訴
七章 竹島のこと
竹島のこと
「竹島の日」制定へむけて
国会が「竹島」について初めての意思表明
竹島問題の経緯(抜粋)
竹島に関する発言
議長開会の挨拶 平成十七年六月二十二日
第一回 竹島の日記念式典挨拶(平成十八年)
議長開会の挨拶 平成十八年六月議会
八章 議員を辞す
議員を辞す
最後の挨拶 平成十九年三月二日
県議会議長の送別会 あいさつ 平成十九年四月 事務局長 山根徳久
長年のご支援に感謝、感謝、感謝(展望21 最終号 平成二十四年十月一日)
九章 辞してのち……
政治余話二題
うっぷんを晴らした安来市長選
続く県議会議員選挙
二回目の市長選挙
日本会議島根会長
天皇陛下即位二十年を奉祝
天皇陛下御即位二十年 奉祝島根県民会議 式辞
天皇陛下即位二十年国民奉祝祭(皇居前)
天皇陛下万歳を発声
十章 自然と共に生きる
私の生活雑記
天井裏のムササビ
田の神・畑の神を送り出す
牛は私のペット
私の健康法
年譜
あとがき
著者略歴

[出版社からのコメント]
国民の声から遠い国政と異なり、地方自治の世界は私たちの声に近い場であり、主権者として行動するうえで絶好の場所であると言えるかも知れません。本書を通じて、地方の政治が日本を変えていくという気概を、ぜひ多くの方に感じていただければ嬉しく思います。

【著者略歴】
倉井 毅(くらい・つよし)

1941年(昭和16年)島根県安来市広瀬町生まれ
1960年 島根農科大学付属農林高校(現松江農林高校)卒業
      酪農を目指し就農、乳牛飼育開始。同時に青年団入団~昭和45年まで在団。
      29歳で突然難病のネフローゼ発症、以後5年間の入院生活。
1987年(昭和62年)島根県議会議員に挑戦、初当選。
1989年(平成元年)議員在任中突然倒れ、心停止(心筋梗塞)。奇跡的な蘇生を遂げる。
      以後2007年(平成19年)まで20年間(5期)議員をつとめる。
      その間平成17年から2年間議長就任。
2007年(平成19年) 議員を辞する(任期満了、65歳)。

議員就任中の案件ほか
島根県中山間地域活性化基本条例制定に尽力/島根県「竹島の日」条例制定/環境問題提起、保全の取り組み/ブラジル島根県人会結成50年記念式典出席/島根県、寧夏(中国)友好親善交流事業に参加(自費)、砂漠緑化植林(15年間)

現在
和牛飼育と農業での米作り、日本会議島根会長、島根県グラウンド・ゴルフ協会会長、NPO法人「祥雲の会」理事長、(財)加納美術館顧問、(株)やすぎネットワーク代表取締役

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