手づくりマイホーム 泣き笑い奮闘記

(著) 松藤賢一

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作品詳細

「やったぞ! 完成だ!」
 応接間のドアを取り付け終わると、私は心の中でこう叫び、しばらく茫然(ぼうぜん)としてしまった。
 昭和五十一年から妻と二人で始めた手づくりマイホームの最後の仕上げが終わった瞬間である。
 頭の中には長かった十四年間の出来事が、怒濤(どとう)のように押し寄せていた。

〝けたたましい救急車のサイレンの音、ぐるぐる廻る赤色灯〟「ひろし、生きるんだ。がんばるんだよ」祈るような母親の声……。
 叩きつける暴風雨、観音堂の屋根の上で、ずぶ濡れになった老人が叫ぶ。「男というもんは、本当の男はのう、いったんこうと腹に決めたら最後まで歯を食いしばってがんばるんだ!」ぐるぐる廻るリヤカーの車輪がわびしく浮かんでは、ふっとまた消えた。
 終列車も出て真っ暗なホームのベンチで小さな子供が震(ふる)えていた。
「ひろしちゃん、どうしたの」
「お父さんを待ってるの」
「お父さん、今日は帰って来ないよ……」
 いろんなことが嵐のように渦を巻いて頭の中をよぎっていった。

 鉄筋ブロック造り、一部三階建ての四DK。一階には応接室、ダイニングキッチン、浴室、トイレ。二階には十二畳の子供部屋、十畳の夫婦の寝室。三階は六畳のアトリエとベランダ。外壁は真っ白な洋風造り、総面積にして約九十二平方メートル。
 苦節十四年を費(つい)やし、積み上げたブロックの数、千五百八十個、使った鉄筋千百本。
 この途方もない大事業、出発点は長男が三歳のときに罹(わずら)った胃潰瘍(いかいよう)なのである。(本文より)


【著者プロフィール】
松藤 賢一(まつふじ・けんいち)
1936年(昭和11)福岡県柳川市生まれ。1960(昭和35)日本電子工学院卒業。1967年(昭和42)NEC、HE入社、教育寮勤務。1996年(平成8)定年退職。
1980年(昭和55)日曜大工誌『手作りライフ』10月号、11月号にて手記紹介される。
1984年(昭和59)『日本経済新聞』、『週刊住宅情報』(4・18号)で紹介される。
1990年(平成2)『毎日新聞』、『産経新聞』(連載)、『毎日グラフ』、『面白生活』誌などに掲載される。その他、地元新聞などでも取り上げられる。日本テレビ「ルックルックこんにちは」(10月)に出演する。
1991年(平成3)テレビ朝日「マイホーム獲得大作戦」(2月)出場。TBSテレビ「全日本住宅王座決定戦」(4月)出場。
1992年(平成4)テレビ東京「全日本うちのお風呂大賞」(1月)に出演する。

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