落葉して根に帰る : 満州にとり残された少年の戦争と戦後

(著) 長谷川忠雄

Amazon

作品詳細

[商品について]

―これでもまだ、戦争がしたいのか―

1931年におきた満州事変以降、世界では日本に対する反感が生まれ、外国に住む日本人移民への圧力が強まっていた。そんな中、当時ブラジルに住んでいた幼い著者も家族と共に日本に帰国するが、戦争一色に染まった日本は安住できる場所ではなく、一家はつてを頼って満洲へと移住することを決意する。しかし満州へ渡って半年もたたないうちに兄を戦争にとられ、ソ連の侵攻と日本の敗戦によって両親を失い、姉とも生き別れた著者は、残された幼い弟と二人で地獄の日々を懸命に生き抜こうとするーー強制収容所から解放軍、そして帰国へ。時代に翻弄された自身の人生を家族の歩みと共に振り返った壮絶な半生記。



[目次]

発刊を祝して

刊行によせて

はじめに

プロローグ

私の生い立ち

両親たちの貧困との闘い

新天地を求めて

ブラジル移民

神戸からの渡米

ブラジル生活の思い出

さようならブラジル

はじめて見る祖国・日本

満州での暮らし

赤い夕陽の満州へ

国境の町・富錦

兄たちへ召集令状が届く

日本軍人の横暴

ドイツ降伏後、世情騒然となる

ソビエト軍の侵攻と満州国崩壊

地下弾薬庫での修羅場

地下室から決死の脱出

中国人青年との邂逅と武装農民の襲撃

両親の死

収容所から製粉工場へ

銃殺寸前で救われた命

宝清の収容所へ

極寒を前に収容所解散

宝清よ、さようなら

解放軍での日々

解放軍での生活

解放軍の反転攻勢

堂々の北京城入城

中華人民共和国の成立

日本との文通はじまる

国府軍天津城外の守り

朝鮮戦争の勃発

帰国、そして慰霊行へ

夢に見た日本への帰国

通訳という仕事

戦後半世紀経てからの慰霊行

主要参考文献一覧

最後に一言 あとがきにかえて

著者略歴



[担当からのコメント]

戦争をすれば多くの血が流れ、多くの人が家や家族、故郷を失う。そんなことは分かっている筈なのに、それでも戦火が止むことはないのはなぜか。私たちは、この問いに真剣に向き合う必要があります。本書を通じて、多くの方が戦争と平和について考える機会を持っていただければ嬉しく思います。



[著者略歴]

長谷川 忠雄(はせがわ・ただお)



1933年ブラジル・サンパウロ生まれ。

1940年秋に帰国後、同年初冬に中国黒竜江省富錦県へ家族とともに移住。

1945年8月9日、ソ連軍の侵攻にあい、富錦街より避難。命がけの逃避行の途中で姉2人と生き別れたうえに両親を匪賊に殺害され、弟と2人中国に取り残される(著者12歳、弟10歳)。宝清県日本人収容所に収容され、のちに東北民主聯軍に参加。1953年3月に帰国。造船会社や商社勤務を経て、現在に至る。今は得意の中国語を活かし、通訳のボランティアなどで活躍する。

新刊情報