ぼくたちは義勇軍として満州へ行き、捕虜としてシベリアで生きた: ──[証言]戦争と空白の昭和日本史

(著) 三沢道行

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―この心の痛みに耐えるには沈黙しかなかった。その痛みをいま、未来に語る―

「一億火の玉」「聖戦完遂」といったスローガンが社会全体に蔓延していた大戦末期、海軍予科練の受験に失敗した一人の少年は、ヒステリックな世相に駆り立てられるように、満蒙開拓義勇軍に志願する。開拓兵として自給自足でソ満国境の守備も担う満蒙開拓義勇軍であったが、理想とはかけ離れたその実態に少年をはじめとする志願者たちは苦しめられることになる。そんな中、運命は少年たちを地獄の日ソ戦と敗戦、そしてシベリアでの抑留生活へと追いやっていく――軍国主義に利用され、戦勝国に利用され、政治に利用された少年たちの人生とは何だったのか。本当に語られるべき「戦争」、本当に語られるべき昭和史がここにある。



[目次]

は じ め に

大戦末期の見附国民学校(小学校)

満蒙開拓青少年義勇軍志願

満蒙開拓青少年義勇軍への門出

内原訓練所へ

渡満

義勇軍楊木訓練所に入所

訓練所の性格と生活

屯墾病

農耕

荒れる少年達

軍事教練

肺結核で入院

実験農家

日ソ開戦(敗戦)

非常呼集

現地召集令で出発

牡丹江兵事部で  陸軍二等兵に

蹴散らかされた我が軍  横道河子へ

同級生稲田誠一君の戦死

十五日の敗戦を知らずに十八日まで戦闘

捕虜となって

横道河子収容所で

略奪

入ソ行軍  十日間で四百キロメートル

ウスリースク周辺の草刈りと圧縮梱包

グロデコボ国境の弾薬整理と運搬

水虫(みずむし)

糧秣・被服廠での雑役

カチューシャ

パッツァン

狐狗狸(コックリ)さん

入院・手術 ― ステパンという兵士 ―

転属・五六三労働大隊へ

トノサマ(殿様)

露助(ロスケ)

煉瓦工場で

建設工事で

ソフホーズ(国営農場)で

ソーヤ(大豆)の爺さん

腹一杯の栄養失調

生れて初めてのヨーグルト

この村の配置

重量農機具

ノルマ

バーニャ

その頃の抑留者の歌から

カラピシ(盗み)と女囚

人種観念

乾草係のナターシャ

利口な狼の話

水のありがたさ

イマンでの伐採作業の記録

移動

宿舎と環境作り

作業の概略

生活環境

壊血病と松の葉湯

煙草とパン

原木の積み込み

捕虜ボケ症候群

反軍闘争(民主化運動)

ウラジオストックへ移動

ウラジオストック

倉庫内ラーゲル

周辺と作業内容

タコとイカ

駅仲仕

ダイナマイト

沖仲仕とウオッカ(火酒)

慰安会

日本新聞

輪読会

相互批判という考え方

共産主義の理論

共産主義思想のアキレス腱

劉少奇の論文と失脚  唯物思想の破綻

帰国

ナホトカ集結

乗船 船中で

上陸

舞鶴の援護局で

見附駅頭で

井上敬治郎先生

終わりに

著者略歴



[担当からのコメント]

国のためにと命がけで戦い、やっとの思いでシベリアから帰って来たと思ったら、社会も人の有り様もすっかり変わって浦島状態、挙げ句の果てにシベリア帰りにはコミュニストの疑いがかけられる。そんな筆舌に尽くしがたい体験が言葉として残されることの貴重さと、平和な時代を生きる私たちの幸運を、身に染みて味わうことができる一冊です。



[著者略歴]

三沢道行(みさわ・みちゆき)



昭和三年(1928年)六月五日、現在の新潟県見附市で三沢正治とスズの長男として出生。二歳で怪我と栄養失調のために左眼を失明。

昭和十六年(1941年)三月、見附国民学校初等科(六年制)を卒業したが、経済的困窮と極度の栄養失調で一年間、三条市の相場合名会社で住込みの丁稚奉公。栄養状態が改善したので一年遅れて高等科に編入。

昭和十九年(1944年)二月、高等科(二年制)を繰上げ卒業して、満蒙開拓青少年義勇軍に入隊。茨城県内原訓練所に入所の後、同年五月、新潟港から満州に渡って用木訓練所に入所。農耕作業などに従事。

昭和二十年(1945年)八月、日ソ開戦によって現地で陸軍二等兵として召集されるも、瞬く間に敗戦。捕虜になってシベリアに抑留。劣悪な環境において、また冬期の極寒の中、重労働に従事。

昭和二十四年(1949年)十月、帰国。

昭和二十四年(1949年)十月、電気通信省見附電報電話局に就職。

昭和三十年(1955年)十月、電信電話公社を退職し、天理教見附分教会において布教活動に専従。

昭和三十一年(1956年)三月、佐藤クラと結婚し、二男一女を授かる。

昭和三十六年(1961年)五月、宗教法人天理教見附分教会代表役員(四代会長)に就任。平成十二年(2000年)九月まで務める。その間の地域社会への奉仕活動に対して見附市、社会福祉法人見附福祉会、株式会社北越銀行(現第四北越銀行)等から表彰される。

令和四年(2022年)五月十一日、逝去。

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