新宿御苑 : 誕生までの三二〇年とその後

(著) 上野攻

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[商品について]
―新宿御苑、その独特な魅力の源泉をたどる―
新宿御苑は、明治39年に皇室の庭園として造られたが、戦後、国民に開かれ、「国民公園」として再出発した。
庭園美だけではなく、他の都市の公園には見られない貴重な歴史的、文化的特性と優れた自然環境を備えており、現在、市民の余暇活動を始め、子供達の自然体験の場を提供するなど、多様、かつ重要な役割を果たしている。
 では、この都心のオアシスとも言うべき58ヘクタール(17万7千坪)余の緑の空間はどのようにして生まれ、また、今日も存在し続けているのだろうか。
 新宿御苑のルーツを探って行くと、何と、江戸時代が始まる直前、徳川家康の関東入封の時に内藤清成が拝領した21万3千坪余の四谷屋敷であることが判る。
それから3世紀近くを経て迎えた明治維新は、四谷屋敷から新宿御苑が誕生する道が途絶える大きな危機であったが、奇しくも大久保利通を始め、前田正名など、維新政府を支えた大勢の人との縁により辛うじて救われた。
その結果、新宿御苑は、宮内省技師、福羽逸人とフランス人造園家、アンリ・マルチネという二人の仕上げ人の手により、凡そ320年という長い眠りからようやく目覚めることになったのである。
さらに、新宿御苑は第二次世界大戦が終焉する直前にB29による空襲で被災し、終戦直後にはGHQ(連合国最高司令官総司令部)の管轄下に置かれて消滅の危機を迎えたが、米国、ワシントンD・Cの首都公園をイメージした親日アメリカ人、ワルター・ポパムと石神甲子郎という造園家によって、幸運にも国民公園という理想的な形で存続が叶えられたのである。
本書は、日本のイギリス風景式庭園の嚆矢であり、皇室とも深い縁を持つ新宿御苑について、貴重な歴史的、文化的個性を丁寧に紹介、解説するとともに、奇跡的とも言える人との縁によって乗り越えた二度の危機、また、多くの紆余曲折など、今日までの長い道程の興味ある事実を拾い集めて綴った。

[目次]
まえがき
第一章 内藤一族と徳川家康
第一節 徳川家康の関東移封
一、江戸の立地
二、防衛態勢と拠点の整備
第二節 内藤一族の概要
一、内藤一族の譜系
二、内藤一族と家康との縁
三、内藤一族を俯瞰する
第三節 内藤一族各家の姿
一、延岡内藤家
二、村上内藤家
三、挙母内藤家
四、湯長谷内藤家
五、岩村田内藤家
第二章 高遠内藤家と新宿御苑のルーツ
第一節 高遠内藤家
一、大名への道程
二、高遠内藤家の危機と中興
三、高遠内藤家一族の不幸
第二節 高遠藩の姿
一、高遠藩の歴史
二、高遠内藤家時代の財政
三、絵島・生島事件
第三節 新宿御苑のルーツ、四谷屋敷
一、白馬伝説
二、屋敷地の軍事的重要性
三、四谷屋敷の面積の推移とその特性
四、その他の屋敷
五、内藤唐辛子と内藤かぼちゃ
六、四谷屋敷と新井白石
第四節 玉川上水と玉川園
一、玉川上水と新宿御苑の縁
二、玉川上水の開削と設計者
三、玉川園とその変遷
第五節 内藤新宿
一、内藤新宿の開宿と廃宿
二、内藤新宿の再興と発展
三、内藤新宿と江戸狂歌
第六節 高遠内藤家(高遠藩)と四谷屋敷の幕末
一、頼寧と頼直時代の高遠藩
二、高遠藩と戊辰戦争
第三章 内藤新宿試験場
第一節 明治維新の危機
一、旧武家地を取り巻く情勢
二、四谷屋敷の危機
第二節 内藤新宿試験場の設立と廃止
一、設立の背景
二、設立の経緯と事業
三、内藤新宿試験場と大久保利通
四、三田育種場
五、ぶどうとオリーブの話
六、内藤新宿試験場と開拓使官園
第三節 西洋式温室の登場
一、西洋式温室の始まり
二、西洋の温室を初めて見た日本人
三、明治初期の西洋式温室
第四節 農事修学場と駒場農学校
一、農事修学場
二、駒場農学校
第四章 新宿植物御苑
第一節 新宿植物御苑の設立と御料地
一、新宿植物御苑設立の経緯
二、華族養蚕社
三、御料地への編入
四、明治天皇と狩猟
五、動物園
第二節 福羽逸人の欧州留学
一、留学決定までの経緯
二、留学の足取りと福羽逸人の危機
三、留学の意義と期間延長
第三節 新宿植物御苑の再興と新宿御苑の胎動
一、福羽逸人の復帰と植物御苑の再興
二、新宿御苑の胎動
第四節 新宿植物御苑の温室と温室の普及
一、植物御苑の温室
二、大隈侯と酒井侯の温室
第五章 旧御休憩所
第一節 隠れていた創建年の発見
一、創建年発見の経緯とその証拠
二、創建年が隠れていた理由
第二節 創建当時の姿
一、建物の外観と建築様式
二、ヴェランダ・コロニアル様式
三、片山東熊が選んだ理由
四、暖炉と煙突
五、明治四十二年の増築・模様替え
第三節 設計者、片山東熊とその師コンドル
一、片山東熊
二、ジョサイア・コンドル
第四節 旧御休憩所にまつわる話
一、明治天皇と旧御休憩所の話
二、洋館改造計画の話
第六章 新宿御苑の誕生
第一節 洋式苑園の築造
一、洋式苑園築造計画
二、植物御苑の大改修
三、戦捷の宴
四、福羽の幸運
五、明治天皇の御製の話
第二節 設計者と庭園様式
一、設計者、アンリ・マルチネ
二、新宿御苑の庭園様式を考える
三、庭園構成の特徴
第三節 新宿御苑誕生の三恩人
一、徳川家康
二、大久保利通
三、高遠領民
第四節 新宿御苑誕生の功労者
一、前田正名
二、田中光顕
三、福羽美静
第七章 誕生してからの新宿御苑
第一節 新宿御苑と皇室
一、新宿御苑と大正天皇
二、新宿御苑と昭和天皇
三、新宿御苑と皇族方
第二節 旧御休憩所の変貌と重要文化財指定
一、旧御休憩所の変貌
二、旧御休憩所の重要文化財指定
第三節 新宿御苑の桜と菊
一、大名屋敷縁の桜
二、宮中観菊会の伝統を受け継ぐ菊
第四節 ポトマック河畔の桜と返礼の花水木
一、ポトマック河畔の桜とは
二、友好の桜の経緯
三、返礼の花水木
第八章 国民公園となった新宿御苑
第一節 終戦直前・直後の危機
一、終戦直前の空襲
二、東京都立農業科学講習所
第二節 国民公園の誕生
一、誕生までのあらまし
二、開苑当時の様子と温室の整備
三、遊園地化の危機
第三節 新宿御苑のこれから
一、新宿御苑を取り巻く情勢の変化
二、新宿御苑の恩恵を受け続けるために
あとがき
引用・参考文献一覧
著者プロフィール

[担当からのコメント]
植物園や苑内に咲く色とりどりの植物、風景式庭園をはじめとする多様な庭園様式、各所に残された貴重な歴史的建造物など、多くの人に癒しと楽しみをもたらす新宿御苑ですが、歴史を知ればその魅力をさらに深く味わうことができます。ぜひご一読ください。

[著者プロフィール]
上野 攻(うえの おさむ)

昭和17年(1942)、三重県宇治山田市に生まれる。栃木県出身
昭和35年、兵庫県立加古川東高校から東京農工大学農学部林学科に入学
昭和39年、同大学卒業。厚生省国立公園部に採用
昭和61年、環境庁(現・環境省)自然保護局鳥獣保護業務室長に就任
平成5年、環境庁新宿御苑管理事務所長を退官
平成18年、公益財団法人日本鳥類保護連盟専務理事に就任
平成26年、同財団を退職

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